第82話 ギルドの朝
夜が明ける前に、俺はギルドの裏口を叩いた。
出てきたギルド長は、片方しかない腕で戸を押さえたまま、俺の顔をしばらく眺めていた。
「寝てねえ面だな」
「ちょっと、勘定をしてたもんで」
ゆうべは一晩じゅう、署の机で、あいつの一年を勘定していた。
夏の初めから秋までに、あいつが払い出しの窓口で受け取った報酬なら、窓口の娘がひとつ残らずそらで言える。
買取所に持ち込んだ素材の値は、買取所の親父が覚えていた。
出ていった方は、武具屋の通りの古道具屋と研ぎ師と、北の口の屋台のおかみに聞いた。夏の初めに買った古い剣の代と研ぎ代と、潜るたびに買っていった干し肉と水袋の代だ。
稼いだ分から、出ていった分を引く。その残りが、あいつのこの一年の儲けになる。
払う税は、その儲けの二割だ。
夏の終わりから払い出しの窓口で引いてきた分は、それより少しだけ多かった。
多かった分は、返さなきゃならねえ。
金貨一枚にも届かねえ額を三度もやり直したのは、調査官になって初めてだった。
「銀貨で二枚と、銅貨四枚です」
「何の額だ」
「あいつが、引かれすぎてた分ですよ」
ギルド長は、黙って俺の顔を見ていた。
それから戸を大きく開けて、顎で中を示す。
「入れ。外で話す額じゃねえ」
戸をくぐろうとしたところで、ギルド長が、背中越しに言った。
「あの大男があの晩言ったことを、気にしてんのか」
「勘定が合ってねえのが、気持ち悪いだけですよ」
「そうかい」
ギルド長は、それきり振り返らなかった。
広間には、まだ灯りが一つしかともっていなかった。
払い出しの窓口の前の長い机に、木の棺が一つ載っている。裏の冷えた部屋から、ゆうべのうちに運び出しておいたのだという。
ギルド長は窓口の奥へ回ると、鍵のかかった箱を片手で開けた。払い出しのたびに引いた二割を、署へ運ぶ前に入れておく箱だ。
銀貨を二枚と、銅貨を四枚。ギルド長は一枚ずつ机に並べてから、それを小さな布の袋に落とした。
「あとは、お前が渡せ」
「ギルド長が渡してください」
「引いたのは、お前の二割だろうが」
「俺が渡したら、あの人は、俺に礼を言っちまうでしょう」
ギルド長は返事の代わりに、袋の口の紐を歯にくわえた。
そのまま器用に縛って、自分の上着の懐にしまう。片腕だと、そうやって縛るものらしい。
そのとき、広場の方で、雪を踏む音がした。
窓から覗くと、まだ暗い広場の真ん中に、大男が一人で突っ立っている。
「あの晩から、毎朝ああだ。戸口まで来ても、中には入ってこねえ」
「声は、かけないんですか」
「かけて、どうすんだよ。俺の片腕じゃ、あいつは引っぱり込めねえぞ」
ギルド長は、窓の外を見たまま鼻を鳴らした。
*
日が昇る頃には、広間に人が集まりはじめた。
一番下の札の若いのたちが、壁際に固まって立っている。下の通りの定食屋の女将と、宿の親父も来ていた。窓口の娘は窓口の中で、さっきから何度も目をこすっている。
ギンは、王都の兵の二人と一緒に、戸口の近くにいた。
俺は張り紙の前の、広間の一番奥に立った。槍の女と弓の男が、俺の両脇に黙って並ぶ。
槍の女も、今朝ばかりは口笛を吹かなかった。
戸口の外には、大男が立っている。
中には入ってこない。肩に積もった雪を払いもしないで、開いた戸の向こうから、棺の方を見ていた。
東の門に乗合馬車が着いたのは、朝の鐘が鳴ってすぐだった。
宿の親父に連れられて広間に入ってきたのは、小さな女の人だった。
肩掛けに、道中の雪がまだ残っている。棺に伸ばした手は、畑仕事で節が太くなっていた。
女の人は棺の蓋に手を置いたまま、長いあいだ動かなかった。
声も、出さない。
広間の誰も、何も言わなかった。
やがて女の人は顔を上げて、壁際の若いのたちの方を見た。
「あの子は、ここで、ちゃんと食べてましたか」
若いのたちは、互いに顔を見合わせている。
代わりに答えたのは、定食屋の女将だった。
「毎日、昼はうちに来てたよ。お椀の汁の一滴まで、パンで拭ってね」
「……そうですか」
女の人は、女将に向かって深く頭を下げた。
そこへ、ギルド長が窓口の奥から出てきた。
「あんたの倅は、夏の初めにこの街へ来てから、このギルドで銀貨を八十七枚受け取った」
「八十七枚……」
「一日だって、窓口に顔を出さねえ日は無かったな」
窓口の中で、娘が顔を上げた。
「あの子、受け取るたびに、窓口の前で銀貨を数え直してたんです」
娘の声は、途中で裏返った。
「これは母ちゃんの分、これは部屋代、って。毎回、あたしの前で分けてから帰ってくんです」
女の人は、ギルド長の顔を見上げた。
「夏の終わりからは、払い出しのたびに、報酬から二割を引いてた」
「二割、ですか」
「年の終わりに払う税の、先払いみてえなもんだ」
ギルド長は懐から布の袋を出すと、女の人の手のひらに載せた。
「先に払いすぎてた分は、こうして返すことになってる」
女の人は袋を握ったまま、それを見下ろしていた。
「あの子、引かれてたんですか」
「ああ」
「仕送りは、一度も減りませんでしたよ」
女の人の手の中で、布の袋が小さく鳴った。
俺は、張り紙の前から一歩も動けずにいる。
隣で、槍の女が、担いでいた槍をそっと床に下ろした。
宿の親父が、腕に抱えてきた包みを、女の人の前に差し出した。
畳み目のついた毛布と、紐の擦り切れた革の袋だ。
「あの子の部屋にあった物だ。毛布は、あんたの分だって言ってた」
「わたしの」
「春になったら、村から呼ぶんだってな。ベッドも、もう一つ入れるって言ってた」
女の人は、毛布に顔を寄せた。
しばらくして顔を上げると、革の袋の方を手のひらに載せて、小さく笑った。
「この銅貨で、春になったら、馬車に乗るはずだったんですね」
宿の親父は、ああ、とだけ答えた。
「雪の道を、来ちまいました」
女の人がそう言ったとき、ギンが戸口の近くから歩いてきた。
兵の二人のあいだを抜けて、女の人の前で足を止める。上着のポケットから出した手に、古い鉄の鍵が載っていた。
輪に通した麻の紐の結び目が、黒く汚れている。
「宿の、あの子の部屋の鍵です。潜る前に、あたしが預かりました」
女の人は、鍵とギンの顔を見比べた。
「あなたが」
「隣の部屋なんです、あたし」
受け取ろうとして伸ばした手が、途中で止まる。女の人は、宿の親父の方を振り返った。
「これは、お返ししなきゃいけない物でしょう」
「持っていきな。合い鍵なら、うちにある」
宿の親父は、それだけ言ってそっぽを向いた。
鍵は、女の人の手のひらに載ったまま、しばらく動かなかった。
ギンはそれ以上は何も言わずに、兵の二人のところへ戻っていく。戻る途中で一度だけ、上着の袖で目のあたりをこすった。
女の人は、毛布と二つの袋と鍵を胸に抱えると、広間の皆に頭を下げはじめた。
壁際の若いのたちに。女将と宿の親父に。窓口の娘とギルド長に。
最後に、張り紙の前の俺たちの方を向いて、同じだけ頭を下げる。
茶色のコートの男が誰なのか、この人は知らないのだ。
俺は、黙って頭を下げ返した。
知らねえままで、いい。
戸口の外で、雪を踏む音がした。
宿の親父が、女の人の耳もとで何か言う。女の人は振り返ると、棺の脇を通って、戸口まで歩いていった。
大男の胸のあたりまでしか、背が無い。
女の人はその顔を見上げてから、さっきよりずっと深く頭を下げた。
「あの子を、連れて帰ってくださって」
大男は、何も言わなかった。
顔をよそへ向けて、肩の雪を、やっと手で払った。
*
昼前に、棺はギルドの荷車に載せられて、東の門から村へ帰っていった。
荷車の脇を歩いていくのは、女の人と、あいつと一緒に馬小屋から部屋へ移った若いのだ。村まで送っていくのだと、ギルド長が言っていた。
見送りから戻ってきた窓口の娘は、長い机の、棺の載っていた所ばかりを、黙って布で拭いている。
ギルド長が、俺の横に来て、窓口の方を見たまま言った。
「礼は、言われなかったな」
「言われませんでしたね」
「頭は下げられてたぞ。お前さんにも、ほかの連中と同じだけな」
「……見てましたよ」
ギルド長は返事を待たずに、残った方の手で俺の肩を一つ叩いた。
それから、窓口の奥へ戻っていく。
俺は、張り紙の前に、まだ突っ立っていた。
ギンが、戸口の方から俺の所へ歩いてくる。
「ヘイジさん、目が真っ赤ですよ」
「雪がまぶしいんだよ」
広間の窓の外は、朝からずっと曇っている。
ギンは窓の方を一度だけ見て、黙って俺の隣に立った。
そのとき、戸口の方で、広間の空気が変わった。
さっきまで外に立っていた大男が、戸の内側へ一歩だけ入ってきている。
壁際に残っていた若いのたちが、一斉に口を閉じた。
大男は広間を見回しもしないで、まっすぐ俺を見た。
「茶色いの」
槍の女が、俺の前へ半歩出る。
大男は、そっちには目もくれなかった。
「顔、貸せ」
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