第9話 誰の誕生日か
香水商の店は、中央通りでいちばん派手な店だ。
戸口には金色の看板が下がっていて、前を通るだけで甘い匂いが鼻に届く。夏の盛りだというのに、店の中はひんやりしていて、棚には小さなガラス瓶がずらりと光っていた。
主人の香水商は、俺のコートを見るなり、両腕を広げて出迎えた。
「これはこれは、署の方。噂のヘイジさんですな。卸問屋を六百枚で仕留めたとか」
「仕留めたわけじゃありませんよ。払ってもらっただけで」
「ご謙遜を。いや、うちはね、隠すことなんて何もありませんよ。さあ、何でもお聞きください」
香水商は、ぴかぴかに磨いた靴で、床をこつこつ鳴らした。
四十半ばの、よく喋る男だ。胸元には、店の香水がしみ込んだ絹のハンカチが挿してある。
「春の申告のとき、窓口で話をされたそうですね」
「ああ、しましたとも。商売は付き合いだ、接待に金貨八十枚も使ったってね。それがどうかしましたか」
「八十枚の中身を、聞かせてもらおうと思いまして」
窓口係の爺さんが、春からずっと首をかしげていた話だ。
八十枚がまるごと接待じゃないとしたら、取れる額はかなり大きくなる。そうなれば、俺の歩合も増える。
口の中で勘定しかけて、俺は咳払いでごまかした。
この店の儲けで、接待に八十枚。いくら付き合いが大事でも、香水を一番たくさん買う貴族の屋敷に、毎年八十枚も使う店は無い。
「中身と言われましてもな。得意先の皆さまを、春に一晩お招きしたんですよ」
「どちらの皆さまを」
「街の大きなお屋敷の方々ですよ。宝石商さん、両替屋さん、それから、仕立屋さんのところもね」
「ご主人方が、お見えになったんですか」
「いや、お嬢さん方が」
香水商は胸を張った。
「お嬢さん方に、うちの香水を気に入っていただくんです」
「はあ」
「気に入ったお嬢さんは、親御さんにねだる。商売とは、そういうものですよ」
「なるほど」
「楽団も呼びましたし、菓子も三段のものを用意しました。いや、なかなかの夜会でしたよ」
隣で、ギンが小首をかしげた。
「その夜会、何の夜会だったんですか」
「何の、とは」
「春の夜会なら、何か祝い事があったのかなと思って」
香水商は、一瞬だけ言葉に詰まった。
それから、さっきより大きな声で笑った。
「祝い事なんて、何も。接待ですよ、接待」
*
宝石商の屋敷は、中央通りから一本入った、静かな通りにあった。
出てきたのは、十六か十七くらいの娘だった。宝石商の一人娘だという。
俺が香水商の夜会の話をすると、娘はぱっと顔を明るくした。
「ああ、あの子の誕生日の夜会ですわね」
「誕生日、ですか」
「ええ。香水屋さんのところの一人娘の、十六の誕生日でしたの」
「どんな夜会でした」
「楽団が来て、大きなお菓子が出て、とても素敵でしたわ」
「お父上は、ご一緒でしたか」
「まさか。あたくしたちだけですわ。だって、お友だちのお祝いですもの」
娘は不思議そうに首をかしげた。
「去年も、その前の年も、毎年あの子の誕生日に呼ばれてますのよ。それが、何か」
「いえ。いい夜会だったようで、何よりです」
屋敷を出ると、ギンがこらえきれないように、口元を押さえた。
「誕生日、でしたね」
「誕生日だったな」
「三年分、ですか」
「本人が、毎年って言ってたからな」
娘の誕生日を祝うのは、親の勝手だ。
ただ、それを店の接待にして、儲けから引いていいことにはならない。
「でも、香水屋さんは、得意先の娘さんだって言い張りますよね」
「言い張るだろうな。だから、もう一軒寄る」
中央通りの菓子屋は、甘い匂いのする小さな店だった。
三段の菓子のことを聞くと、菓子屋の親父は粉だらけの手で額を掻いて、得意そうに笑った。
「ああ、香水屋さんの三段な。あれは毎年、うちで焼かせてもらってるよ」
「毎年ですか」
「春のお嬢さんの誕生日にね。いちばん上に、砂糖で歳の数を書くんだ。今年は十六って書いたよ」
「去年は」
「十五。その前は十四さ。毎年一つずつ増えるから、間違えようがねえ」
親父は、自分の冗談に自分で笑っている。
ギンが、横で吹き出すのをこらえていた。
*
香水商の店に戻ると、主人は棚の瓶を並べ直しているところだった。
俺の顔を見て、また両腕を広げかける。
「おや、まだ何か」
「宝石商のお嬢さんに、話を聞いてきました」
香水商の腕が、途中で止まった。
「あの夜会は、こちらのお嬢さんの十六の誕生日だったそうですね」
「そ、それは、その……誕生日を口実に、お得意様をお招きしたわけでして」
「お嬢さん方は、お友だちのお祝いに行った、と言ってましたが」
「娘の友だちの親が、得意先なんですよ。だから、接待です」
「菓子屋の親父さんにも、会ってきました」
「か、菓子屋?」
「三段の菓子のいちばん上に、毎年、砂糖で歳の数を書いてるそうですね。今年は十六だったとか」
香水商の額に、じわりと汗が浮いた。
ひんやりした店の中なのに、絹のハンカチで何度も額を拭いている。
「接待の菓子に、お嬢さんの歳を書く店は、あまり聞きませんね」
「それは、その、お得意様のお嬢さん方にも、娘の歳を覚えていただこうと……」
そのとき、店の奥の階段から、軽い足音が下りてきた。
「お父様、お客様?」
顔を出したのは、香水商とそっくりの丸い目をした娘だった。
父親の顔色を見て、それから俺のコートを見て、娘は眉を寄せた。
「お嬢さん。この春の夜会は、何の夜会でした」
「あたしの誕生日ですけど」
「お父上は、得意先の接待だとおっしゃってます」
娘の丸い目が、ゆっくりと父親の方を向いた。
「……お父様。あたしの誕生日を、お店の接待にしたの?」
「いや、それはな、その」
「楽団も、お菓子も、あたしのためだって言ったじゃない」
「お前のためだとも。お前のためでもあるし、お店のためでも」
「どっちなの!」
「いや、だから、お前の誕生日のついでに、お得意様の娘さんにも……」
「ついで? あたしの誕生日が、ついでなの?」
店の中に、娘の声が響いた。
表を通りかかった客が、何事かと戸口から覗いている。
香水商は娘と俺の顔を交互に見て、それから、がっくりと肩を落とした。
「……どっちも、です」
娘は真っ赤な顔で父親をにらむと、階段を駆け上がっていった。
二階で、戸がばたんと閉まる音がする。
俺は、まだ瓶を一本持ったまま固まっている香水商の前に立った。
「誕生日の夜会三年分。接待から外して、儲けに戻させてもらいます。隠していた分の加算も乗せて」
香水商が、ごくりと唾を飲み込んだ。
「〆て、金貨五十枚」
「……払います」
香水商は力なくうなずいて、持っていた瓶を棚に戻した。
それから、ふと思いついたように、いちばん小さな瓶を手に取る。
「調査官さん。娘の機嫌を取るのに、新しい香水を一本……これは、経費になりませんかね」
「なりませんよ」
答えたのは、俺ではなくギンだった。
*
店を出ると、中央通りには夕方の影が伸びていた。
ギンは、しばらく黙って歩いていた。
「あの子、怒ってましたね」
「そりゃ怒るだろ」
「でも、楽団もお菓子も、嬉しかったんだと思います」
ギンは前を向いたまま、ぽつりと言った。
「あたしの十六の誕生日は、窓口係の試験の日でした」
「そうか」
「帰ったら、母さんが肉を一切れ多く焼いてくれてて。それだけでしたけど」
俺は、何と返せばいいのか分からなかった。
だから、思ったことをそのまま言った。
「そっちの方が、税金はかからねえな」
「……ヘイジさんって、ほんとにそういう人ですよね」
ギンは呆れた顔をしたが、口の端は笑っていた。




