第70話 裏の買取
大問屋の倉の裏口は、広場から一本入った通りの、さらに奥の路地に開いていた。
表の通りからは、倉の白い壁しか見えない。路地へ回り込まなければ、そこに戸があることも分からないだろう。
三日目の朝、俺とギンは、路地の向かいの空き家の軒下に立っていた。
王都の兵の二人は、路地の入口だ。剣を下げた男が路地をふさいでいたら、誰も入ってこなくなる。
「来ませんね」
「まだ朝だ。ダンジョンから上がってくるのは、もう少しあとだろ」
日が倉の屋根にかかった頃、最初の一人が路地に入ってきた。
背中に、腰まである麻の袋を担いでいる。首から下げた札は、上から数えた方が早い。
男は軒下の俺たちに気づくと、一瞬だけ足を止めた。止めたけれど、引き返しはしない。目をそらしたまま、裏口の戸を拳で二度叩く。
戸を開けたのは、前掛けをした痩せた男だった。
前掛けの男は、袋の口を開けて中をのぞき込むと、戸口の脇に吊った秤に袋ごと掛けた。
秤の針を見て、腰の革袋に手を入れる。
出てきたのは、銀貨じゃなかった。金貨だ。
前掛けの男が金貨を一枚ずつ冒険者の手のひらに載せて、冒険者がそれを握って、それで終わりだった。
何も書かない。
どこにも、ペン一本見当たらない。
「ヘイジさん。今の、金貨で五枚でした」
「見えたのか」
「手の動きで、分かります」
ギルドの窓口なら、同じ袋で何枚になったんだろうな。
昼までに、裏口の戸は七度叩かれた。叩いたのは、どれも上の方の札を下げた連中だ。
一番下の札の若いのは、路地の入口から中をのぞき込みはしても、一人も入ってこなかった。
そのうちの四人目は、裏口から出てくると、金貨を握った手をポケットに突っ込んだまま、軒下の俺の前で足を止めた。
頬に古い傷のある、三十がらみの男だ。
「あんたが、ギルド長に引けって言いに行った歩合取りか」
「ええ」
「引かれるくらいなら、俺らは毎日こっちに来るぜ。ギルドの窓口に並ぶより、ここの方が早えしな」
「ギルドの窓口だったら、さっきの袋はいくらになりました」
「知るかよ。もう何年も、深い所の物はギルドに持ってってねえ」
男は鼻で笑って、路地の入口の兵の二人のあいだを、肩で押し分けるようにして出ていった。
昼を過ぎたところで、裏口の戸が、叩かれもしないのに開いた。
出てきたのは、さっきの前掛けの男だ。
まっすぐ路地を横切って、俺たちの軒下まで来る。
「上席調査官さまで、いらっしゃいますね。倉の番頭を務めております」
番頭は、前掛けの前で手を揉んだ。
「旦那から、言付かっております。朝からお立ちでは、お疲れでしょう。中で、お茶でもいかがですかと」
「せっかくですが、仕事中なもんで」
「左様でございますか。旦那は、ご挨拶できないのを、残念がっておりました」
番頭は、倉の白い壁を見上げた。
「旦那が申しますには、うちの扱う品は、王都の宰相閣下のお屋敷にも納めておりますので、と」
「そうですか」
「どうぞ、お手柔らかに、とのことでございます」
番頭は柔らかく頭を下げると、また路地を横切って、裏口の中へ戻っていった。
戸が閉まる。
路地の入口で、兵の若い方が、一度だけこっちを振り返ったのが見えた。年かさの方は、表の通りを向いたまま動かない。
隣で、ギンが小さく言った。
「宰相府の人って、神殿都市にも来ましたよね」
「来たな」
「白い手袋の」
「ああ」
ギンはそれきり、黙って裏口の戸を見ていた。
お手柔らかに、か。
何をどう柔らかくしろってんだかな。
*
四日目は、広場の向かいの買取所へ行った。
カウンターの奥にいたのは、腹の出た親父だった。量りの皿に光る苔の籠を載せながら、俺の顔をじろりと見る。
「ギルド長から聞いてるよ。うちの窓口でも引けって話だろ」
「ええ。今日は、それとは別の話です」
「何だい」
「深い所の物が、最後にこのカウンターに載ったのは、いつです」
親父は、苔の籠を下ろす手を止めた。
「深い所の、ってのは」
「北の口の、一番下の方で取れる角とか、鱗とか」
親父は、量りの皿をしばらく眺めていた。
「……四年前の冬だな」
「四年も」
「上の札の連中は、浅い所の物だけ、うちに持ってくる。深い所のは、みんな裏へ回るよ」
「裏の倉は、いくらで買ってるんです」
「うちの倍だそうだ。倍出されちゃ、かなわねえさ」
親父は、苔の籠を棚へ押しやった。
「うちが王都の商人に卸す値で買ったって、裏の倉の値には届かねえ」
「届かない、ですか」
「どうやって儲けてんだかな、あの旦那は」
どうやって儲けてるかなら、王都で売る値を聞けば分かる。
問題は、誰がそれを言うかだ。
五日目からは、まだ暗いうちに、東の街道へ出る門まで行った。
門の脇の馬留めで、運び屋たちが荷車に馬をつないでいる。
布を被せた荷車が一台、門の外へ出ていくのを、俺とギンは門番の詰所の陰から見送った。
ギルドの荷車とは、荷台の布の色が違う。
「今の荷車、どちらまで行かれるんです」
馬留めに残っていた若い運び屋に聞くと、運び屋は手綱を握ったまま、俺の顔から目をそらした。
「旦那の荷のことは、旦那に聞いてくれ」
「王都まで、何日かかります」
「知らねえよ」
知らねえ道を、毎月走ってるのか。
次の朝も、その次の朝も、ほかの運び屋に聞いてみた。答えは、どれも同じだった。
武具屋の通りでも、同じことが起きた。
深い所の鱗の値を聞いたとたん、どこの親方も、黙って槌を振りはじめる。
槌の音が大きすぎて、こっちの声が届かねえってわけだ。
七日目の朝、詰所から出てきた門番が、あくびをしながら俺たちの方へ寄ってきた。
「あんたら、毎朝そこで何を数えてんだい」
「裏の倉の荷車ですよ」
「旦那の荷車なら、だいたい三日に一台だよ。冬は、もう少し間があくがね」
門番はそれだけ言うと、詰所の中へ戻っていった。
ギンが、指を折っている。
「ひと月なら、十台ですね」
「中身の方は、誰も言わねえがな」
「でも、門番さんは言ってくれました」
「数だけはな。荷車の数は、運び屋が黙ってたって門から見える」
ギンは、少しだけ口を尖らせた。
一台にいくら積んでいるのかは、荷車を引く者の口からしか出てこない。
*
七日目の夕方、俺はギルドの広間の隅の長椅子に座っていた。
払い出しの窓口は、ダンジョンから上がってきた連中で混みはじめている。
窓口の奥の机に腕をついていたギルド長が、俺に気づいて顎をしゃくった。
「七日で、何か分かったか」
「裏の倉の荷車が、三日に一台出ていくことと、深い所の物が四年前の冬から買取所に来ていないことです」
「それで、俺が引く気になると思うか」
「まだ、なりませんね」
「まだ、か」
ギルド長は鼻を鳴らして、また広間の方へ目を戻した。
広間の戸が、外から蹴り開けられたのは、そのときだった。
戸口の上の梁に、頭がつかえそうな男が立っている。
袖の無い革の胴着から、丸太みたいな腕が二本出ていた。肩から背中にかけて、乾いた泥がこびりついている。北の口から、そのまま来たらしい。
広間のあちこちで、話し声が止んだ。
長い机のまわりにいた連中が、椅子を引いて立ち上がる。
俺の隣に座っていた胸当ての男が、ギンの方へ身を乗り出した。
「見とけよ、嬢ちゃん。あれが、この王国で一番強え男だ」
ギンは、返事をしなかった。
大男は、誰の顔も見ないで広間を横切っていく。
戸口の外に、前掛けをした痩せた男が立っているのが見えた。
裏の倉の番頭だ。中には入ってこない。
長い机の上には、まだ冒険者たちの杯と、窓口から受け取ったばかりの銀貨が載っている。
払い出しの窓口の前まで来ると、大男は、その机の端に片方の手をかけた。
分厚い板を渡した、大人が四人がかりで運ぶような机だ。
それが、床から浮いた。
杯が傾いて、酒が板の上を流れていく。銀貨が、ざらざらと机の反対の端へ滑っていった。
大男は、机を胸の高さまで持ち上げたまま、窓口の奥のギルド長を見下ろした。
「俺の報酬から一枚でも引いたら、このギルドを畳ませるぞ」
広間の誰も、動かなかった。
隣で、ギンの手が、俺のコートの袖をつかんでいる。
ギルド長も、机に腕をついたまま動かない。
大男の目が、広間をひと回りして、隅の長椅子で止まった。
俺のコートの上で、止まっている。
「……そこの茶色いのが、歩合取りか」
持ち上げられた机の端から、銀貨が一枚こぼれ落ちた。
石の床を転がって、俺の靴の先に当たって止まる。
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