夜
「あー疲れた。死ぬかと思ったよ」
「わたしも。はぁ……グレン小隊長も、敵兵たちも凄すぎだよ。こんな戦場で生き残れる気がしない」
その日の夜、わたしとアレンは横に並んで、配給された食事を食べていた。
配給されたスープは、ぬるくて味も薄い。でも、今のわたしたちには、それでも十分だった。
生きて、座って、食べられるだけで――贅沢だ。
「セラ、手震えてるぞ」
「……震えるよ。今日、何人死んだと思ってるの」
「んー……八人だっけ?」
アレンは、まるで天気の話でもするみたいに軽く言った。
その軽さが、胸に刺さる。
「……アレンは、怖くなかったの?」
「怖かったよ。でも、戦場だから仕方ないよ。それに、殺される前に殺したら、俺たちはずっと生き残ることが出来るんだからさ」
「……生き残るため、か」
アレンの言葉は正しい。
正しいのに、胸の奥がざわつく。
「そうだよ。セラだって、今日ちゃんと撃ったじゃん。あれがなかったら、セラは死んでたよ?」
「……わかってる。でも……」
言葉が続かない。
喉の奥がつまって、息が重くなる。
アレンはそんなわたしを見て、首をかしげた。
「セラ、考えすぎだって。それに、人を殺したってことは、祖国を守ったということって言ったのは、セラなんだよ?」
「うん……そうだね」
建前は、たくさんある。生き残るため、祖国を守るため、孤児院のみんなのため、アインを死なせないため。これらの建前のおかげで、わたしは戦場で人をころすことができている。
でも、戦場から離れると、話が変わってしまう。人を殺したという事実が、心に重くのしかかり、潰れてしまいそうになってしまうのだ。
(でも……)
けれど、わたしは昨日のアインのように壊れることは出来なかった。それは、完全に壊れてしまうと一瞬で死ぬことを本能で理解しており、致命的な所まで思考が働かないからだ。
だから、わたしは人を殺したことに苦しみながらも、人を躊躇いなく殺すことが出来ているのだ。
すると――
「お前ら、何辛気臭い顔をしてんだよ!」
後ろからルーク上等兵が肩を組んで来る。
「る、ルーク上等兵!?」
「なんだよその顔。まるで今にも死にそうじゃねぇか」
ルーク上等兵はわざとらしくため息をつき、わたしとアレンの頭を軽く小突いた。
「お前ら、今日の戦果は悪くなかったんだぞ? もっと胸張れよ。生きて帰ってきたんだからよ」
「……でも、八人死んだんですよ」
わたしが言うと、ルーク上等兵は一瞬だけ目を細めた。
その表情は、怒りでも苛立ちでもなく――どこか、疲れた大人の顔だった。
「確かにな、今日死んだ奴らの中にも、俺の最後の同期だった奴もいたし、八人はそれなりに大きい数だ」
「それは……」
「でもな、アイツらの死は無駄にならなかったんだよ。今日の突撃で、敵の隊長を殺すことも出来たし、気に病むところなんて、どこにもない」
それは自分に言い聞かせているような言葉でもあり、誰かに言わなければ自分が崩れてしまうのを誤魔化すような響きでもあった。
ルーク上等兵は、わたしたちから視線を外し、夜空を見上げた。
「……戦場じゃな、誰かの死に意味をつけねぇとやってられねぇんだよ」
ぽつりと落ちたその言葉は、さっきまでの軽さとはまるで違う重さを持っていた。
「意味があるって思わなきゃ、次に進めねぇ。進めなきゃ、次は自分が死ぬ。だから……無駄じゃなかったって言うしかねぇんだ」
(そっか、そうだよね)
わたしはそう思った。でも、その理解は、胸の奥にひどく重く沈んだ。
ルーク上等兵は、わたしの顔をちらりと見て、苦笑した。
「セラ、お前は優しいからな。優しい奴ほど、戦場じゃ一番苦しむんだよ」
「……優しくなんて、ないです」
「あるさ。 優しくなきゃ、人を殺したあとでそんな顔できねぇよ」
そんな顔……今はどんな顔をしているのだろうか? 鏡すらない戦場だと、自分の顔すらわからない。
けれど、ルーク上等兵がそこまで言うのなら、きっと酷い顔をしているのだろう。
そしていると、アレンがルーク上等兵に、一つ質問をした。
「ルーク上等兵、質問していいですか?」
「いいぞ。あと、こんな時にまで、わざわざ上等兵って言わなくていい。ルークさんでも、ルークお兄ちゃんでもいいんだからな。あ、もちろんこれは俺だけな。グレン小隊長に、グレンお兄ちゃんなんて言ってみろ。腕を切り落とされてもおかしくないぞ」
「ははは……」
グレン小隊長ならそうしてしまいそうで、笑える冗談になっていない。
「で、質問ってなんだ?」
「そのグレン小隊長のことなんですけど、あの盾と剣って何ですか? アレが出来るようになれば、より多くの敵を殺せると思うんですけど」
「あー、あれか……」
ルークさんは頭をかきながら、わたしたちの前に腰を下ろした。
焚き火の明かりが、彼の横顔を赤く照らす。
「まずな、アレン。あれが出来るようになれば強くなれるって考えは、今日で捨てとけ」
「え……?」
「グレン小隊長は、性格があれだが、実力はこの国でもトップクラスだ。戦場であの人の真似なんてしてみろ。一瞬でハチの巣にされる。それでも、何をやっているのか聞きたいのか?」
「は、はい……」
「……よし、じゃあ教えてやるよ」
ルークさんは、焚き火の火を指先でつつくように見つめながら言った。
その横顔は、いつもの軽さとは違っていた。
「まずは、盾だな。アレは、グレン小隊長の魔力で作られた盾で、小隊長クラスなら大抵は使うことのできる技の一つだ。けどな、あの人の盾の硬度は別格だ。普通の盾なら、銃弾を五発も防ぐことが出来ればいい方。あの人のような戦い方をしたら、一瞬で砕けてしまう」
アレンが息を呑む。
わたしも、背中に冷たいものが走った。
「そして、剣の方だな。アレは、剣本体は普通の剣だ。けど、あの人が剣を使う時は、表面に魔力の刃を纏わせて、高速で振動させることで、金属の盾すらもぶった切っているんだよ。あれこそ化け物だ。グレン小隊長以外にあの技を使うことが出来る人なんて、俺が兵士になってからの四年で三、四人程度しか見たことねぇよ」
「え、そこまであの人は強いんですか?」
「ああ。もし、あの人が十人いれば、この戦争は終わっている。そう言い切れるほど、別格なんだよ。俺らの小隊長は」
その話を聞いて、わたしは胸の奥が、ぎゅっと縮むのを感じた。
前世の記憶があるわたしにとって、戦争を終わらせるほどの力を持つ個人の武力なんて想像できない。
でも、きっとそれは本当のことなのだろう。
今日の小隊長の姿を見るだけで、アレが別格だということが理解できてしまう。……そして、それがわたしにとっては良いことでないことも理解してしまった。
「それって、ついていける人はいるんですか?」
「あー……痛いところをつかれたな。あの人の弱点って、まさにそれなんだよ。別格すぎるせいで、後続がついていけないんだよな。今日だってそうだろ? 小隊長は真っ先に突っ込んで、敵の盾列をぶった斬って、魔導隊の術式まで叩き割った。でも、あの人の横で戦った奴は、一人もいない」
(それなのに、あの人が今まで生き残れるってことは、本当に凄いことなんだろう。けど、取り残されるわたしたちが生き残れる可能性は少ない。だから……)
「ということは、死なないためには、全力でついていくしかないってことですか?」
「お、よくわかってんじゃねぇか! 正解だ!」
これほどうれしくない正解は初めてだ。
出来ることなら、そんな正解――間違いであってほしかった。
だって、まだ十四歳のわたしが、あの人についていけるわけないじゃんか。置いて行かれて、一人で孤立しないようにするのがやっとなのに、もっと速く走るなんて、無理に決まっている。
「まぁ、安心しろ。ついていけなくたって、生き残ることは出来るんだ。現に、俺は四年くらい生き残っているしな」
「……はぁ、そうですね。まだ死ぬって決まったわけじゃありませんし」
嘘だ、わたしが生き残るはずがない。
今していることは、死ぬまでの時間を少しでも延長させているだけで、戦争が終わるまで生き続けることなんて出来ないに決まっている。
元々、この戦いは十年以上続いているんだ。終わりなんて、見えてくるはずもない。
「安心しろって。俺が守ってやるから」
「従軍して二日目でしょ。そんな新米が言うことじゃないよ」
「うっ、そうだけどさ。でも、幼馴染くらいは守ってやりたいし」
「ははっ、面白いな、お前ら。じゃ、さっさと寝とけ。明日は突撃しないらしいが、それでも辛いことが待ってんだ。疲れは出来るだけとっておけ」
ルーク上等兵に追い立てられるようにして、わたしたちは後方に設営された仮設キャンプへ戻った。今日の突撃で前線の塹壕は大きく崩れ、夜は危険だという判断で、小隊ごと少し後ろへ下げられたのだ。
寝床と呼ぶにはあまりにも心許ない薄い毛布が一枚だけ敷かれていて、そこに身体を沈めると、全身の筋肉が一気に悲鳴を上げた。
(……痛い)
腕も、足も、肩も、全部が重い。
今日一日で、何度死にかけたのか数えたくもない。
(明日は突撃しない……それだけで、少しだけ安心してる自分が嫌だな)
突撃しないだけで楽だと思ってしまう。でも、突撃がない日はない日で、別の地獄が待っている。
塹壕の補修、死体の処理、偵察、物資運搬、訓練……どれも、命の危険がつきまとう。
毛布を引き寄せると、隣でアレンが寝息を立て始めていた。
彼の寝顔は、昼間の強がりが嘘みたいに幼くて、胸が少しだけ痛む。
(……守る、なんて言ってたけど)
あんなの、無理に決まってる。わたしだって、彼だって、ただの子どもだ。戦場に放り込まれた、何の力もない子ども。
それでも――あの言葉に、少しだけ救われた自分がいた。
(……バカだな、わたし)
目を閉じると、今日の光景がまぶたの裏に浮かぶ。
血の匂い。
砕けた盾。
焼け焦げた土。
そして、グレン小隊長の背中。
あの人の後ろにいられることが幸運だなんて、信じたくない。
でも、事実だ。
あの背中がなければ、わたしたちは今日、生きていなかった。
(……明日も、生き残れるかな)
答えは出ない。出るはずもない。
ただ、疲れ切った身体が、思考より先に眠りへと沈んでいく。
戦場の夜は冷たくて、暗くて、静かで――それでも、眠るしかなかった。
そうして、わたしの戦場二日目は、静かに幕を下ろした。




