↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
78/115

第78話 稼ぎの証明

 秋になって、明け方の冷え方が変わった。

 あたしの泊まっている宿は、下の通りの真ん中にある。二階の窓を開けると、すぐ下に、裏の馬小屋の屋根が見える。

 その朝、顔を洗おうと裏口を出たところで、馬小屋の戸が内側から開いた。

 藁を払いながら出てきたのは、首に一番下の札を下げた子たちだった。

 四人、五人と続いて、最後に出てきた痩せた顔が、あたしを見て目を丸くした。

 定食屋で、いつも手を振ってくれる子だ。


「お姉さん、この宿だったんですか」

「あんたこそ。ずっと、ここで寝てたの?」

「夏の初めからです。一晩銅貨一枚で、藁が使い放題なんですよ」


 あの子は笑って、髪に刺さった藁を一本抜いた。

 ゆうべは、夜中に冷たい雨が降った。馬小屋の屋根は、板の隙間から空が見えている。

 あたしの部屋は、その真上だった。


 井戸の脇では、宿のご主人が、馬に飲ませる水を桶に汲んでいた。

 白髪まじりの、背の低いご主人だ。あの子たちは、桶が馬小屋へ運ばれていくのを待ってから、ようやく井戸の水で顔を洗いはじめた。


「ご主人。二階の部屋、空いてますよね」

「空いてるよ。四つ」

「あの子たちに、貸してあげられないんですか」


 ご主人は、桶を下ろして腰を伸ばした。


「記録役さん。下の札の子はね、ひと月で半分いなくなるんだよ」

「いなくなる、って」

「潜ったきり戻らない子もいるし、稼げなくて夜のうちに街を出る子もいる」


 ご主人は、馬小屋の方を見た。


「去年部屋を貸した子は、部屋代を三月溜めて、荷物も置かずに消えちまった」

「前払いなら、どうですか」

「三月分を前に払える子なら、はなから馬小屋にはいないよ」


 言われてみれば、そのとおりだった。


「藁なら、消えられても銅貨一枚の損で済むからね」

「でも、ちゃんと稼いでる子だって、いるでしょう」

「いるだろうさ。けど、誰がいくら稼いでるかなんて、こっちには分かりようがない」


 ご主人は、また桶を持ち上げた。


「ギルドで、いくらもらってるのかもね」


 井戸の方で、あの子がくしゃみを一つした。


     *


 昼過ぎ、ギルドの長椅子で、ヘイジさんにその話をした。

 ヘイジさんは、払い出しの窓口の方を見たまま、黙って聞いていた。

 顔の痣は、もうほとんど消えている。口の端に、小さな傷の痕が残っているだけだ。


「下の札が馬小屋で寝てようが、税の話じゃねえだろ」

「そうですけど」

「宿の主が誰に部屋を貸すかは、宿の主の勝手だ」


 長椅子の端で、槍の女の人が口笛を吹いた。


「冷たいねえ、調査官さん」

「冷たかねえよ。俺の関わる話じゃねえって言ってんだ」


 ヘイジさんはそれきり、窓口の方に目を戻してしまった。

 窓口では娘さんが、冒険者に報酬を渡すたびに、横の箱へ二割を落としている。

 銀貨が鳴るたびに、ヘイジさんの目がそっちへ動いた。

 あたしは、それ以上は言わなかった。


     *


 その晩、宿の一階で晩ご飯を食べていると、戸口から茶色のコートが入ってきた。

 後ろに、槍の女の人と弓の男の人がついている。

 ヘイジさんは、あたしの向かいの椅子を勝手に引いて座った。


「何しに来たんですか」

「飯だよ。ここの宿の飯がうまいって、槍のが言うもんでな」

「あたし、そんなこと一言も言ってないよ」


 戸口の柱に寄りかかったまま、槍の女の人が言った。

 ヘイジさんは聞こえないふりをして、奥さんに今夜の皿を頼んだ。

 出てきたのは、鶏の腹に麦を詰めて焼いたものだった。ヘイジさんは、皮のぱりぱりした所から食べはじめる。

 戸口の槍の女の人も、いつの間にか隣の机に座って、同じ皿を頼んでいた。


「なんだ、うまいじゃないか、ここ」


 槍の女の人がそう言うと、ヘイジさんは、皿から顔も上げずに返した。


「だから、言ったろ」

「言ってないってば」


 あたしが半分も食べないうちに、ヘイジさんの皿には骨しか残っていなかった。

 ご主人が、空いた皿を下げに来た。


「ご主人。二階が四つ、空いてるそうですね」


 ご主人は、皿を持ったまま、あたしの方をちらりと見た。


「記録役さんから聞いたのかい」

「ええ。空いた部屋ってのは、一枚の儲けにもならねえでしょう」

「ならないね。だからって、誰にでも貸すわけにはいかないよ」

「でしょうね」


 ヘイジさんは、鶏の骨を皿の端に寄せた。


「下の札の連中はね、先月から、ギルドで報酬をもらうたびに一枚もらってるんですよ」

「何をだい」

「引かれた額を書いたのを」

「それが、何だってんだい」

「何でもありません。もらってるって、だけの話です」


 ヘイジさんは皿の横に銅貨を三枚置くと、立ち上がった。

 あたしも椅子を立って、戸口までついていく。


「ヘイジさん。今の、それだけですか」


 ヘイジさんは、戸に手をかけたまま、振り返らなかった。


「空いた部屋は、税にならねえからな」


 戸が閉まった。

 槍の女の人は、あたしの顔を見て肩をすくめると、弓の男の人と一緒に出ていった。


 机に戻ると、ご主人が、ヘイジさんの座っていた椅子の背に手を置いて、突っ立っていた。

 唇が、小さく動いている。


「……引かれたのが二割で、それが銀貨一枚なら」


 ご主人は指を一本立てて、それから、片方の手のひらを開いた。


「稼ぎは、銀貨五枚ってことか」


 台所の戸口から、奥さんが顔を出した。


「何をぶつぶつ言ってるのさ」

「ギルドで引かれた額が分かりゃ、あの子らの稼ぎも分かるってことだよ」

「分かったら、どうするんだい」


 ご主人は、すぐには答えなかった。

 天井の方を見上げている。二階の、空いた四つの部屋の方だ。

 あたしは、夏のあの晩を思い出していた。

 ギルドの窓口で、払い出しのやり方を一つずつ決めていった晩だ。

 引いた額を一人ずつ書いて渡してやれと言い出したのは、ヘイジさんだった。窓口の娘さんは、手間が倍になると泣きそうな顔をしていた。


     *


 次の朝、窓の下で、ご主人の大きな声がした。


「おい、起きな。ギルドでもらった紙をひと月分持ってる子は、晩にカウンターへ来な」


 その日の夕方、宿のカウンターの前に、下の札の子たちが並んだ。

 ご主人は、一番前の子から小さな紙の束を受け取った。

 手のひらに載るほどの紙が、六枚。ギルドの印の下に、引いた額が一行ずつ書いてある。

 ご主人はそれを一枚ずつ灯りにかざして、目を細めて読んでいった。


「ひと月で、銀貨三十枚とちょっとか」


 その子は、首をすくめた。


「悪くないじゃないか」


 ご主人は紙の束を返すと、カウンターに肘をついた。


「ただし、部屋代はギルドの払い出しの日に、その足で持っておいで」

「はい」

「部屋は狭いよ。ベッドを一つ入れたら、もう何も置けやしない。それで、ひと月銀貨五枚だ」

「馬小屋より、ずっと広いです」


 その子が言うと、後ろに並んだ子たちがくすくす笑った。


 ご主人の後ろで、奥さんが鍵の束を鳴らした。

 三番目に並んでいた子は、紙を二枚しか持っていなかった。


「先月の半分は、足を挫いて潜れなかったから……」

「二枚じゃ、まだ分からないよ」


 ご主人は、二枚をその子に返した。


「来月、ひと月分そろえて持っておいで。そしたら貸してやる」

「……はい」


 その子は二枚を握って、裏口の方へ戻っていった。

 少し足を引きずっていた。


 あの子の番が来た。

 ご主人はあの子の紙を一枚ずつ読んでうなずくと、カウンターの下から鍵を一つ出した。

 古い鉄の鍵で、輪に麻の紐が通してある。


「二階の一番奥の、記録役さんの隣の部屋だ」


 あの子は、すぐには手を出さなかった。

 カウンターの上の鍵を、じっと見ている。それから、ズボンで両手をごしごし拭いた。

 拭き終わってからも、もう一度拭いて、それからやっと鍵を受け取った。

 あの子は、笑っていなかった。口を少し開けたまま、手のひらの上の鍵を見下ろしている。

 鍵の重さを、確かめているみたいだった。


「お姉さん」


 あの子は、鍵から目を離さないまま言った。


「おれ、自分の鍵って、初めてもらいました」

「……うん」

「村の家の戸には、鍵なんか付いてなかったから」


 あの子は鍵の紐を、首の札と同じ紐に通そうとした。

 うまく通らなくて、そこでやっと、少しだけ笑った。


「ここなら、母ちゃん、呼べるかな」

「ベッド、一つしか入らないって」

「もう一つ、詰めて入れてもらえば」


 カウンターの内側で、ご主人がわざとらしく咳払いをした。


「入れるんなら、部屋代も詰めて上げるよ」


 あの子は慌てて頭を下げると、一番前の子と並んで、階段を駆け上がっていった。


 その晩は、隣の部屋が遅くまでうるさかった。

 ベッドが、ぎしぎし鳴る。寝返りばかり打っているらしい。

 そのうちに、ひとりで小さく笑う声まで聞こえてきた。

 壁を叩いて静かにさせようかと思って、やめた。

 窓の下の馬小屋は、ゆうべより、ずっと静かだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。