第71話 手数料
大男は、俺の方を一度見ただけで、それ以上は何も言わなかった。
持ち上げていた机を、そのまま床に下ろす。
下ろしたというより、手を放したのに近い。石の床がどんと鳴って、机の脚が一本、根もとから裂けた。
大男は窓口の奥のギルド長をもう一度だけ見下ろすと、来たときと同じように、誰の顔も見ないで広間を出ていった。
戸口の外の番頭も、いつの間にかいなくなっている。
広間に、話し声が戻ってくるまでには、しばらくかかった。
机の下に転がった銀貨を、冒険者たちが這いつくばって拾っている。誰の銀貨なのか、もう誰にも分からないらしい。
俺は、靴の先の一枚を拾って、窓口の娘に渡した。
「机の上に、ありましたよ」
「……ありがとうございます」
娘の手は、まだ少し震えていた。
脚の割れた長い机の下では、冒険者が二人がかりで、割れた所に木切れを噛ませている。机の方は、それでもまだ少し傾いていた。
*
払い出しの窓口が閉まって、冒険者たちが酒場へ流れていっても、ギルド長は奥の机から動かなかった。
俺がその机の前に立つと、ギンは俺の後ろに、兵の二人は戸口に控える。
ギルド長は、脚の割れた長い机の方を、顎で示した。
「見たろう。あれが、この街で一番の稼ぎ頭だ」
「見ましたよ」
「ギルドを畳ませる、だとよ」
「畳ませられそうでしたね」
「あいつなら、本当にやる。やる気になりゃ、今夜のうちにだってな」
ギルド長は、机についた腕に顎を載せるようにして、俺を見上げた。
「それでも、まだ引けってのか」
「ええ。今日は、得の方の話を持ってきました」
「得だと」
「引いてもらった分の一割を、署からギルドに払います。手数料です」
ギルド長の目が、少しだけ細くなった。
「……順に言え」
「ギルドが報酬を払うとき、買取所が代金を払うときに、先に二割を引いて、署に納めてもらいます」
「それは聞いた」
「冒険者は、一年の終わりに、自分の一年の稼ぎを数えます。数えた税と、引かれた分を比べるんです」
「比べて、どうする」
「引かれすぎてたら、署が返します。足りなけりゃ、その分を払ってもらいます」
「で、うちには」
「ギルドが引いて納めてくれた額の一割を、署から手数料として払います」
ギルド長は、黙った。
黙ったまま、片方の指で、机の上を一つずつ叩いていく。
「うちの窓口と買取所から出ていく金は、一年で、金貨にして四万枚ってとこだ」
「その二割で、八千枚です」
「八千枚の一割が」
「八百枚。毎年です」
ギルド長の指が、止まった。
戸口の近くで、兵の若い方が、小さく口笛を吹きかけて、年かさの方に肘で突かれている。
「依頼人からもらう手数料と、同じ一割か」
「ええ。ギルドは、依頼人から一割、署から一割。両方からもらえます」
「冒険者が、皆、裏へ流れちまったら、八百枚もへったくれもねえぞ」
「裏の倉が買うのは、深い所の物だけでしょう」
ギルド長は、眉を上げた。
「買取所の親父さんに聞きました。上の札の連中も、浅い所の物はこっちへ持ってくるそうですね」
「深い所のは、裏へ回してもな」
「ええ」
「それで」
「それに、裏の倉は、依頼を出しません」
俺は、奥の壁の張り紙の方を見た。
隊商の護衛。畑を荒らす魔物の退治。薬草の採集。どれも、ギルドの窓口でしか受けられない仕事だ。
「深い所に潜れるのは、上の札の、そのまた一握りですよね。ほかの連中は、ここの張り紙で食ってる」
「張り紙を見ねえで食っていけるのは、あいつくらいのもんだ」
「でしたら、裏へ流れたくても、流れきれないでしょう」
ギルド長は、また黙った。
今度は、指も動かさない。
ギンが、俺の後ろで息をひそめているのが分かる。
やがて、ギルド長が小さく笑った。
「お前さん、歩合取りのくせに、自分の取り分の話を一つもしねえな」
「付かないんですよ、これが」
「一枚もか」
「一枚もです」
「そいつは、気の毒にな」
気の毒だと思うんなら、少しは顔をそれらしくしろよ。
ギルド長は、俺の顔を見て、今度は声を立てて笑った。
「いいだろう。乗ってやる。ただし、内規にしろ」
「署長に、ですか」
「署長の名前で決めさせろ。お前さんが来年どこかへ飛ばされても、八百枚が止まらねえようにな」
ギルドを出ると、広場の酒場の灯りが、石畳の上に長く伸びていた。
春とはいっても、山すその夜はまだ冷える。ギンが、上着の前をかき合わせた。
「一割を、ギルドにあげちゃうんですね」
「あげるんじゃねえよ。引く手間賃だ」
「ヘイジさんの歩合と、同じ割合です」
「だから、いいんだよ」
「何がですか」
「一割もらえりゃ、人は動く」
ギンが、横から俺の顔を見上げた。
「……ヘイジさんが言うと、説得力がありますね」
「だろ」
褒められたんじゃねえことくらいは、分かってる。
*
署長は、春のあいだじゅう、首を縦に振らなかった。
俺が二階の署長の部屋へ行くたびに、額を拭く布が一枚ずつ増えていく。
「上席どの。あの大男の話は、署まで聞こえておりますよ」
「聞こえてるでしょうね」
「ギルドを畳ませる、と。ギルドが畳まれたら、この街の商人の税だって」
「畳ませませんよ」
「上席どのが、どうやって」
そう聞かれると、俺にも返事が無い。
次の日に行くと、署長は、王都に伺いを立ててからでないと、と言いだした。
「王都に伺いを立てたら、返事が来るまでに何年かかります」
「何年、ということは」
「港の異議は、ふた冬かかりましたよ」
署長の布が、また額へ上がった。
「署の内規は、署長がお決めになるものでしょう」
「それは、そうですが」
「でしたら、王都じゃなくて、署長が決めることです」
署長は、決めなかった。
その次の日も、また次の日も、額を拭くだけだった。
この街の調査官の方は、窓際の机で、黙って商人の申告をめくっている。
何も言わないのは、言っても無駄だと知っているからだろう。
夏のはじめの朝に、窓口の男が二階へ駆け上がってきた。
「署長。ギルド長が、お見えです」
署長の手から、布が落ちた。
窓際の机では、この街の調査官が、申告をめくる手を止めている。
階段を上ってきたギルド長は、署長の部屋の戸口で、空の袖を結んだ肩を少しすくめた。
「狭え階段だな。この署に来たのは、腕があった頃以来だ」
「こ、これはギルド長どの。わざわざ」
「座ってろ。長居はしねえ」
ギルド長は勧められた椅子には座らずに、俺の隣に立った。
署長は、ギルド長と俺の顔を、何度も見比べている。
「春じゅう、こいつの顔が毎朝うちの窓口に来るんでな。いいかげん見飽きた」
「は、はあ」
「話は、こいつから聞いてるな」
「は、はい。引いて納めた分の一割を、署からギルドに、と」
「引くのは、うちの窓口だ。署は、箱ごと受け取るだけだ」
「ですが、署から一割も出すとなると、王都に納める分が」
「この署に、今、冒険者から入ってる税は何枚だ」
署長は、ギルド長の顔を見上げたまま黙り込んだ。
「一枚も入ってねえ所に、九割が入るようになるんだ。王都の財布が太って、文句を言う役人がいるか」
一人くらいは、いそうなもんだがな。
署長は布を拾うと、額ではなく、机の上を拭いた。
それから、震える手で引き出しを開けて、ペンを取る。
「……署の内規といたします。ただし、始めるのは」
「いつからだ」
「夏の、終わりの月から。ギルドの窓口のご支度も、ございましょうから」
署長は、ギルド長の顔色をうかがうように見上げた。
ギルド長は少し考えてから、うなずいた。
「いいだろう。窓口の娘に、引き方を覚えさせる暇も要る」
署長のペンが、紙の上でようやく動きはじめた。
ギルド長は、署長が書き終えるまで、俺の隣で黙って見下ろしていた。
*
署を出ると、夏の日差しが、通りの石畳を白く照らしていた。
武具屋の通りの方から、槌の音が聞こえてくる。
ギルド長は、署の戸口の石段を下りたところで足を止めた。
ギンと兵の二人が、俺の後ろで立ち止まる。
「調査官」
「何です」
「これで、うちの窓口は二割を引く。向かいの買取所もだ」
「ええ」
「引けば、窓口の前で文句を言う奴が出る。そいつらは皆、あいつの顔を見る」
ギルド長は、北の岩山の方へ目をやった。
三つの穴の一番奥が、昼の光の中で、黒く口を開けている。
「最強の奴はどうする」
「払ってもらいますよ」




