第7話 足場の上の六人
初夏の日差しが、中央通りの石畳を白く焼いていた。
通りの角では、宿屋の新しい棟が建ちかけている。三階まで組み上がった足場の上を、大工たちが声をかけ合いながら行き来していた。
この街で一番大きな大工の親方が、請け負っている現場だ。
「暑いですね」
「暑いな」
「なんで、ここで立ってるんですか」
「数えてる」
ギンが、俺の視線の先を目で追って、指を折り始めた。
「一段目に四人、二段目に五人、上で材木を受け取ってる人が三人」
「下は」
「のこぎりを引いてる人が二人で……十四人、ですか」
「十四人だな」
春の申告に来たとき、親方は窓口で胸を張って言ったそうだ。うちは職人を二十人も抱えてる、給金を払うだけで儲けなんか残りゃしねえ、と。
窓口係の爺さんが覚えていて、俺に教えてくれた。
二十人分の給金を払ったことにすれば、そのぶん儲けは減って、税も減る。
前世で大工の調べに入るときも、真っ先に数えたのは現場の頭数だった。
「親方さんに、聞きに行きますか」
「もう来たよ」
通りの向こうから、赤ら顔の大男が歩いてくるところだった。腹が突き出ていて、首に汗拭きの布を巻いている。
大工の親方は、俺のコートを見ると、露骨に嫌な顔をした。
「歩合取りが、人の現場で何を突っ立ってる」
「職人さんの数を数えてました。十四人ですね」
「今日は六人休みだ。暑さで腹を壊した奴が多くてな」
「六人もですか。それは大変だ」
「ああ、大変なんだよ。給金だけは毎日出ていくってのにな」
親方は鼻を鳴らして、足場の方へ怒鳴り声を上げた。
手を止めるなとか、もっと早く運べとか、そういう怒鳴り方だ。職人たちは返事もせずに、黙って材木を担ぎ直している。
「腹を壊した人がいるなら、昼にはここで休んでますかね」
「知るか。用がねえなら帰れ」
親方はそう言い捨てて、中央通りの酒場の方へ歩いていった。
ギンが、その背中を見送ってから俺を見る。
「帰るんですか」
「昼飯を待つ」
*
昼の鐘が鳴ると、大工たちは足場を下りて、建ちかけの棟の日陰に座り込んだ。
包みから出てくるのは、黒パンと、生の玉ねぎがまるごと一個。それを、みんな同じようにかじっている。
俺は、いちばん年かさの職人の隣に腰を下ろした。白い髭に、木屑がついたままの爺さんだ。
「暑いのに精が出ますね」
「お役人さんか。うちの親方なら、昼は酒場だよ」
「親方には、さっき会いました。今日は何人で入ってるんですか」
「見てのとおりさ。十四人だ」
「いつもは」
「いつもも十四人だよ。二年前から増えちゃいねえ」
爺さんは玉ねぎをかじって、顔をしかめた。
「おかげで一人の手間が増えて、こっちはくたくただ」
「親方は、二十人使ってると言ってたそうですが」
爺さんの手が、止まった。
周りでパンをかじっていた職人たちも、こっちを見る。
「……二十人ってのは、昔の話だな」
「昔、というと」
「二年前の冬までは、そのくらいいたんだよ」
「減ったんですか」
「二人は北の街へ移った。三人は辞めて、別の親方のとこへ行っちまったよ」
「それで五人ですね」
爺さんは、しばらく黙っていた。
それから、建ちかけの棟の三段目の足場を見上げる。
「もう一人は、あそこから落ちた。二年前の冬の、凍った朝だった」
「亡くなったんですか」
「ああ。いい腕の奴だったよ。まだ若いのに、女房と小さい倅を残してな」
隣で、ギンが小さく息をのんだ。
俺は爺さんに聞いた。
「その人の家族は、今どうしてるか分かりますか」
「南の通りの、洗濯場の裏に住んでる。……親方は、見舞いの一枚も出してねえはずだ」
*
洗濯場の裏に並ぶ借家は、どの戸も開けっぱなしで、干した布の間を子供が走り回っていた。
死んだ職人の女房は、戸口の前の日陰で、よその家の洗濯物を洗っていた。足元では、六つくらいの男の子が、木切れで地面に何か描いている。
俺たちが署の者だと名乗ると、女房は濡れた手を前掛けで拭いて、怪訝な顔をした。
「うちは、税金を払うような稼ぎなんてありませんよ」
「おたくの話じゃないんです。亡くなったご主人の、親方の話です」
「親方さんの」
「親方は今も、ご主人に給金を払っていることにしています」
女房は、何を言われたのか分からないという顔で、俺を見た。
「……うちの人に、ですか」
「ええ。二年前の冬からずっとです」
「払ってることに、って。うちには、一枚も来てませんよ」
女房の声が、少しずつ高くなる。
男の子が木切れを持ったまま、母親の顔を見上げた。
地面に描いてあるのは、三角の屋根の家だ。屋根の上に、棒みたいな人が一人立っている。
「それ、お父さん?」
ギンがしゃがんで聞くと、男の子はうなずいた。
「おとうは、屋根の上でいちばん速く釘を打つんだ」
女房は、男の子の頭にそっと手を置いた。それから、俺の方に向き直る。
「見舞いもです。葬式の日に、親方さんが顔を出して、何か困ったら言えって。それっきり」
「そうでしたか」
「困ったから、言いに行ったんです」
「親方は、何と」
「職人が自分で落ちたんだ、親方のせいじゃねえって。それで追い返されました」
女房は前掛けを握りしめたまま、しばらく黙っていた。
それから、俺の顔をまっすぐ見た。
「その親方さんは、今どこにいますか」
女房は男の子を隣の家に預けると、前掛けを外して、俺たちについてきた。
*
親方は、中央通りの酒場から、ちょうど出てきたところだった。
俺のコートを見て眉をひそめたが、その後ろにいる女房に気づいたとたん、赤ら顔から血の気が引いた。
「お、お前……」
女房は親方の前まで歩いていって、そこで止まった。
「うちの人の名前で、まだ給金を払ったことにしてたんですか」
「何の話だ」
「見舞いの一枚も、来なかったのに」
親方は口を開けたが、言葉が出てこなかった。
酒場の戸口から、昼飯の客たちが何事かと顔を出している。
建ちかけの棟の方からは、日陰で休んでいた職人たちが、ぞろぞろと通りへ出てきていた。いちばん前にいるのは、あの白い髭の爺さんだ。
「親方、もういいだろう」
爺さんが、低い声で言った。
親方は職人たちを見て、女房を見て、それから俺を見た。
「……誰に聞いた」
「足場に乗ってる人数は、下から見上げれば誰にでも数えられますよ」
親方は肩を落として、酒場の壁にもたれかかった。
もう、言い返す気は残っていないらしい。
「いない職人六人分の給金を、二年分。それに、隠していた分の加算を乗せまして」
俺は親方の前に立って、職人たちにも聞こえるように言った。
「〆て、金貨百八十枚になります」
親方は、壁にもたれたまま目を閉じた。
ギンが横で、ほっと息をつく。
俺は少し間を置いて、もう一言だけ足した。
「それから親方。職人の遺族に払う見舞金は、店の経費で落ちますよ」
親方が、閉じていた目を開けた。
「経費……」
「払った分だけ、儲けが減る。儲けが減れば、税も軽くなります。払うなら、今年のうちですね」
親方は、女房の顔を見た。
女房は、何も言わずに親方を見返している。
*
五日後の夕方、署へ戻る途中で、南の通りの靴屋の前を通った。
店先で、あの女房が男の子の足に、新しい靴を合わせてもらっていた。男の子は嬉しそうに、何度も靴の先で石畳を叩いている。
こっちに気づくと、男の子はギンに向かって大きく手を振った。ギンも、小さく振り返す。
「親方さんのためですか。奥さんのためですか」
ギンが、靴屋の方を見たまま聞いた。
「経費の話をしただけだ」
「それだけですか」
「それだけだよ。親方の税が軽くなりゃ、払う方も払いやすいだろ」
「はあ」
「取りっぱぐれがなけりゃ、俺の歩合も確かになる」
ギンは、じっと俺の顔を見ている。
俺は靴屋の前を、少し早足で通り過ぎた。




