↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
11/115

第11話 正確な額

 職人通りの坂の途中に、その革の店はある。

 戸口の上に吊るした古い鞍が、夏の終わりの日に焼けて、飴色に光っていた。

 ヘイジさんは、この暑さでも茶色のコートを脱がない。戸口の前で鞍を見上げて、ぼそっと言った。


「いい仕事だな」

「褒めてるんですか」

「褒めてるよ。いい仕事をする店は、売り上げを隠しても客が減らねえんだ」


 あたしは、何と返していいか分からなかった。

 この店に来たのは、ヘイジさんが川沿いの皮なめし屋で話を聞いてきたからだ。

 なめし屋の親父は、坂の上の革職人が毎月どれだけ皮を買っていくかを、自慢そうに教えてくれた。あの爺さんはうちの一番いい皮しか使わねえんだ、と。

 その皮で縫える鞍や靴の数に比べると、この店の申告は、三分の二くらいしかない。

 戸を叩くと、十六か十七くらいの弟子が出てきた。

 奥の作業台では、白い髪を後ろで縛った年寄りが、膝に載せた革に針を通している。

 弟子は戸口に立ったまま、ちらちらと作業台の方を振り返っていた。


「おい、手が止まってるぞ」


 年寄りが、顔も上げずに言った。


「客が来たら手を止めていいと、誰が言った。お前の腹帯は、まだ半分も縫えてねえだろうが」

「すみません、師匠」


 弟子は慌てて作業台に戻ると、縫いかけの革を膝に載せた。

 針を持つ手つきは、年寄りのそれとよく似ている。まだ少し、ぎこちないけれど。


「署の調査官です。商人税の調べに来ました」


 ヘイジさんが名乗っても、革職人は針を止めなかった。

 最後の一目を引き締めて、糸を切ってから、やっと顔を上げる。


「そろそろ来るころだと思ってたよ。なめし屋の倅が、調査官に何か聞かれたってこぼしてたからな」


 革職人は、言い訳を一つもしなかった。

 十年近く前、隣に馬具屋ができた。型で抜いた安い鞍が店先に並ぶようになって、この店への注文は目に見えて減ったそうだ。


「それからさ。売り上げの一部を、申告しないで取っておくようになったのは」

「何のためにですか」


 あたしが聞くと、革職人は戸口に立ったままの弟子の方へ、顎をしゃくった。


「こいつの給金だよ」


 弟子は、自分の靴の先に目を落とした。


「俺一人なら、注文が減っても食えたんだ」

「お弟子さんがいたから、ですか」

「こいつを途中で放り出したら、半端な腕のまま街に出ることになるだろう」


 革職人は、弟子の方を見ないまま続けた。


「あと三年あれば、一人前にしてやれるはずだったんだがな」


 革職人は立ち上がると、作業台の下から、口の欠けた古い壺を出してきた。

 中には、銀貨と銅貨が少しだけ残っている。


「隠した分は、ここに入れてた。毎月、こいつの給金に回して、残りはこれだけだ」


 ヘイジさんは壺の中を覗いて、そうか、とだけ言った。

 隠し方まで正直な人だと、あたしは思った。


     *


 坂を下りかけたところで、後ろから足音が追いかけてきた。

 振り返ると、さっきの弟子が息を切らして立っている。


「師匠は、牢に入れられるんですか」

「入らねえよ。決まった額を払えば、それで終わりだ」


 ヘイジさんがそう言うと、弟子は少しだけ肩の力を抜いた。

 でも、すぐにまた顔を曇らせる。


「その額って、いくらなんですか」

「これから数える」


 弟子は、何か言いたそうにしていた。

 けれど結局、頭を一つ下げて、坂を駆け上がっていった。


     *


 三日後、ヘイジさんとあたしは、もう一度坂を上った。

 革職人は作業台の前で、弟子の縫い目を指でなぞって、一つずつ直させているところだった。


「額が出ました」


 ヘイジさんが言うと、革職人は弟子の手元から目を上げた。


「いくらだい」

「五年分の、申告しなかった売り上げに、隠していた分の加算を乗せまして」


 ヘイジさんは、いつもの口上を、いつもより少しだけゆっくり言った。


「〆て、金貨四十二枚です」


 革職人は、しばらく黙っていた。

 それから、作業台の上をぐるりと見回した。


「四十二枚か。ちょうど、この店一軒分だな」


 弟子の手から、針が落ちた。

 針は作業台の上で一度跳ねて、床の革くずの中に消えた。


     *


「四十二枚……」


 署に戻って、二階の窓際で、あたしはその額を口の中で繰り返した。

 あの店の稼ぎで、四十二枚は払えない。店を売らなければ、とても無理だ。


「ヘイジさん。少しくらい、なんとかなりませんか」

「なんとかって、何だ」

「隠したのは、弟子さんの給金のためですよ。自分で使ったわけじゃないのに」

「知ってるよ」


 ヘイジさんは、窓の外を見たまま言った。


「取りすぎないってのは、少なく取るって意味じゃねえ」


 それ以上、ヘイジさんは何も言わなかった。

 あたしも、それ以上は言えなかった。


     *


 革職人は、店を売った。

 買ったのは、隣の馬具屋だった。型で抜いた鞍を並べている、あの店だ。


「俺の作業台が、あいつの店に残るんだとさ。皮肉なもんだよ」


 革職人は、そう言って笑っていたらしい。坂の下の糸屋の親父が、窓口に来たついでに教えてくれた話だ。

弟子は南の街にいる兄弟子の店に移ることになって、革職人は坂の上の、嫁いだ娘の家に身を寄せるらしい。

 店を明け渡す日、ヘイジさんとあたしは、四十二枚を受け取りに坂を上った。

 空っぽになった店の中で、革職人は作業台の最後の革くずを、ほうきで掃き集めていた。


「よう、調査官さん」


 革職人は、ほうきを壁に立てかけると、作業台の上に革袋を置いた。


「四十二枚だ。数えてくれ」


 ヘイジさんは、黙って金貨を十枚ずつ積んでいった。

 一つ目の山を積み終えたとき、戸口から弟子が駆け込んできた。手に、小さな布袋を握っている。


「これも、足しにしてください」


 弟子は布袋を、作業台の上に置いた。

 ほどけた口から、銀貨が何枚かこぼれる。


「師匠にもらった給金を、少しずつ取っておいたんです」

「馬鹿、しまっとけ」


 革職人が言うより先に、ヘイジさんが布袋を弟子の方へ押し戻した。


「払うのは師匠だ。あんたの金は、受け取れねえよ」

「でも……」

「それは、あんたが向こうの店で、一人前になるまで食いつなぐ金だろ」


 弟子は布袋を握りしめたまま、唇を噛んでいた。

 ヘイジさんは、また金貨を積み始めた。最後の山を積み終えるまで、誰も何も言わなかった。


「確かに、四十二枚」


 ヘイジさんがそう言うと、革職人は小さくうなずいた。

 前掛けのポケットから、小さな財布を一つ出す。


「最後に縫ったやつだ。売れ残っちまってな。持ってってくれよ」

「受け取れません」


 ヘイジさんは、すぐにそう言った。


「調べた相手から物をもらったら、それは贈り物になります。俺の方が、追徴される」


 革職人はぽかんとした顔をして、それから、腹を抱えて笑い出した。


「堅いね、あんた」

「仕事ですから」

「街じゃ、一番強欲な調査官だって評判だぜ」

「半分は合ってますよ」


 革職人は、財布を自分の前掛けのポケットに戻した。


「じゃあ、俺が使うか。入れる金は、もうあんまり無えけどな」


 弟子は、笑わなかった。

 坂の上から乗合馬車の鈴が聞こえてくると、革職人は弟子の背負い袋の口を、きゅっと締め直してやった。


「向こうで半端な仕事をしたら、兄弟子に遠慮なく殴ってもらえ」


 弟子は師匠に深く頭を下げて、一度も振り返らずに坂を上っていった。

 革職人は、その背中が見えなくなるまで、店の前に立っていた。


     *


 それからしばらく、ヘイジさんは南の地区から署へ戻るとき、職人通りの坂を通らなくなった。

 川沿いの道を、ぐるっと回っていく。少し遠回りになるけれど、ヘイジさんは何も言わない。

 あたしも、何も聞かなかった。

 ただ、その道をいつもの半歩後ろについて歩いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。