第74話 誰の金庫
東の街道へ出る門の脇に、運び屋たちの馬留めがある。
まだ日の出前だというのに、馬留めの中では、もう荷車に馬をつなぐ音がしていた。
俺が探していたのは、そのうちの一台の脇で、馬の腹帯を締めている年寄りだった。
大問屋の荷車を、王都まで二十年引いてきた男だ。三日前に初めて話を聞いたときは、荷車の数までしか言わなかった。
「また来たのかい、調査官さん」
「ええ。王都に着いてからの話を、まだ伺ってなかったもんで」
年寄りは腹帯から手を離さずに、俺の後ろへ目をやった。
護衛の兵の二人が、馬留めの入口に立っている。年寄りはそれを見て、口をへの字に曲げた。
「兵隊を連れて聞きに来られちゃ、しゃべりにくくてかなわねえ」
「あの二人は、俺の見張りじゃありませんよ。俺が殴られないように付いてるだけです」
「なおさら、物騒じゃねえか」
年寄りは、ぐいと腹帯を締め上げた。
馬が、迷惑そうに首を振っている。
「王都の店で荷を下ろすとな、向こうの番頭が、荷台の前で金貨を数えて渡すんだ」
「一台で、いくらです」
「百枚だよ。深い所の鱗だの角だのを積んだ日にゃ、もっと出る」
「それを、毎月十台」
「多い月はな」
年寄りは、そこでやっと俺の顔を見た。
「わしは金を受け取って、帰りに旦那に渡すだけだ。書いたもんなんか、一枚も無いぞ」
「書いたもんは要りませんよ。あなたが見たことを伺えれば、それで十分です」
「旦那の前で言え、ってんなら、わしは言わねえからな」
「言わせませんよ」
隣で、ギンがちらりと俺の顔を見上げた。
年寄りは少しのあいだ黙っていたが、やがて手綱を取って、御者台に上がった。
「この馬はな、旦那の馬じゃねえ。わしの馬だ」
年寄りはもうこっちを見ずに、手綱を鳴らした。
荷車が、まだ暗い街道へ出ていく。荷台に被せた布の下で、何か硬い物どうしが当たる音がしていた。
*
広場へ向かう道は、武具屋の並ぶ通りを抜けていく。
朝のうちから、どの店の奥でも槌の音が鳴っていた。
そのうちの一軒の前で、白い髭の鎧師の親方が、炉の火を起こしながら、俺を呼び止めた。三日前に、深い所の鱗の値を教えてくれた親方だ。
「今日、行くのかい。裏の倉の旦那のとこへ」
「行きますよ」
「あの旦那、この春にも鱗の値を上げやがったんだ。王都の鎧師に売る値に合わせるってな」
親方は、ふいごを踏む足を止めなかった。
「この街で鱗を叩いてる者は、皆、あの旦那から買うしかねえんだよ」
「でしょうね」
「わしの名前は、出すなよ」
「出しませんよ」
「出さねえんなら、何べんでも話してやる」
親方は、炉の方へ向き直ってしまった。
背中を向けたとたんに、店の奥で、また槌が鳴りはじめる。
大問屋の店は、ギルドと買取所が向かい合う広場から、通りを一本入った所にある。
表の店には、素材が一つも並んでいなかった。磨いた木のカウンターと、壁際の長椅子があるだけで、ここで何を商っているのか、知らない者には見当もつかないだろう。
素材が運び込まれるのは、裏の倉の方だ。
奥から出てきた大問屋は、四十を少し過ぎたくらいの、指の細い男だった。
「これは、上席調査官どの。朝からお越しいただけるとは」
大問屋は俺とギンを長椅子に座らせると、自分は向かいの椅子に腰を下ろした。
護衛の兵の二人は、戸口の内側に立ったままだ。店の若い者が、盆に載せた杯を四つ運んでくる。冷やした果実の水らしく、杯の外側に細かい滴がついていた。
「夏の朝は、これに限ります。どうぞ」
「せっかくですが、仕事中なもんで」
「それは残念です。兵隊さん方も、いかがです」
兵の二人が首を横に振っても、大問屋は気を悪くした様子もない。自分の杯だけを取って、うまそうに一口飲んでいる。
「それで、今日は」
「おたくの、この五年分の商人税の話です」
「申告でしたら、毎年きちんと出しておりますよ」
「ええ。毎年、儲けは百枚ほどでしたね」
大問屋は、杯を持ったままうなずいた。
「おたくの荷車は、月に十台、王都へ上っています」
「よくご存じで」
「王都で荷を下ろすと、一台につき、金貨が百枚出るそうです」
「さあ、どうでしょう。荷によって違いますので」
「冒険者から買い取る値は、その二割ほどだと聞きました」
「ほう」
「ギルドの買取所の倍で買っても、それくらいだそうですね」
大問屋は、杯をそばの小卓に置いて、細い指を膝の上で組んだ。
「つまり、一年でざっと一万枚の儲けになります。申告の百倍です」
「なるほど」
「五年分の儲けに二割、隠していた分の加算を半分乗せますと、金貨一万五千枚になります」
店の若い者が、盆を持ったまま固まっている。
それなのに大問屋の方は、眉一つ動かさなかった。
「荷車の数は、どなたがお数えに」
「お名前は申し上げません」
「金貨を数える番頭の話は、どなたから」
「それも、申し上げません」
大問屋は、柔らかく笑った。
「お名前も出せない方々のお話で、一万五千枚ですか」
「お名前を出したら、その人たちは明日から、おたくの荷を引けなくなりますからね」
「そうでしょうな。うちの荷を引かない運び屋に、この街で仕事はございません」
当たり前のことのような言い方だった。
実際、この街じゃ当たり前なんだろう。
「素材の商いというのは、上席どの、その場で金を払って、その場で終わるものです」
「そうでしょうね」
「書き残すような物は、何もございません。帳簿など、つけようがないのです」
「つけようがないから、つけてない。そういうことですか」
「ええ。そういうことです」
大問屋はしばらく黙って俺の顔を眺めていたが、やがて、少しだけ声を落とした。
「この店はですね、私の物というより、一族の金庫のようなものでして」
「一族、ですか」
「叔父が王都で、人の行き先を決めるお役目をしておりましてね」
戸口の方で、鞘が壁に当たる小さな音がした。
振り返ると、若い方の兵が、剣の鞘を押さえたところだった。年かさの方は、足もとの床を見ている。
「上席どのが次にどの土地へ行かれるかも、一度は叔父の机の上を通るのですよ」
「そうですか」
「ですから、この店の金のことは、叔父も気にかけております」
脅すような声は、少しも出さない。
「どなたの金庫に入るお金でも、隠した分は、隠した分ですよ」
俺がそう言うと、大問屋は、組んでいた指をほどいた。
「払っていただけないなら、署の方で更正させてもらいます」
「どうぞ、ご随意に」
「異議がおありなら、署で伺います」
「異議でしたら、王都へ出しましょう。叔父のいる王都の方が、何かと話が早いので」
大問屋は立ち上がって、手のひらで戸口の方を示した。
俺も立ち上がった。ギンの前の杯には、最後まで誰も手をつけなかった。
*
店を出て、広場の方へ歩きはじめたところで、ギンが小声で言った。
「ヘイジさん。叔父って、宰相閣下のことですよね」
「だろうな」
「兵隊さんたち、顔が真っ白でした」
後ろを歩く二人の足音が、さっきより少し重い。
店を出てから、二人とも一言もしゃべっていなかった。
「そんなお身内の店を、本当に更正するんですか」
「誰の金庫かなんて、関係ねえよ。脱税は脱税だ」
ギンは、少し黙って歩いた。
「次官は、それを分かってて、ヘイジさんをこの街に寄越したんですよね」
「分かってなきゃ、寄越さねえだろうな」
「使われてるって、分かってて、やるんですか」
「使われてようがいまいが、一万五千枚は一万五千枚だ」
俺は、指を一本立てた。
「一割なら、千五百枚だぞ」
「……今、それを言いますか」
「今だから言うんだよ。神殿の九百枚が、かすんじまう」
ギンは呆れた顔で、俺から目をそらした。
そらした先で、ギンの足が止まった。
振り返ると、さっきの店の戸口に、大問屋が立っていた。
見送りに出てきたらしい。細い指を前で組んで、こっちに向かって柔らかく笑っている。
その目は、俺の方を見ていなかった。
俺の後ろに立つ、王都の兵の二人を見ていた。年かさの方の顔を眺めて、それから若い方の顔へ、ゆっくりと目を移していく。
一人ずつ、覚えておこうとするような見方だった。




