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第72話 一番下の札

 あたしの泊まっている宿は、下の通りの真ん中にある。

 この街に着いた日、署の裏の宿には、部屋が一つしか空いていなかった。ヘイジさんは、そっちに泊まっている。

 下の通りは、ギルドのある広場から坂を一本下りた所だ。

 安宿と古着屋が軒を並べていて、すれ違う冒険者の首の札は、どれも一番下のものだった。


 夏のはじめのその日も、あたしは朝からギルドの長椅子で、ヘイジさんの隣に座っていた。

 ヘイジさんは、払い出しの窓口から目を離さない。署長が内規を決めてからは、毎日こうだ。窓口の娘さんが銀貨を並べるのを、ただ眺めている。

 昼の鐘が鳴ると、ヘイジさんはコートのポケットから、固そうなパンを一つ出した。

 それをかじりながら、もう片方の手で、銀貨を一枚こっちへ放ってよこす。


「お前は、何かまともなもん食ってこい」

「ヘイジさんは、それだけですか」

「俺はこれでいいんだよ」

「でも」

「記録役が昼から腹を鳴らしてたら、窓口の相手に舐められるだろうが」


 そう言ったきり、ヘイジさんは、窓口の方を向いたままだった。

 パンをかじる口だけが、やけに忙しく動いている。

 あたしは銀貨を握って、ギルドを出た。

 宿の奥さんに、昼を食べるならどこがいいかと前に聞いたら、通りの角の定食屋を教えてくれたのだ。


「女将さんが一人でやってる店だよ。安くて、量だけはある」

「だけ、なんですか」

「味は、食べてから自分で決めな」


 坂を下りて、その定食屋の戸を開けた。

 狭い店だった。机が五つと、壁際に細い長椅子が一つ。どの席も、一番下の札を下げた若い冒険者で埋まっている。

 あたしが戸口に立つと、手前の机の子たちが、一斉にこっちを向いた。


「あれ、歩合取りの連れじゃねえか」

「銀色の頭の。ギルドの長椅子に、ずっと座ってる奴だろ」


 奥の席から、そういう声が聞こえてくる。

 聞こえるように言っているのだから、聞こえないふりをするのも変だ。

 あたしは、空いている席を探した。どこにも無い。

 カウンターの向こうから、前掛けをした女の人が顔を出した。五十に近いくらいで、腕まくりをした腕が太い。


「入るのかい、入らないのかい」

「入ります。席が、無いんですけど」

「詰めりゃあるよ。そこの坊や、ちょいと寄っとくれ」


 女将さんが顎で示したのは、壁際の長椅子だった。

 端に座っていた痩せた男の子が、慌てて尻をずらして、あたしの分の隙間を空けてくれる。

 男の子といっても、首には一番下の札を下げていた。顔は子供みたいなのに、指の節だけが妙に太い。


「ありがとう」

「い、いえ」


 座ると、女将さんがカウンター越しに言った。


「うちは、皿が三つしかないよ。一番安いのと、いつものと、一番高いの」

「いつもの、っていうのは」

「腸詰めと蕪の煮込み。たいていの子は、それを頼むね」

「じゃあ、それをください」


     *


 皿が来るまでのあいだ、隣の男の子は、あたしの方を何度も横目で見ていた。

 見ては、すぐに自分の皿に目を戻す。皿の上には、あたしが頼んだのと同じ、腸詰めと蕪の煮込みが載っていた。

 三度目に目が合ったところで、男の子の方が口を開いた。


「お姉さん、調査官の人なんですか」

「記録役です。調査官の、隣で書く方」

「書く方」

「調査官が何を言ったか、相手が何を言ったか。あとで誰にも、嘘をつかせないためです」


 男の子は、分かったような分からないような顔でうなずいた。

 それから、少し声を小さくする。


「あの調査官さん、怖くないんですか」

「目つきが悪いだけです」

「だけ、なんですか」

「あと、お金の話になると、すぐ顔に出ます」


 男の子は、ぽかんとしてから、小さく吹き出した。

 向かいの机にいた、首の太い冒険者が、杯を置いてこっちを向く。


「記録役だろうが何だろうが、歩合取りの手下だろ。俺らの稼ぎから取った分で、肥えてんだろうが」

「あたしには、歩合は付きません」

「嘘つけ」

「付かないんです。記録役は、お給金だけです」

「いくらだよ」

「週に、銀貨四枚」


 首の太い冒険者が、杯を持ったまま目をむいた。


「四枚だと。俺が一日で稼ぐ分より少ねえじゃねえか」


 すると、隣の机の男が、杯を持ったまま吹き出した。


「お前が一日で四枚も稼いだことなんか、あったかよ」


 店のあちこちで、笑い声が上がった。

 首の太い冒険者は、顔を赤くして、杯を口に当てている。

 カウンターの向こうで、女将さんが鍋をかき混ぜながら笑っていた。


「あんた、正直だねえ。そんなもん、聞かれたって普通は言わないよ」

「聞かれたので」

「聞かれたら、何でも答えるのかい」

「嘘は、つけないので」


 女将さんは、もう一度笑って、あたしの前に皿を置いた。

 腸詰めが二本と、柔らかく煮えた蕪が三つ。煮汁が、皿の縁すれすれまで張ってある。

 腸詰めをかじると、脂と一緒に、香草の匂いが口の中に広がった。

 量だけじゃない。ちゃんと、おいしい。

 ヘイジさんの固いパンとは、比べものにならない。

 この皿なら、もらった銀貨一枚で十皿は食べられる。お釣りは、返した方がいいんだろうか。


     *


 それから、隣の男の子は、少しずつしゃべってくれるようになった。

 この街に来たのは、つい十日ほど前だという。

 東の山の奥の村の出で、村には、母親が一人で残っている。父親は、男の子が小さい頃に、山で死んだらしい。


「村じゃ、畑だけじゃ食えなくて。こっちで稼いで、母ちゃんに送ってるんです」

「仕送りしてるの」

「はい。月に一度、村の方へ行く乗合馬車の御者さんに頼んで」

「お母さん、喜んでるでしょう」

「御者さんが、帰りに母ちゃんの顔を見てきてくれるんです。元気だったぞって、それだけ」


 男の子は、腸詰めを半分だけかじって、残りを皿の端によけた。

 それから、皿の煮汁にパンを浸して、そっちを先に食べはじめる。


「腸詰めは、最後に食べるの?」

「好きなもんは、最後です」


 男の子は、ちょっと照れたように笑った。

 向かいの机の冒険者たちが、さっきから、こっちの話に耳を立てている。


「お姉さん。こないだの、見ました?」

「こないだの?」

「ギルドの机。あの人が、片手で持ち上げたって」


 男の子の目が、急に光った。

 まわりの若い冒険者たちも、一斉にこっちを向く。


「見ました。あたし、広間の隅にいたので」

「本当に、片手だったんですか」

「片手でした」

「すげえ」


 男の子は、パンを持ったまま、自分の細い腕を見下ろした。


「おれも、いつか深い所まで潜れるようになったら、ああなれるかな」

「なってどうすんだよ」


 首の太い冒険者が、横から茶々を入れた。


「机を持ち上げるのか」

「持ち上げねえよ。母ちゃんを、村から呼ぶんだよ」


 男の子は、むきになってそう言ってから、自分で赤くなった。

 まわりの冒険者たちは、今度は笑わなかった。

 何人かが、黙って自分の皿に目を落とす。この店にいるのは、たぶん、どこかの村から稼ぎに出てきた子ばかりなのだ。

 あたしだって、母さんを最初の街に置いてきている。


     *


 皿が空きかけた頃、首の太い冒険者が、杯を置いてあたしの方を見た。

 さっきまでの赤い顔は、もう引いている。


「なあ、記録役の姉ちゃん。夏の終わりから、ギルドが報酬を二割引くって話は、本当か」


 店の中が、また静かになった。

 女将さんの鍋をかき混ぜる手が、止まっている。


「本当です」


 あたしは、そう答えた。

 ここで嘘をついたら、きっと、この店の誰もあたしと口をきかなくなる。嘘をつかなくたって、きかなくなるかもしれないけれど。


「署長が、そう決めました。夏の終わりの月から、ギルドの払い出しと、買取所で引きます」

「あの歩合取りが、言い出したんだろ」

「言い出したのは、ヘイジさんです」


 首の太い冒険者は、舌打ちをした。

 それでも、それ以上は何も言わなかった。

 杯の残りを一息に飲んで、銅貨を机に叩きつけるように置いていく。

 女将さんはその銅貨を黙って拾うと、前掛けのポケットに落とした。

 隣の男の子は、何も言わずに、皿の端によけていた腸詰めを見ていた。

 それから、それを指でつまむと、ゆっくり口に入れる。

 ゆっくり噛んで、飲み込んで、あたしの方を向いた。


「二割かあ」


 男の子は、笑っていた。


「じゃあ、母ちゃんへの仕送り、減っちゃうな」


 笑ったまま、皿に残った煮汁を、パンの端で最後の一滴まで拭っている。

 カウンターの向こうで、女将さんが、黙って鍋に蓋をした。


お読みいただき、ありがとうございます。

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