第68話 三度目の春
神殿都市から下ってきた馬車は、五日目の昼に、最初の街の東門の前で止まった。
ここで馬を替えて、東の山すそへ向かう道に入るのだという。
御者台の両脇から、王都の兵の二人が飛び降りた。神殿都市を出てからずっと、この二人はそこに腰をかけて、道の先ばかり睨んでいる。
向かいの席の使いの方は、五日のあいだ、ほとんど口をきかなかった。
膝の上に鞄を載せて、背筋を伸ばしたまま、窓の外の畑を眺めているだけだ。
馬車を降りたとたんに、門の内の角から、窯の匂いが流れてきた。
「ヘイジさん。お昼は、あそこですよね」
「馬を替えるあいだに食えるのは、あそこくらいだろ」
使いが、鞄を抱えて馬車から降りてきた。
「私も、ご一緒してよろしいですか」
「どうぞ。パイしか出てきませんけどね」
*
戸を開けると、昼の店は、荷馬車の御者たちでいっぱいだった。
壁を抜いて広げた向こうの席まで、ほとんど埋まっている。
俺は、戸口で言った。
「今年も来たぞ」
返事は無かった。
窯の前の店主は、木べらを握ったまま、こっちを見ている。ただ、その目が見ているのは俺じゃなくて、俺の肩の後ろだった。
振り返ると、剣を下げた兵の二人が、戸口をふさいで立っている。
店の中が、急に静かになった。
手前の机の御者が二人、皿の横に銅貨を置いて、パイを口にくわえたまま出ていってしまう。
「……とうとう、しょっぴかれたか」
店主が、木べらを台に置いた。
「しょっぴかれてませんよ。護衛です」
「護衛だ? お前さんにか」
「俺にです」
「歩合取りに兵隊を付けるなんざ、王都もよっぽど暇なんだな」
店主は、戸口の二人をじろりと見た。
「兵隊さんは、表で食ってくれ。客が逃げる」
年かさの方の兵が、黙って頭を下げて、戸の外へ出ていく。
若い方は、窯の方を一度だけ振り返ってから、そのあとに続いた。
空いていたのは、窯のそばの小さな机だけだった。
俺とギンが座ると、使いは少し迷ってから、俺の隣に腰を下ろす。王都の上着の裾が椅子に掛からないように、手で払ってからだ。
そこへ、女房が皿を抱えて、客のあいだをすり抜けてきた。
「記録役さん、よく来たね。今年は、ずいぶん大勢じゃないか」
「王都のお使いの方と、兵隊さんです」
「兵隊さんの分は、表に持ってってやるよ。あんな所に立たれてたら、戸口が狭くってしょうがない」
女房は俺の前に皿を置きかけて、その手を止めた。
椅子の背に掛けた俺のコートの、肘のところを見ている。
「あら。肘に、布が当たってるね」
「当てられたんですよ。頼んでもいねえのに」
「誰にだい」
俺が答えるより先に、ギンが言った。
「神殿都市の、粥屋さんの娘さんです」
「へえ。縫い目が細かいね。いい腕だよ」
女房は、残りの皿を重ねて抱えると、表の方へ出ていった。
俺には、ほかに何も聞かなかった。
切り分けた肉のパイを、一切れつかむ。
皮の割れ目から、湯気が立った。かじると、熱い脂が舌の上に落ちてくる。
神殿都市の冬は、朝も晩も粥だった。
歯で噛まなきゃならない物を食うのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
隣では、使いが上着のポケットから小さなナイフを出して、パイを端から細かく切り分けていた。
窯の前の店主が、それを見て眉を寄せている。
「うちのパイは、手で食うもんだ」
「失礼いたしました。王都では、こういたしますもので」
使いはナイフをしまうと、言われたとおり手でつまんで、ひと口かじった。
かじったまま、しばらく動かない。
「……王都の店のより、おいしゅうございます」
店主は返事をしないで、木べらで次のパイを窯の奥へ押し込んだ。
窓の外では、女房が戸口の脇の木箱に、兵の二人の皿を置いていた。
若い方の兵が、慌ててポケットを探っている。女房はその手を押し戻して、店の中の俺の方を指さした。
何か、ろくでもねえことを言ってる指の差し方だ。
戻ってきた女房は、空いた皿を重ねながら、案の定こう言った。
「表の二人の分は、あんたにつけといたよ」
「何で俺なんですか」
「あんたが連れてきたんだろ」
ギンが、パイをくわえたまま肩を揺らしていた。
食い終えて、俺は銅貨を五枚、皿の横に並べた。そのうち二枚は、表で立ち食いしている兵隊の分だ。
使いは、自分の分の一枚を、俺の五枚から少し離して置いた。
店主が窯の前から来て、六枚をまとめて前掛けのポケットに落とす。
コートを取って戸口へ向かうと、背中で店主の声がした。
「来年は、兵隊は置いてこい。客が逃げる」
「置いてこられりゃ、そうしますよ」
戸を閉めても、窯の匂いは、しばらく門の外までついてきた。
*
東門を出て二日目の夕方、馬車は、王都へ上る道が分かれる宿場に着いた。
使いとは、ここで別れることになっている。明日の朝、使いは王都行きの馬車に乗り換えて、俺たちはこのまま東へ向かうのだ。
宿の裏庭で、馬が水を飲むのを眺めていると、使いが一人でやってきた。
「上席どの。次官から、道中でお伝えするよう言いつかったことがございます」
「道中で、ですか」
「署でお伝えすれば、署長どのの耳にも入りますので」
使いは、鞄を胸の前で持ち直した。
「冒険者の街での追徴について、上席どのの歩合を、二割にとのことです」
二割。
一割の、倍だ。
港の千二百枚なら、二千四百枚だったことになる。
そこまで勘定して、俺は勘定をやめた。
「要りません」
使いの細い顔は、少しも動かなかった。
「……次官に、そうお伝えしてよろしいですか」
「ええ」
「理由は伺わなくてよいと、次官からは言われております」
なんだ。断るのは、向こうも承知の上かよ。
使いはそこで、宿の表の方へ目をやった。表では、兵の二人が、馬車の屋根から俺たちの鞄を下ろしている。
「それから、兵の二人のことですが」
「ええ」
「次官は、王都へ戻さなくてよいと申しております。ご入り用でなければ、私が連れて帰りますが」
俺は、表の二人の背中を見た。
若い方が鞄を落としかけて、年かさの方に小声で叱られている。
「護衛は、もらっときます」
使いは、少しだけ目を細めた。
「……かしこまりました」
辞令を読み上げたときよりも深く頭を下げると、使いは宿の中へ戻っていった。
入れ替わりに、井戸の方からギンが歩いてくる。
「断ったんですね、二割」
「聞いてたのか」
「井戸、すぐそこですから」
「顔を洗うのに、ずいぶんかかるんだな」
「惜しくないんですか。倍ですよ」
「惜しいに決まってんだろ」
ギンは、それ以上は何も聞かなかった。
馬は、まだのんきに水を飲んでいる。
*
東の山すそに着いたのは、それから六日目の昼だった。
街の北に、岩山が壁みたいに立ちはだかっている。その腹に、黒い穴が三つ開いていた。
ダンジョンの口だと、御者が鞭の先で教えてくれた。
街に入ると、どの通りにも、酒場と宿と武具屋ばかりが並んでいる。
昼間だというのに、酒場の戸口からは笑い声が溢れていた。すれ違う連中は、たいてい剣か斧か槍を担いでいて、それが一人残らず、俺のコートと後ろの兵の二人を見ていく。
歓迎されてねえのは、顔を見りゃ分かる。
街の真ん中の広場には、石造りの大きな建物が、二つ向かい合って建っていた。
片方の戸口には、剣と盾の看板が下がっている。冒険者ギルドだ。
もう片方の前には、袋を担いだ連中が列を作っていた。こっちが、素材の買取所らしい。
署は、広場から通りを二本外れた所にあった。
戸を開けると、窓口の男が一人、机の向こうで顔を上げる。奥からは、布で額の汗を拭きながら、署長が出てきた。
春の山すそは、まだ肌寒いはずなんだがな。
「上席調査官どのに、記録役どの。よく、お越しくださいました」
署長は、俺の後ろの兵の二人を見て、ほっとしたように息を吐いた。
「王都の兵隊さんまで。これは、心強い」
「心強いって、何がです」
「いえ、その。この街は、何かと物騒なもので」
署長の後ろで、窓際の机から、男が一人立ち上がった。
四十がらみの、この署の調査官だ。署長が、手のひらでその男を示した。
調査官は俺に頭を下げると、顔を上げないうちに言った。
「上席どの。先に申し上げておきます」
「何です」
「ギルドには、近づかないでください」
署長が、また額を拭いた。
「近づかないで、冒険者の税をどうやって取るんです」
「取りません」
「取らない、ですか」
「この署では、冒険者からは取らないことになってるんです。商人の税だけで、署は回っていますから」
「冒険者ってのは、この街に何人いるんです」
「千人は、下らないでしょう」
千人。
一人から金貨一枚ずつ取ったって、千枚だ。それが誰一人、申告していない。
「前に一度、ギルドへ取り立てに行った調査官がいました」
「それで」
「何も取らずに、帰ってきました」
「その調査官ってのは」
「わたしです」
調査官は窓際の机へ戻ると、こっちに背を向けたまま、商人の申告の束をめくりはじめた。
ギンが、俺の顔を見上げている。
俺は、何も言わなかった。
*
宿は、署の裏手に取ってあった。
二階の窓を開けると、通りの向こうから、槌の音が聞こえてくる。日が暮れたというのに、武具屋の通りのどこかで、まだ鉄を叩いている店があるのだ。
北から、風が吹いてきた。
春の夜の風にしては、妙に冷たい。
岩山の穴の奥から、吹き上げてくる風だろう。
槌の音は、夜が更けても、まだやまなかった。




