第69話 ギルド
次の朝、俺は署へは寄らずに、まっすぐ広場へ出た。
ギンが隣を歩いて、その後ろに、王都の兵の二人がついてくる。
ギルドの戸口の看板は、剣と盾だ。向かいの買取所の戸口にも、同じ剣と盾が、一回り小さく下がっていた。
買取所も、ギルドの持ち物ってことか。
「ゆうべ、署の調査官さんに、近づくなって言われましたよね」
「言われたな」
「来ちゃいましたね」
「近づかねえと、数えられねえだろうが」
戸を押すと、広間の中の話し声が、半分ほど止まった。
天井の高い、石の床の広間だ。右の壁に依頼の窓口、左の壁に払い出しの窓口があって、奥の壁一面に、依頼の張り紙がびっしり貼ってある。
払い出しの窓口の前には、分厚い板を渡した長い机が据えてあった。
机のまわりに陣取っていた冒険者たちが、俺のコートを見て、それから後ろの兵の二人を見る。
「歩合取りだ」
誰かが、わざと広間じゅうに聞こえる声で言った。
「兵隊なんか連れてきやがって。ダンジョンの口の番でもしてくれるのかよ」
笑い声が上がる。
兵の若い方が、剣の柄に手をかけかけて、年かさの方に袖を引かれていた。
俺は、壁際の長椅子に腰を下ろした。
ギンも、黙って隣に座る。
払い出しの窓口では、若い娘が一人、机に銀貨を並べていた。
依頼の品を出した冒険者が、並んだ銀貨を手のひらでかき集めて、そのままポケットに突っ込む。
次の奴も、その次の奴も、そうだった。
娘が銀貨を数えて、冒険者がかき集めて、それで終わりだ。誰も何も書かないし、誰も何も聞かない。
半刻ほど座っているあいだに、窓口を離れていった冒険者は、四十人を越えた。
朝のうちだけで、これだ。
「一番多くもらってたのは、斧を背負った人です。銀貨で二十六枚」
「数えてたのか」
「窓口の人の手を見てれば、分かります」
窓口の娘の手つきは、かなり早い。それでもこいつの目は、ちゃんと追いついていたらしい。
俺の方は、四十人を数えるので手一杯だった。
「あの人たち、一人も申告してないんですよね」
「署の調査官が、そう言ってたな」
ギンは長椅子から立つと、長い机の端にいた冒険者のところへ、すたすた歩いていった。
革の胸当てをつけた、若くもない男だ。
「すみません。申告って、したことありますか」
男は、口の中の干し肉を噛むのをやめた。
「申告?」
「一年に稼いだお金を、署に届けることです。儲けの二割が、税になります」
「何だ、そりゃ。商人の話か」
「冒険者の稼ぎにも、かかるんです」
男は、まわりの仲間と顔を見合わせてから、吹き出した。
「嬢ちゃん、ここの誰に聞いたって同じだぞ。そんなもん、したことのある奴は一人もいねえよ」
ギンは、ありがとうございます、と頭を下げて戻ってきた。
まわりの冒険者たちは、まだ笑っている。
笑っている連中の顔を、俺は端から数えた。
この広間にいるだけで、六十人はいる。署の調査官の話じゃ、この街に千人だ。
千人の五年分を、一人ずつ数えて回ったら、俺の方が先に墓に入っちまう。
*
払い出しの窓口の奥に、もう一つ、机があった。
その机に片方の腕をついて、さっきから広間を眺めている男がいる。
六十に手の届きそうな、骨の太い男だ。もう片方の袖は、中身が無くて、肩のところで結んであった。
俺が窓口の横から近づいていくと、男は腕をついたまま顔だけを上げた。
「ギルド長さんですね」
「そうだ。お前さんが、ゆうべ兵隊を連れて署に入った調査官か」
「ええ。この街の署に来た、上席調査官です」
「ご丁寧なこった」
ギルド長は、窓口の娘の方へ顎をしゃくった。
「うちの窓口で、何を数えてた」
「冒険者の皆さんが、銀貨を受け取っていくところを」
「数えて、どうする」
「お願いがあって来たんです」
ギルド長は、黙って俺の顔を見ている。
窓口の娘が、銀貨を並べる手を止めて、こっちを振り返った。
「報酬を払うときに、先に二割を引いて、署に納めてもらえませんか」
ギルド長の眉が、片方だけ動いた。
「向かいの買取所で、素材の代金を払うときもです」
ギルド長は、すぐには返事をしなかった。
腕をついたまま、俺の顔と、後ろのギンと、戸口の近くに立っている兵の二人を、順に眺めていく。
それから、急に笑いだした。
広間の冒険者たちが、何事かとこっちを振り向くくらいの、でかい声だった。
「引けってのか。うちの窓口で、こいつらの銀貨から」
「ええ」
「お前さん、この街に来て何日目だ」
「二日目です」
「だろうな」
ギルド長は笑うのをやめると、机の上を指で一つ叩いた。
「いいか。この街には、素材の代金から一枚も引かずに、その場で現金で払ってくれる店がある」
「裏の、大問屋ですか」
「何だ、もう聞いてるのか」
「名前だけです」
来る途中の宿場で、東から来た荷車の御者が、そんな話をしていたのだ。
ギルド長は、払い出しの窓口の方へ目をやった。
「うちの窓口で銀貨を八枚受け取るのと、裏の倉で十枚受け取るのと、お前さんならどっちへ行く」
「十枚の方ですね」
「即答しやがったな」
「八枚と十枚なら、誰だってそうでしょう」
「そうだ。誰だってそうだ」
ギルド長は、机についた腕に、少しだけ体重をかけた。
「引いたら、冒険者は皆、裏の大問屋へ流れる。うちの窓口には、誰も来なくなる」
「皆、ですか」
「腕のいい奴から順にな」
「腕のいい人から、ですか」
「腕のいい奴ほど、深い所の高え物を担いで上がってくる。倉の旦那が欲しいのはそっちだ」
長い机の方から、さっきの胸当ての男が立ち上がった。
干し肉を噛みながら、窓口の前までやってくる。
「おい、ギルド長。まさか、引く気じゃねえだろうな」
「黙ってろ。今、俺が断ってるところだ」
「断るだけじゃ、こいつはまた来るぜ」
胸当ての男は、俺のコートの襟を、指でつまみ上げた。
戸口の近くで、兵の二人が一歩前に出る。
「二度と来ねえように、ここで教えといてやろうか」
「教えてくださるんでしたら、顔はやめてもらえますか。目つきの悪さで、商売してるもんで」
「あ?」
男が口を開けたところで、ギルド長が、机を一つ叩いた。
「手を放せ。ギルドの中で、王都の兵隊と揉めてみろ」
「揉めたら、何だってんだ」
「今日の払い出しは、そこで終いだ。お前の後ろに並んでる連中に、そう言ってこい」
胸当ての男は、自分の後ろの列を振り返った。
列に並んだ冒険者たちが、揃って男を睨んでいる。男は舌打ちを一つして、俺の襟から指を離した。
ギルド長は、それには目もくれずに、俺の方へ向き直った。
「ギルドってのはな、冒険者が来なきゃ一枚も儲からねえ所なんだよ」
「ギルドは、何で儲けてるんです」
「依頼人から、報酬の一割を手数料でもらってる。向かいの買取所は、王都の商人に卸した差額だ」
「どっちも、冒険者が窓口に来なきゃ入らない」
「そうだ。その冒険者を、署のために裏へ追い払ってやる義理が、うちのどこにある」
義理か。
義理なんてもんで動く相手なら、もっと話は早かったんだがな。
この男が言っているのは、義理じゃねえ。損か得かだ。
損か得かで動く奴なら、得の方を持ってくればいい。持ってくるものが、今はまだ手もとに無えってだけの話だ。
引いて納めてもらう分には、俺の歩合は付かねえ。歩合が出るのは、隠した分を見つけて取ったときだけだ。
それでも、千人を一人ずつ追いかけるより、払う側に先に引かせる方が、ずっと確かに取れる。
前世で二十年、そうやって取ってきたんだ。
「分かりました。今日のところは、引き上げますよ」
「今日のところは、か」
「また来ます」
ギルド長は、鼻で笑った。
*
長椅子のギンに声をかけて、戸口の方へ歩きかけたところで、背中から呼び止められた。
「おい、調査官」
振り返ると、ギルド長は、さっきと同じ格好のまま、机に腕をついていた。
広間の冒険者たちも、窓口の娘も、こっちを見ている。
「俺はな、この机に、二十年座ってる」
「長いですね」
「長えよ。腕を一本、北の口に置いてきてからずっとだ」
ギルド長は、結んだ方の肩を、ほんの少しだけすくめてみせた。
「そのあいだに、署の調査官が何人、この戸口から入ってきたと思う」
「さあ」
「みんな、税を取りに来た。冒険者を一人ずつ呼びつけて、二割を払えってな」
「それで」
「殴られて帰った奴もいたし、何も言わずに帰った奴もいた」
ギルド長は、俺の後ろの兵の二人に目をやって、また俺の顔に目を戻した。
「お前さん、ここで何人目の調査官だと思う」




