第12話 署長の帳尻
秋の雨が、三日続いていた。
窓が一つしかない署長室は、昼でも灯りが要る。わしは机の上の灯りを少し寄せて、窓口係の爺さんの顔を見上げた。
「今月の納めは、いくらだ」
「去年の同じ月より、一割ほど少のうございます」
爺さんは、申し訳なさそうに頭を下げた。
一割か。
先月も一割、その前の月も一割足りなかった。夏が終わってから、ずっとこの調子だ。
理由は、分かっている。
ヘイジが言い出した決まりのせいだ。商売道具を取るな、推計なら取引先を当たれ、二人で行け。どれも筋は通っている。通っているから、わしが自分で決めた。
その代わり、先輩たちが小さな店から取ってきていた分が、ごっそり消えた。
「下がっていい」
爺さんが出ていくと、わしは机の引き出しを開けた。
奥に、内々に届く運営費の袋が入っている。夏までは、手に載せればずしりと重かった。今は、指でつまめるほどしかない。
わしは引き出しを閉めて、こめかみを揉んだ。
この署の署長になって、八年になる。八年のあいだ、わしの椅子を守ってきたのは、この署の数字だけだ。
戸を叩く音がして、返事をする前に先輩が入ってきた。
指輪の手で、戸の縁を苛々と叩いている。
「署長、いつまであいつの言いなりになってるんです」
「何の話だ」
「決まりですよ。推計は取引先を当たってから、臨場は二人で。おかげで、ひと月に回れる店が半分になった」
「決まりは、わしが決めた」
「ヘイジに言われてでしょう。あいつは自分だけ大物を狙って、俺たちから小魚を取り上げてるんですよ」
先輩は机に両手をついて、身を乗り出した。
「このままじゃ、署の数字が持ちません。署長だって、困るでしょうが」
困るのは、お前の懐だろう。
喉まで出かかった言葉を、わしは飲み込んだ。
「……下がれ。数字のことは、わしが考える」
先輩は舌打ちを一つ残して、出ていった。
*
王都からの使いが来たのは、その日の昼過ぎだった。
雨に濡れたマントを窓口に預けて、細い男が二階へ上がってくる。年は三十くらいで、指が白くて細い。机の前で、腰の低い礼をした。
「突然お邪魔いたしまして。近くの街を回るついでに、ご挨拶をと」
「それはどうも、わざわざ」
「いえいえ。王都でも、こちらの街のことは、よく話に出ますのでね」
使いは、椅子に浅く腰かけた。
そして、天気の話でもするような顔で続けた。
「今年は、こちらの数字が少し寂しいようですな」
「……秋は、もともと納めが少ない時期でして」
「そうでしょうとも。それと、例の運営費の方も、夏からこちら、少々細っているようで」
わしの背中を、冷たい汗が一筋流れた。
使いは、にこにこしたままだ。
「いや、責めているわけではございませんよ」
「はあ」
「ただ、王都にも、気にかけておられる方がいらっしゃいますので」
その方というのが誰なのかを、わしは考えないことにした。
使いの白い指が、カップの縁をゆっくりなぞっている。
「……承知しております」
「冬までには、元に戻りますでしょうか」
「戻します」
答えてから、わしは自分の声が少し上ずっていたのに気づいた。
使いは満足そうにうなずいて、お茶を一口だけ飲み、それから立ち上がった。
「では、冬にまた」
*
使いを階段の下まで見送ったとき、窓口の方から怒鳴り声が聞こえた。
「何で取られたのか、分からねえって言ってんだ!」
窓口の前で、年寄りの露店商が机を叩いていた。
西門の市で、干した果物を売っている爺さんだ。濡れた帽子から、雨の雫がぽたぽた落ちている。
窓口係の爺さんは、困り果てた顔で首を振っていた。
「調査官が来て、二枚払えって言ったんだ。何の二枚だって聞いても、払えば分かるって、それっきりだ」
「どの調査官だ」
「指に、でかい指輪をした奴だよ」
わしは、天井を仰ぎたくなった。
階段の上で、使いが足を止めてこっちを見ている。まだ帰っていなかったのか。
そこへ、二階からヘイジが下りてきた。騒ぎを聞きつけたらしい。
ヘイジは露店商の隣に立つと、窓口係の爺さんから、先輩の出した額を聞いた。それから、露店商に向き直る。
「去年の秋に、干し葡萄を、西門の宿屋に樽で売りましたね」
「……売ったよ。それがどうした」
「市で売った分は、ちゃんと申告してある。でも、宿屋に樽で売った分が、申告に入ってないんですよ」
「宿屋の分も、売り上げなのか」
「売り上げです。市で売っても、宿屋に売っても、売った金は売った金ですから」
露店商は、ぽかんとした顔をした。
「……そうだったのか。市で売る分だけだと思ってた」
「隠したわけじゃないのは、分かってます。でも、樽の分の税は払ってもらいます。それが二枚です」
露店商は、しばらく黙っていた。
それから濡れた帽子を脱いで、懐から金貨を二枚出した。
「最初から、そう言ってくれりゃよかったんだ」
「すみませんね。うちの者の言い方が足りませんでした」
ヘイジは、わしの方を見もせずにそう言った。
露店商は金貨を窓口に置くと、来たときとは別人のような顔で、雨の中へ帰っていった。
階段の途中に、いつの間にか先輩が立っていた。指輪の手で、手すりを握りしめている。
「余計な口を挟みやがって」
「先輩の言い方が足りなかった分を、足しただけですよ」
ヘイジは振り返りもせずに言った。
先輩は顔を赤くしたが、わしがいるのに気づくと、黙って二階へ上がっていった。
わしは、その背中を見送った。
先輩のやり方なら、あの爺さんはこの先何度でも窓口に怒鳴り込んできただろう。そのたびに窓口が止まり、ほかの客が待たされ、王都の使いに見られる。
ヘイジのやり方なら、一度で済む。
「これからは、追徴を言い渡すときに、どの売り上げをなぜその額にしたのかを、本人に話してやれ」
わしは、窓口の前でそう言った。
「今日から、署の決まりだ。窓口にも伝えておけ」
窓口係の爺さんが、ほっとした顔でうなずいた。
階段の上の使いは、何も言わずに、マントを受け取って帰っていった。
*
夕方、わしはヘイジを署長室に呼んだ。
ヘイジはいつもの茶色のコートのまま、机の前に突っ立っている。
「お前の言い出した決まりのせいで、税収が落ちた」
「知ってます」
「知ってるなら、何とかしろ。お前が埋めろ」
「最初から、そのつもりです」
ヘイジは、あっさり言った。
「どこを当たる」
聞いてから、わしは一つ付け足した。
「その前に聞いておく。お前、歩合をどう使ってる」
「飯を食ってますよ」
「三十枚の飯か」
「たまにです」
ヘイジは、顔色一つ変えずに言った。
わしは、それ以上聞くのをやめた。
「で、どこを当たる」
「街の醸造所です」
わしは、思わず聞き返した。
この街で一番大きな醸造所だ。主は商人組合の顔役で、わしも年に一度は、あそこの酒を王都への土産に持たせている。
「……あそこは、毎年きちんと納めてるぞ」
「きちんと納めてる店ほど、よく見ると面白いんですよ」
ヘイジの口の端が、少しだけ上がった。
獲物を見つけた犬のような顔だ。歩合が楽しみで仕方がない、という顔でもある。
わしは、その顔を見て、ほっとした。
こいつが本気でやれば、冬までに数字は戻る。あの使いに、胸を張って戻りましたと言える。
それと同じくらい、腹の底が冷えた。
こいつは、どこまで掘るつもりなのか。掘っていった先に、何が出てくるのか。
わしの引き出しの奥の、あの袋のことまで、こいつは嗅ぎつけはしないか。
「……行っていい」
ヘイジが出ていくと、わしは灯りを吹き消した。
暗くなった部屋で、引き出しは、開けなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
楽しんでいただけたら、ブックマークや☆からの評価で応援していただけるとうれしいです。




