↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
10/115

第10話 うなずいた男

 夏の一番暑い日の昼過ぎだった。

 二階の部屋は、窓を全部開けても風が入ってこない。ギンは隣の机で、窓口から持ってきた古い団扇を、ずっとぱたぱた動かしていた。

 部屋の真ん中の机は、空いている。先輩は朝から臨場に出ていて、昼前に上機嫌で戻ってきたかと思えば、また出ていった。


「先輩、今日は機嫌がいいですね」

「どこかで、でかいのを取ってきたんだろ」

「でかいの、ですか。先輩が」

「先輩の言う、でかいのだよ」


 ギンが団扇を止めて、少し考える顔をした。

 そのとき、一階の窓口から、二階の床が震えるほどの怒鳴り声が上がってきた。


「隠したなんて、俺は一言も言ってねえ!」


 ギンが先に立って、階段を駆け下りていく。

 俺がコートを取って後から下りると、窓口の前に、両腕に古い火傷の跡がまだらに残った大男が立っていた。首から下げた革の前掛けが、汗で黒く光っている。

 窓口係の爺さんは、机の端まで椅子ごと下がっていた。


「西門の外れの鍛冶屋さんです」


 ギンが、俺の耳元で言った。


「先輩に、加算込みで金貨二十四枚を言い渡されたそうです。本人が売り上げを隠していたと認めた、って」

「認めてねえって言ってんだろうが!」


 鍛冶屋の声は、窓口の端から端まで響いた。並んでいた客が、そろって一歩下がる。

 階段の上から、指輪で手すりを叩く音がした。先輩が、面倒くさそうに下りてくるところだった。


「認めたさ。売り上げを隠してたんだろうって聞いたら、こいつは首を縦に振ったんだ」

「誰か、そばで聞いてた人はいるんですか」

「いるわけねえだろ。俺が一人で行ったんだからな」


 先輩は窓口の脇に立つと、俺の方へ顎をしゃくってみせた。


「推計で取るなら、先に取引先を当たれって決まりができたろう」

「ええ」

「だがな、本人が認めてりゃ、取引先なんか回らなくていい。決まりどおりだ」

「決まりの抜け穴、の間違いじゃないですか」


 ギンがぼそっと言うと、先輩は聞こえなかったふりをした。

 決まりができてひと月もたたないうちに、先輩はもう抜け道を見つけてきたわけだ。こういうことにかけては、この署で先輩より早い奴はいない。

 俺は鍛冶屋の横に回って、普通の声で聞いてみた。


「その日は、炉の前にいたんですか」


 鍛冶屋は返事をしなかった。俺の口元を見てもいない。

 肩を叩くと、ようやくこっちを向いて、怒鳴るように聞き返してきた。


「ああ? 何だって?」


 四十年近く鉄を打っていれば、耳はそうなる。

 前世でも、町工場の親父に横から話しかけて、何度も聞き流されたものだ。

 そのとき、二階から署長が下りてきた。騒ぎが二階まで聞こえたらしい。


「何の騒ぎだ」

「先輩の追徴の件です、署長。ちょっと見ててもらえますか」


 俺は鍛冶屋の正面に立って、先輩と同じくらいの、普通の声で聞いた。


「あんた、昨日は空を飛びましたか」


 鍛冶屋は、俺の顔をじっと見た。

 それから、こくりとうなずいた。

 窓口の前に並んでいた客の中から、誰かがぷっと吹き出す。


「じゃあ、夕飯に石ころを食べましたか」


 鍛冶屋は、またうなずいた。

 今度は、ギンが横を向いて肩を震わせている。

 俺はもう一度鍛冶屋の肩を叩いて、今度は耳のそばで、大きな声で聞いた。


「売り上げを、隠しましたか!」

「隠してねえ! さっきからそう言ってんだろうが!」


 鍛冶屋の怒鳴り声が、窓口の天井まで響いた。

 俺は先輩の方に向き直った。


「この人は、聞こえてない話には、とりあえずうなずくんですよ」

「何だと」

「炉の前で四十年も怒鳴り合ってきた人は、たいていそうです」


 先輩の顔が、赤くなったり青くなったりしている。


「て、てめえ……」

「先輩が聞いたとき、この人は炉の前でしたか。それとも、静かな所でしたか」

「……炉の前だよ」

「でしょうね」


 先輩は指輪の手を握りしめて、俺をにらみつけた。


「お前だって、口で聞いた話で人を叩いてきたんだろうが」

「俺は、裏も取らずに、口で聞いた話だけで取ったことは一回もねえよ」


 先輩は言い返そうとして、指輪の手で机を叩きかけ、その手を途中で下ろした。

 ギンが、黙って先輩を見ている。

 ギンは、俺が素材屋の親父や食堂の女房の話を、どうやって確かめてきたのかを、全部そばで見てきた。だから、俺の言ったことが本当だと知っている顔だ。

 署長が、大きく息を吐いた。


「二十四枚は取り消しだ。ヘイジ、取引先を当たって、やり直せ」

「分かりました」

「それから、お前」


 署長は、先輩の方を見ないまま続けた。


「明日の朝、二階で話がある」


 先輩の指輪の手が、手すりの上で白くなっていた。


     *


 その日の午後、俺とギンは、鍛冶屋の取引先を回った。

 いちばんの得意先は、西門の馬車屋だ。


 馬小屋の前では、若い馬が蹄を打ち直してもらうのを待っていた。

 俺が近づくと、馬は鼻を鳴らして首を振る。ギンが一歩下がった。


「馬、苦手なのか」

「窓口には、馬は来ませんでしたから」


 馬車屋の親方が、笑いながら小屋から出てきた。


「あそこの蹄鉄は、いい鉄だよ。耳は遠いが、腕は確かだ」


 親方は馬の脚を持ち上げて、打ちつけた蹄鉄を見せてくれた。


「年にどのくらい買ってるんですか」

「うちの馬は二十頭だ。四つの脚に、ふた月にいっぺん打ち直す。数えりゃ分かるだろ」

「数えりゃ分かる、か」

「数えてみな。毎年、きっちり同じ数だけ頼んでるんだ」


 親方は胸を張った。鍛冶屋が申告していた数と、ほとんど同じだった。

 ほかの取引先も、似たようなものだ。数え直してみると、鍛冶屋が申告していなかった分は、ほんのわずかしかなかった。

 夕方、署の窓口に鍛冶屋を呼んで、加算込みで金貨四枚だと伝えた。

 鍛冶屋は、大きな手で顔をこすった。


「……四枚か」


 聞こえていないのかと思って、耳のそばでもう一度言ってやる。


「四枚です!」

「聞こえてるよ!」


 鍛冶屋は怒鳴り返してから、少しだけ笑った。


「坂の途中の小間物屋のおかみさんが、言ってたんだよ。署で困ったら、茶色のコートの調査官に言えってな」

「それで、窓口で怒鳴ったんですか」

「怒鳴ったら、あんたが下りてくると思ったんだ」


 鍛冶屋は、焦げた前掛けを揺らして笑った。

 ギンが、俺の顔をちらりと見る。俺は、気づかないふりをしておいた。


     *


 次の朝、署長は二階の部屋に調査官を全員集めた。


「臨場は、二人で行け。一人が聞いて、もう一人がそばで聞いておく」


 署長は、先輩の方を見ないまま言った。


「一人で聞いた話だけで、人から金を取るな。今日から、署の決まりにする」


 部屋の調査官たちが、ざわついた。

 一人で回れば、一日に二軒は臨場できる。二人で組めば、そのぶん回れる数は減る。歩合で食っている連中にしてみれば、面白い話じゃない。

 署長は、そのざわつきを手で押さえた。


「言った、言わないで窓口に怒鳴り込まれるたびに、署の名前に傷がつく」


 署長は、部屋の真ん中の机をじろりと見た。


「傷がつけば、王都に聞こえる。わしは、そっちの方がよっぽど困るんだ」


 署長の言う「困る」は、たぶん税収のことだ。

 それでも、決まりは決まりだった。


 それから署長は、去年入ったばかりの若い調査官を、先輩の隣に立たせた。


「お前は、今日からこいつと組め」


 先輩は、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

 若い調査官の方は、背筋をぴんと伸ばして、先輩の隣で神妙に立っていた。真面目なのだけが取り柄だと、窓口の爺さんが前に言っていた男だ。

 部屋を出ていくとき、先輩は若い調査官に向かって、小声で何かぶつぶつ言った。

 若い調査官は、真面目な顔で聞き返した。


「すみません。聞こえませんでした。もう一度お願いします」


 先輩の指輪が、階段の手すりを、がちんと鳴らした。


お読みいただき、ありがとうございます。

楽しんでいただけたら、ブックマークや☆からの評価で応援していただけるとうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。