第73話 最強
ギルドの払い出しの窓口には、昼過ぎから冒険者の列ができていた。
来月から報酬の二割が引かれるという話は、もう街じゅうに回っている。引かれる前の報酬を、今のうちに受け取っておこうという腹らしい。
気持ちは分かる。俺だって、歩合が減ると聞いたら、明日の分まで今日のうちにもらいに行く。
ギルド長は窓口の奥で、片方しかない腕を机について、その列を眺めていた。
「窓口に来た連中が、何を聞いていくか分かるか」
「さあ」
「あの大男も引かれるのか、だとよ。どいつもこいつも、それしか聞かねえ」
ギルド長は、列の先頭の冒険者に目をやった。
受け取った銀貨を、窓口の前で一枚ずつ数え直している。
「あいつが引かせなきゃ、ほかの奴らも引かせやしねえ。引かせた奴だけが損をするんだからな」
「でしょうね」
「あいつは今日、北の口から上がってくる。十日潜ったら、上がってきて十日飲む。昔からそういう奴だ」
「だったら、飲みはじめる前に会っときますよ」
「会って、どうする」
「払ってもらう話をします」
ギルド長は、鼻を一つ鳴らした。
「前の調査官は、あいつの顔を見ただけで、何も言わずに帰ってったぞ」
「顔なら、俺の方がよっぽど悪いですよ」
ギルド長は、返事をしなかった。
代わりに窓口の娘が、こっちを見て口を押さえている。
*
三つあるダンジョンの口のうち、一番深いのは、街の北の外れにある。
岩山の腹に、荷車がそのまま入っていけるほどの穴が開いていた。夏の夕方だというのに、穴の奥からは冷たい風が吹き上げてくる。
口の前の広場では、干し肉と水袋を売る屋台が、そろそろ店じまいを始めていた。
俺とギンは、屋台の脇の空き箱に腰を下ろして待っていた。
護衛の兵の二人は、俺たちの後ろに立っている。二人とも腰に剣を下げているものだから、広場の冒険者たちは、こっちを遠巻きにしか見ようとしない。
歩合取りに、王都の兵隊が二人。嫌われる材料が、これほどそろうこともねえな。
待っているのは、俺たちだけじゃなかった。
穴の正面には、荷台を空にした荷車が一台、横付けにされている。御者台で煙草をふかしているのは、前掛けをした痩せた男だった。
大問屋の倉の、裏口に立っていた番頭だ。
「ヘイジさん。あの荷車、ギルドの荷車じゃありませんよね」
「違うな」
「何を積みに来たんでしょう」
「俺たちと同じもんを、待ってるんだろうよ」
荷車の向こうでは、若い冒険者が十人ばかり、輪になってしゃがんでいる。
首から下げているのは、みんな一番下の札だ。その中の一人に、ギンが小さく手を振った。
痩せて、まだ子供みたいな顔をした若いのだった。手を振り返しかけたところで俺のコートに気づいたらしく、慌ててその手を膝に戻している。
「定食屋で会った子です」
「仕送りしてるって奴か」
「はい。今日あの人が上がってくるのは、下の札の人たちならみんな知ってるんですって」
日が岩山の向こうに落ちかけた頃、穴の奥で、何か重い物を引きずる音がした。
しゃがんでいた若いのたちが一斉に立ち上がったところへ、穴の口から、大男が一人のっそりと出てくる。
肩に担いでいるのは、大人の背丈ほどもある、ねじれた角だった。根元には、まだ乾ききらない黒い血がこびりついている。
大男がそれを石畳に下ろすと、広場の地面がずしんと鳴って、若いのたちの間から、歓声とも溜息ともつかない声が上がった。
袖の無い革の胴着から出ている腕は、俺の胴まわりくらいありそうだ。
あの腕が相手なら、殴られる前に倒れておいた方が、よっぽど話が早え。
番頭が御者台から飛び降りてきて、大男の前で揉み手をしている。
「お疲れさまでございます。旦那が、倉でお待ちしております」
「おう」
大男が角を担ぎ直そうとしたところで、俺は空き箱から腰を上げた。
角と荷車のあいだに立つと、大男が俺を見下ろした。見下ろしたまま、鼻で笑っている。
「ギルドの隅で見てた、茶色いのか」
「ええ。机を持ち上げてらしたときに、隅におりました」
「だったら、聞いてたろ。俺の報酬から一枚でも引いたら、ギルドを畳ませるってな」
「聞いてましたよ」
「俺は最強だから、払わねえ。話はそれで終わりだ」
「その報酬の話なんです。来月から、ギルドは報酬を払うときに、先に二割を引いて署に納めます」
「だから、引いたら畳ませるって言ってんだろうが」
「引かせないっておっしゃるなら、ギルドはあなたに報酬を払えなくなりますよ」
大男の眉が、片方だけ上がった。
「何でだ」
「引かずにあなたに払ったら、その二割は、ギルドが自分の金庫から署に納めることになってるんです」
「ギルドが、俺の分を払うってのか」
「払わされるんですよ。あなたの税を、ギルドが肩代わりする筋合いはありませんからね」
「……」
「ですから、引かせてくれない人には、ギルドは依頼を出せなくなるんです」
大男は、しばらく黙って俺の顔を見ていた。
それから喉をそらして、広場じゅうに響くような声で笑い出した。
「依頼なんざ、向こうから来る」
大男は、顎で荷車の方をしゃくってみせた。
「ギルドの張り紙なんか、ここ三年は見てもいねえよ」
大男は、角の根元にこびりついた血を、親指の爪でこそげ落とした。
「深い所の物は、倉の旦那が直に頼んでくるんだ」
「直に、ですか」
「何の角を何本、何の鱗を何枚ってな。持って上がりゃ、ここで荷車が待ってる」
大男の後ろで、番頭が愛想よく頭を下げた。
「うちの旦那は、ギルドの買取所の倍でお引き取りしております」
倍で買い取っても、王都へ持っていけば、まだ儲かるってことか。
だから帳簿もつけずに、番頭を荷車ごと、ダンジョンの口まで迎えにやるわけだ。
地面に転がった角一本でこれなら、倉の旦那の儲けは、いったいどれだけになるんだか。
追徴の額が膨らむ話なら、俺は嫌いじゃねえ。
「それと、もう一つ。これまで払ってこなかった五年分があります」
「五年だと」
「ええ。そっちは、これから数えさせてもらいます」
「数えりゃいいさ」
「数え終わったら、額を言いに伺いますよ」
「好きにしろ。言いに来るのは、そっちの勝手だ」
大男の目が、俺の肩ごしに後ろへ移った。
剣を下げた二人の兵を、上から下まで眺めている。
「王都の兵隊を二人も連れて、税の取り立てか」
「護衛ですよ。俺が弱いもんでね」
「この街が魔物に潰されかけた年にゃ、王都から兵隊なんざ一人も来なかったがな」
兵は二人とも、返事をしなかった。
年かさの方の兵が、剣の柄にかけていた手を、そっと下ろしたのが見えた。
大男はそれきり俺には目もくれずに、角を軽々と担ぎ上げた。
荷車へ向かう途中で、一番下の札の若いのたちの前を通る。若いのたちは、道を空けるのも忘れて大男を見上げていた。
大男は、ギンが手を振った痩せた若いのの前で足を止めた。
角の先の、欠けかけていた所を指でつまんで、ぱきりと折り取る。
「持ってけ。買取所に持ってきゃ、銀貨一枚にはなる」
若いのは、両手でそれを受け取った。
礼も言えずに、角のかけらを胸に抱えたまま突っ立っている。番頭が何か言いたそうな顔をしたが、大男に睨まれて、黙って御者台に戻っていった。
買取所に持っていったら、来月からは、そこから二割が引かれるんだがな。
そう思っていたら、痩せた若いのが、角のかけらを抱えたまま俺の前までやってきた。
ギンの方をちらりと見てから、俺のコートに目を戻す。
「調査官さん。これも、二割引かれるんですか」
「来月からはな」
「じゃあ、今日のうちに売りに行けば」
「今日売ったって来月売ったって、年の終わりに払う額は同じだよ」
「同じなのに、なんで先に引くんですか」
「年の終わりまで銀貨を取っとける奴なんか、お前らの中に何人いるよ」
若いのは、少し考える顔をした。
それから、ぺこりと頭を下げて、買取所の方へ駆けていく。結局、今日のうちに売っちまう気らしい。
まあいい。銀貨一枚の二割を数えるのは、俺の仕事の中でも一番みみっちい。
大男の方は、とっくに角を荷台に放り上げて、荷車と並んで歩きだしていた。
夕日の中を遠ざかっていく背中には、胴着の脇からはみ出すほど、古い傷が走っている。
広場に残った若いのたちは、まだその背中を目で追っていた。
護衛の兵の二人は、どちらも俺の方を見ない。
隣では、ギンが黙って、大男の背中を見ていた。
唇が、小さく動いている。膝の上で、指が一本ずつ折れていった。
片方の手の指を折りきって、もう片方の手に移る。
荷車が通りの角を曲がって見えなくなっても、ギンの指は、まだ開かなかった。




