第83話 つまんねえ
表に出ると、雪はやんでいた。
ギルドの前の通りは、棺を載せた荷車の轍で、雪がまだらに踏み荒らされている。
大男はその真ん中まで歩いていって、こっちを振り向いた。
広間にいた連中が、俺の後ろからぞろぞろと出てくる。向かいの買取所の戸口にも、何だ何だと顔が並びはじめて、通りの両側はあっという間に人で埋まった。
広場の角に、前掛けをした痩せた男が立っているのが見えた。
北の口で、空の荷車の御者台に座っていた番頭だ。大問屋の店へ入っていく通りの、ちょうど入口にいる。
人垣の前の方には、一番下の札の若いのたちが固まっていた。
さっきまで棺の前で泣いていた連中だ。そいつらが、今は大男の背中と俺の顔を、かわるがわる睨みつけている。
「あいつの二割の分だ」
若いのの誰かが、低い声で言った。
隣の若いのが、黙ってうなずいている。
あの晩の大男の一言は、とっくに下の通りじゅうに回っているのだ。
槍の女が、俺の前に出て、槍を斜めに構えた。
「下がってな、歩合取り。こいつは、あたしらの仕事だよ」
「お前じゃ、一発ももたねえよ」
大男は、槍の穂先を見もしないで言った。
槍の女の肩が、ほんの少しだけ強ばる。
俺は、その肩を後ろから軽く叩いた。
「どいててください。俺に用があるそうなんで」
「あんたが寝込んだら、あたしの手当はどうなんのさ」
槍の女が振り返らずに言い返したところで、戸口からギルド長の声が飛んできた。
「お前ら、手を出すな。束になったって、そいつには敵わねえ」
槍の女は舌打ちをして、穂先を下ろした。
弓の男の方は、最初から弓に手をかけてもいない。
ギンが、兵の二人のあいだから身を乗り出した。
「ヘイジさん」
「ギン、下がってろ」
年かさの兵が、黙ってギンの肩に手を置いた。
大男は、通りじゅうに聞こえる声で言った。
「倉の旦那にな、お前を二度と立てねえようにしてくれって、頼まれた」
通りの両側が、ざわっと揺れた。
広場の角で、番頭が一歩、後ろへ下がる。
「金は、好きなだけ出すってよ」
「それで、受けたんですか」
「受けてねえ。俺は、金で人を殴ったことは一度もねえんだ」
大男は、俺の前まで来て足を止めた。
見上げると、首が痛くなる。
「じゃあ、何で俺は、こんな所に立たされてるんです」
「お前が、あいつの母ちゃんに、何も言わなかったからだ」
俺は、何も言い返せなかった。
大男の肩が、ほんの少しだけ下がる。
拳が来たのは、見えなかった。
*
気がついたら、俺は雪の上に仰向けになって、灰色の空を見ていた。
雲が、ゆっくり回っている。耳の奥では、鐘みてえな音が鳴りっぱなしで、口の中に鉄の味が広がっていく。
夏の四人とは、桁が違うな、こりゃ。
どこか遠くで、ギンが俺を呼んでいた。
雪に手をついて、肘を立てる。肘が、言うことをきかねえ。もう一度ついて、今度は膝を立てた。
膝が笑ってやがる。それでも、どうにか立てた。
人垣のどこかで、起きたぞ、と誰かが言った。
大男は、さっきの場所から一歩も動かずに、俺が立つのを待っていた。
コートの袖で口の端を拭うと、袖に赤い筋がつく。
「数え終わったら額を言いに伺う、と申し上げましたよね」
大男は、返事をしなかった。
「あなたの五年分の儲けに、二割。隠してた分の加算を、半分乗せまして」
通りが、しんと静まった。
買取所の戸口の顔も、壁際の若いのたちも、誰ひとり口をきかない。
「〆て、金貨八百枚です。殴っても、一枚も減りませんよ」
大男が、ほんの少し首をかしげた。
「……減らねえのか」
「減りませんね」
「どうやって数えた。俺は、何も書いちゃいねえぞ」
「北の口の前で、番頭さんの荷車に角が積まれるのを、毎回見てた人たちがいるんですよ」
俺は、人垣の前の方へ目をやった。
一番下の札の若いのたちが、ぎくりとして目をそらす。
あの口の前でしゃがんで、大男が上がってくるのを待っていた連中だ。何を何本担いで上がってきたか、こいつらほどよく覚えている者はいない。
大男は、若いのたちの方を振り返らなかった。
今度は、拳が見えた。
見えたところで、よけられるわけじゃねえ。
腹に入った拳で、体が二つに折れた。息がどこかへ行っちまって、雪に膝をついたまま、顔から前へ突っ込む。
吸おうとしても、何も入ってこない。
誰かが叫んでいる。槍の女の声だ。それを、ギルド長の怒鳴り声が押さえつけた。
ギンの声も、聞こえた気がする。
年かさの兵に腕をつかまれて、それでも前へ出ようとしているらしい。雪を蹴る音が、何度もした。
頬に当たる雪が、冷たくて気持ちいい。
八百枚の一割は、八十枚だ。
起きる理由なら、それで足りる。
ようやく、息が喉まで戻ってきた。
雪を握って、体を起こす。今度は、さっきの倍かかった。
立ち上がると、通りの向こうの人垣が、斜めに傾いて見えた。傾いているのは、たぶん俺の方だろう。
大男が、俺を見下ろしている。
「もういいだろうが。寝てろ」
「寝たら、額が変わるんですか」
大男は、黙った。
しばらくして口を開いたときには、さっきよりずっと低い声になっている。
「俺が餓鬼の頃に下の通りに来た歩合取りはな、焼けた小屋から鍋まで持っていきやがったぞ」
大男の声は、通りの端までは届かなかったと思う。
俺は、もう一度だけ口の端を拭った。喉の奥が切れているらしくて、声がかすれる。
「鍋は、取っちゃいけねえ物ですよ」
「何だと」
大男が、下ろしていた拳を握り直した。
「その歩合取りは、数え間違えてます。取りすぎだ」
大男の目が、細くなった。
人垣の中から、女の声がした。
「その歩合取りなら、あたしも覚えてるよ」
定食屋の女将だった。前掛けの上に肩掛けを巻いて、若いのたちの後ろに立っている。
「うちの店の鍋も、二つ持ってかれたんだ。焼けてもいない鍋をね」
一番下の札の若いのたちが、女将の顔を振り返った。
大男は、振り返らなかった。
俺は、息を一つ吸い直す。
「〆て、八百枚です」
言い終えたとたんに、脇腹が軋んだ。
「殴られた分を、足したりもしませんから」
大男の拳が、また上がった。
通りの両側で、誰かが息をのむ音がする。
拳は、上がったところで止まった。
大男は、自分の拳と俺の顔を、何度か見比べている。
雪が、また降りはじめた。大男の肩に落ちて、溶けずにそのまま積もっていく。
長いこと、そうしていた。
やがて大男は、ゆっくりと拳を下ろした。
「……つまんねえ」
*
大男は俺の脇を通りすぎて、ギルドの戸口へ歩いていった。
戸口に詰めかけていた連中が、慌てて道を空ける。
一番下の札の若いのたちも、黙って脇へよけた。さっきまで俺を睨んでいた目が、今は大男の背中ばかり追っている。
俺はギンに肩を借りて、その後ろからついていった。ギンの肩は、俺の脇の下に入れるには少し低い。
「立たなくたって、よかったのに」
ギンが、俺の脇の下で言った。声が、少しだけ震えている。
「立たなきゃ、額が言えねえだろうが」
「言わなくたって、額は変わりませんよ」
……それも、そうか。
大男は広間を横切ると、払い出しの窓口の前で足を止めた。
窓口の中では、娘が布巾を握ったまま固まっている。
「おい。次から、俺が担いで上がってくる物は、全部ここの買取所に持ってくる」
「は、はい」
「二割、引いとけ。八百枚も、そっから引いてけ」
窓口の娘は、すぐには返事をしなかった。
先に広間へ戻っていたギルド長の方を、困った顔で振り返る。
「ギルド長。でも、この人は今、手を出しましたよね」
「出したな」
「手を出した人には、依頼を一枚も回さないって、夏に」
「ああ、言った」
ギルド長は、窓口の机に片方の腕をついた。
広間じゅうの目が、その腕に集まっている。
「こいつには、今日から依頼を一枚も回さねえ。俺はそう言ったからな」
「だったら」
「だがな、買取所に素材を持ってくるのは、依頼じゃねえ」
広間の隅で、誰かが吹き出した。
大男は、窓口から目を離さないまま言った。
「依頼なんざ、はなっからいらねえよ」
「知ってるよ」
ギルド長の口の端が、ほんの少しだけ持ち上がった。
それから、ギンの肩にぶら下がっている俺の方を見る。
「お前さん、殴られ方だけは、この街の誰よりうめえな」
「……褒めてます?」
「褒めてねえよ」
ギルド長はそう言って、片方しかない肩を揺すって笑った。
戸口の外では、通りに残った連中の声が、だんだん大きくなっていく。
あの大男が、引かせるんだとよ。
その声は、雪の中を、広場の向こうまで転がっていった。




