第84話 大問屋
北の口の前の広場は、朝のうちから雪かきが済んでいた。
干し肉と水袋の屋台が、湯気を立てながら店を開けている。その脇に、荷台を空にした荷車が一台、穴の正面に横付けにされていた。
御者台では、倉の番頭が、手に息を吹きかけている。
穴の奥から上がってきた冒険者が、荷車の前を通りすぎていった。
背中には、鱗の詰まった袋を担いでいる。首から下げているのは、上から数えた方が早い札だ。
「お待ちを。うちの旦那は、今日は買取所の倍の、そのまた倍をお出しすると」
番頭が、御者台から身を乗り出して呼び止めた。
冒険者は、足を止めずに振り返った。
「あの大男が、買取所に持ってってんだぞ」
「あの方のことは、うちの旦那とは関わりございません」
「関わりがあるから言ってんだよ。旦那の倉に一番でかい物を持ってくのは、あいつだったろ」
「それは……」
「そのあいつが行かねえ倉が、この冬を越せるのかよ」
番頭が言い返す前に、冒険者は続けた。
「それにな。これから一度でも裏口に回った奴の鱗は、もう買取所じゃ買わねえってよ」
「どなたが、そのような」
「ギルド長が、ゆうべ広間でそう言った」
「倍の倍でございますよ」
「倍の倍でも、来年売る先が無くなるんじゃ、割に合わねえ」
冒険者は、雪を踏んで広場を出ていった。
その後ろから上がってきた二人も、荷車には目もくれない。
俺は屋台の脇の空き箱に腰を下ろして、それを眺めていた。
顔の腫れは、十日たって、ようやく引いてきたところだ。腹の方は、まだ笑うと痛い。
「あの荷車、今朝はまだ角の一本も積んでないよ」
隣にしゃがんだ槍の女が、番頭の方を見たまま言った。
弓の男は、相変わらず黙って穴の方を見ている。
「あたしもさ、去年までは、あの荷車に積んでたんだよ」
「そうですか」
「深い所の鱗を持って上がるとね、あの番頭が揉み手で待ってんの。買取所の倍でさ」
「その話、倉の旦那の前でもしてもらえますか」
「手当、出る?」
「出ません」
槍の女は、少し考える顔をした。
「……じゃあ、ただでしてやるよ」
*
広場の向かいの買取所には、朝から列ができていた。
カウンターの前で、白い髭の鎧師の親方が、深い所の鱗を一枚ずつ灯りにかざしている。夏に、わしの名前は出すなと念を押してきた親方だ。
「ここに並ぶんなら、あの旦那の倉に頭を下げに行く用はねえな」
親方は、俺の顔を見るなりそう言った。
「この春に上げられた値の、半分で買えるんだぞ」
「そりゃ、よかったですね」
「よかったついでだ。わしの名前、出していいぞ」
親方は鱗を三枚、前掛けの懐にしまい込んだ。
カウンターの奥には、ギルド長が片方の腕をついて立っている。その横で、日に焼けた年寄りが一人、帽子を握って何か話していた。
大問屋の荷車を、王都まで二十年引いてきた運び屋だ。
「買取所の荷も、これからは王都へ出す。引く馬が要るんでな」
ギルド長は、俺に向かってそう言った。
「この爺さんを、馬ごと雇った」
「旦那の荷を引かなくたって、わしの馬は食っていけるってことさ」
運び屋の年寄りは、帽子をかぶり直して、俺の方を見た。
「今日は、旦那の店まで付いてってやるよ、調査官さん」
そのとき、列の後ろの方がざわついた。
大男が、背丈ほどもある黒い甲羅を担いで、買取所の戸をくぐってくるところだった。並んでいた連中が、黙って前を譲っていく。
大男は甲羅をカウンターに下ろすと、買取所の親父の前で腕を組んだ。
親父は甲羅の縁を叩いて値をつけ、金貨を机に並べた。そこから二割を数えて、横の箱に落とす。
残りの山から、さらに半分ほどを、別の袋へよけた。
「八百枚の分は、こっちに取っときますよ」
「おう」
大男は、机に残った金貨を数えもしないで、革袋に流し込んだ。
戸口へ戻る途中で、俺と目が合った。
大男は何も言わずに、そのまま俺の脇を通りすぎていった。
*
大問屋の店の戸を開けると、磨いた木のカウンターの前に、店の若い者が立っていた。
指の節の擦り傷は、もうすっかり治っている。
若い者は、俺の後ろから入ってきた顔ぶれを見て、奥へ駆け込んでいった。
鎧師の親方と、運び屋の年寄り。槍の女と、弓の男。戸口の内側には、ギンと王都の兵の二人が立っている。
店の中が、これだけで狭くなった。
奥から出てきた大問屋は、細い指を胸の前で組んでいた。
「これは、上席どの。ずいぶん大勢でお越しで」
「名前を出してもいいという方々を、お連れしました」
大問屋は、俺の後ろの顔ぶれを、端から一人ずつ、ゆっくりと眺めていった。
今日は、杯は運ばれてこなかった。
代わりに、裏の倉の方から、番頭が前掛けで手を拭きながら入ってきた。北の口から、空の荷車で戻ってきたところらしい。
「旦那。今朝も、裏口には一つも……」
番頭は、店の中の顔ぶれに気づいて、口をつぐんだ。
大問屋は、番頭の方を見もしなかった。
最初に口を開いたのは、運び屋の年寄りだった。
「王都の店で荷を下ろすとな、一台で金貨百枚出る。それを受け取って、帰りに旦那に渡してきた。二十年だ」
大問屋は、年寄りの方へ柔らかく首をかしげた。
「……あなたには、もう荷を引いていただかなくて結構です」
「結構だとも。わしの馬は、今朝からギルドの荷を引くことになってる」
大問屋の組んだ指が、ほんの少しだけ動いた。
年寄りの隣で、鎧師の親方が腕を組んだ。
「この街の深い所の鱗は、全部、旦那の倉を通ってた。値を決めてたのも、旦那だ」
「親方の店には、これまで随分お安く」
大問屋が言い終わらないうちに、親方は鼻を鳴らした。
「安かねえよ。今朝、買取所で、旦那の値の半分で買ってきた」
大問屋は、今度は何も言わなかった。
槍の女が、肩の槍を担ぎ直して、一歩前に出る。
「北の口で番頭さんに渡しゃ、買取所の倍だったよ。あたしも、去年までそうしてた」
奥の戸の陰で、店の若い者が、一歩あとずさった。
俺は、槍の女の方を振り返った。
「その分は、あとで別に伺いますね」
「……言うんじゃなかった」
戸口の内側で、ギンが小さく咳払いをした。
笑いをこらえたんだと思う。
大問屋は、組んでいた指をほどいた。
柔らかい笑いはまだ顔に残っていたが、口の端だけが、どこにも行き場が無いみたいに止まっている。
「上席どの。この店の金が、どなたの金庫に入るか、夏にお話ししましたね」
「伺いました」
「叔父が……」
大問屋は、そこで口を閉じた。
閉じたまま、俺の後ろに並んだ顔を、もう一度見ている。運び屋の年寄りの日に焼けた顔と、鎧師の親方の白い髭と、槍の女の担いだ槍。
その先は、とうとう言わなかった。
「五年分の商人税に、隠していた分の加算を乗せまして」
俺は、カウンターに手を置いた。
夏から何度も口にしてきた額だ。言うのは、これで最後になる。
「〆て、金貨一万五千枚」
大問屋は、しばらく黙って俺の顔を見ていた。
それから、カウンターの脇の長椅子に、すとんと腰を落とした。
俺は、念のために聞いておいた。
「異議は、王都へお出しになりますか」
「……いえ」
大問屋は、膝の上で指を組もうとして、やめた。
「この方々の前で、出せる異議ではございませんので」
それが、大問屋の口から出た、最後の柔らかい声だった。
戸口の脇に突っ立っていた番頭の方へ、大問屋は顔だけを向けた。
「明日から、荷車は北の口へ出さなくていい」
短くて、平たい声だった。
番頭は前掛けを握ったまま、黙って頭を下げた。
*
店を出ると、ギンが俺の横に並んできた。
鎧師の親方と運び屋の年寄りは、もう広場の方へ歩きだしている。槍の女は、あとで別に伺うと言われてから、俺の顔を見ようとしない。
「異議を出さないなら、確定ですね」
「期限が明けたらな」
「一割は、千五百枚です」
「とっくに数えてるよ」
ギンは、俺の顔を下からのぞくようにして、首をかしげた。
「なのに、今日は顔に出てませんよ」
「腹が痛くて、笑えねえんだよ」
ギンは、黙って前を向いた。
信じてねえな、こいつ。
少し後ろを歩いていた槍の女が、とうとう我慢できなくなったように声をかけてきた。
「ねえ、調査官さん。あたしの分って、いくらになんのさ」
「数えてみないと、分かりませんね」
「……ギルドの手当から、引いといてくれない?」
「引くのは、窓口の娘さんの仕事ですよ」
槍の女は、天を仰いで大きなため息をついた。
弓の男の肩が、一度だけ揺れた。この男が笑うのを、俺は初めて見た気がする。
帰りは、表の通りを通らずに、倉の裏手の路地を抜けた。
倉の裏口の戸は、閉まったままになっている。
秋までは、上の札の連中が素材を担いで、この戸の前で順番を待っていたはずだ。
今は、誰もいない。
戸の前に積もった雪には、足跡が一つもついていなかった。




