↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
67/115

第67話 冒険者の街へ

 坂の雪が溶けて、石畳のあいだを細い水が流れるようになった。

 灰色の上着の列も、冬の倍ほどの長さに戻っている。春になれば、遠くの村からも巡礼が歩いてくるのだ。

 王都の使いが署に来たのは、そんな春の朝だった。

 細い男だ。この男に辞令を読み上げてもらうのは、これで四度目になる。

 今度は、一人では来なかった。後ろについてきた王都の兵が二人、木の箱を一つ、二人がかりで二階まで運び上げてくる。

 箱を床に下ろしたとたん、床板がみしりと鳴った。

 署長と窓口の若い男が、部屋の隅に並んで立っている。ギンは、俺の隣だ。

 使いは懐から辞令を出すと、いつもと同じ平たい声で読み上げた。


「辞令を申し伝えます。神殿都市の署の上席調査官、ヘイジ」

「はい」

「右の者を、冒険者の街の署へ移すものとする。記録役も、同行させるものとする」


 冒険者の街か。

 ダンジョンの口がいくつもあって、腕っぷしの強い連中がうようよしている所だ。

 ついでに言えば、稼ぐだけ稼いで、申告なんか一度もしたことのねえ連中でもある。取れる額は、でかいだろう。


「今度は、殴られそうな所ですね」

「ダンジョンの口が、三つある街でございます」


 使いはそれだけ言って、辞令を畳んだ。

 それから、前より少し深く頭を下げる。


「次官は、上席どのを高く買っておられます」


 高く、ね。

 港へ行けと言われたときも、穀倉へ行けと言われたときも、そんな言葉は一度も聞かなかった。


「高く買ってるんなら、王都の近くにでも置いてくれりゃいいのに」


 使いの細い顔が、一度だけ窓の方へそれた。


「……お伝えしておきます」


 何か言いかけて、やめたような間だった。

 まあいい。どうせ聞いたって、この男は同じ返事しかしねえ。


     *


「港の千二百枚、神殿の九百枚、それに伯爵様の件の十五枚。合わせて、二千百十五枚でございます」


 使いが箱の蓋を開けると、布の小袋がぎっしり詰まっていた。

 一袋に十枚ずつ入れてあるらしい。

 ふた冬待った千二百枚と、ひと冬待った九百枚だ。

 俺は箱の縁に両手をかけて、持ち上げてみた。

 びくともしねえ。


「……二千枚ってのは、持ち上がらねえもんなんだな」

「腰を痛めますよ、ヘイジさん」


 ギンが、横から呆れた声を出した。


「コートの内側に入れて歩けりゃ、一番いいんだがな」

「入りませんよ。入れたら、一歩も歩けません」


 使いが、箱の脇で手を前に組んだ。


「財務院の金庫で、お預かりすることもできますが」

「預けたら、次はいつ顔を見られるんです」

「いつでも、お引き出しいただけます」


 俺は、箱の中の袋を見下ろした。

 いつでも、か。王都の引き出しってやつは、ふた冬開かなかったんだがな。

 とはいえ、二千枚を担いで東の山すそまで行くわけにもいかねえ。


「……百枚だけ、置いてってください」

「かしこまりました。では、残りの」

「いや、やっぱり二百枚」


 使いは、顔の色一つ変えなかった。


「では、二百枚を残して、千九百十五枚をお預かりいたします」

「利子は付きますか」

「付きません」

「だろうな」


 部屋の隅で、署長が下を向いた。肩が、小さく揺れている。

 ギンが箱の前にしゃがんで、袋を二十、床の上に並べた。

 口をほどきもしないで、一つずつ手のひらに載せては、すぐに次の袋に持ち替えていく。


「どれも十枚です。二十袋で、二百枚」

「量っただけで分かるのか」

「窓口で、毎日量ってましたから」


 使いが、ほんの少しだけ目を丸くしたのが見えた。

 この男でも、驚くことはあるらしい。


「馬車は、三日後の朝に出ます。東へ向かう道の途中まで、私もご一緒いたします」

「兵の二人もですか」

「はい。二人とも、ご一緒に」


 兵は二人とも、箱の脇で背筋を伸ばして立っていた。

 金を運んできただけにしちゃ、ずいぶん帰り支度の遅い連中だ。


     *


 使いと兵が宿へ引き上げていった昼過ぎに、窓口の若い男が、また階段を駆け上がってきた。


「署長、神殿から、お使いの方が」


 署長が、俺の顔を見た。

 俺は黙って、階段の方へ顎をしゃくってやった。

 署長が下りていくのについて、俺とギンも階段の途中まで下りる。

 窓口の前には、白い衣の年寄りの神官が一人立っていた。脇に、布で包んだ厚い包みを抱えている。


「この春の、神殿の申告でございます」


 年寄りの神官は、包みを窓口の机の上に置いた。


「大司祭様のお言いつけで、今年からは、こちらへお持ちすることになりました」


 署長は、すぐには手を出さなかった。

 机の上の包みを、じっと見下ろしている。


「会計は、どなたが」

「わたくしが、お預かりしております。数を数えるのは、不得手なのですが」


 年寄りの神官は、少し困ったように笑った。

 それから、戸口の外の、坂の上の方を一度だけ振り返る。


「こういうことに目の利く若いのが、一人おったのですがね。冬のうちに、出ていってしまいまして」


 署長は、何も言わずにうなずいた。

 ギンが、階段の途中で足を止めたのが分かった。


「数え違いがございましたら、どうぞ、門の前までお越しください。会計所の戸は、開けておきますので」


 署長は、ようやく両手で包みを受け取った。

 それを胸の前に抱えたまま、年寄りの神官に頭を下げる。年寄りの神官も、手を組んで頭を下げ返した。

 二人とも、なかなか頭を上げようとしない。

 階段の途中で、ギンが、下の二人に聞こえないくらいの声で言った。


「ヘイジさん。申告で納めてもらう分には、歩合は付きませんよね」

「付かねえな」

「損しましたね」

「ああ、大損だ」


 ギンは、それ以上は何も言わなかった。


     *


 発つ前の晩も、粥屋で晩飯を食った。

 女房は、何も聞かずに、俺の粥の上に蜂蜜をスプーンに一杯たらした。


「蜂蜜の分は、いくらだ」

「春の初物だよ。お代は、いつもの一枚でいい」


 女房はそう言って、ギンのお椀にも同じだけたらしていく。

 蜂蜜が熱い粥にとけて、いつもの粥とは別の物みたいに甘くなる。

 主人は、戸口の脇で、明日の朝にくべる薪を割っている。


「神官さんから、何か便りは」


 女房が、ギンに聞いた。


「ありません」


 ギンがそう答えると、主人が薪を割る手を止めた。


「北から来た巡礼にも聞いてみたんだがな」

「緑の上着の若いのが手を当ててくれた、なんて話は、まだ一つも聞かねえ」


 女房は、そうかい、とだけ言った。

 それから、空いた鍋を持って、奥へ下がっていった。

 入れ替わりに、娘が俺の後ろに回ってきた。腰掛けの端に置いたコートを、両手でつかんで引っぱる。


「おじさん。これ、今夜貸して」

「何に使うんだ」

「いいから」

「明日の朝、着て出るんだぞ」

「知ってる」

「繕ったりすんなよ」

「しないよ」


 娘は、コートの袖口ばかり見ながら、そう言った。

 奥の戸口から、女房が笑いをこらえた顔でこっちを見ていた。

 ギンは、お椀に顔を伏せたまま、こっちを見ようとしない。


「……朝までには返せよ」


 娘はコートを両腕に抱えると、店の奥へ駆けていった。

 その晩、物置の藁の上は、いつもよりずいぶん寒かった。


「寒いんですか、ヘイジさん」

「寒くねえよ」


 藁の向こうで、ギンが毛布を一枚、こっちへ放ってよこした。


     *


 朝の馬車は、署の前に止まっていた。

 兵の二人が、俺とギンの鞄を屋根に積み上げている。使いは、もう馬車の中に座っていた。

 俺は、上着一枚で戸口に立っていた。

 坂の上から下りてくる朝の風が、薄い上着を素通りしていく。


「上席どの。コートは、いかがなさいました」

「ちょっと、預けてましてね」


 使いは、それ以上は聞かなかった。

 署長が戸口まで出てきて、手を胸の前で組んだ。

 組んだまま、深々と頭を下げる。坂の上の門の方ではなく、俺たちの方へだ。


「お達者で、上席どの。記録役どのも」

「署長も。門の前で、風邪を引かないでくださいね」


 ギンがそう言うと、署長は困ったように笑った。

 馬車に乗りかけたところで、坂の上から足音が駆け下りてきた。

 娘だった。両腕に、茶色のコートを抱えている。その後ろから、女房が前掛けのまま追いかけてきていた。


「おじさん、間に合った」


 娘は息を切らしたまま、コートを俺の胸に押しつけた。

 広げてみると、袖口から垂れていた糸が、無くなっている。

 縫い目は細かくて、きちんと揃っていた。

 肘のところには、色の少し違う茶色の布が、内側から当ててある。


「肘のとこも、当てといたよ」

「頼んでねえぞ」

「だって、見えたんだもん」


お読みいただき、ありがとうございます。

楽しんでいただけたら、ブックマークや☆からの評価で応援していただけるとうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。