↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/115

第6話 鍋と包丁

 階段を二段飛ばしで駆け上がってくる足音は、この署ではギンしか立てない。

 記録役に付いてふた月になるのに、窓口係だった頃の走り癖が、まだ抜けないらしい。

 その足音が、今朝はいつもより荒かった。


「ヘイジさん、食堂の包丁が持っていかれました。鍋もです」


 ギンは息を切らしたまま、俺の机に両手をついた。

 銀色の短い髪が、汗で額に張りついている。東門の方から、休まずに走ってきたんだろう。


「朝、前を通ったら戸が開けっぱなしで、奥さんが窯の前に座り込んでたんです」

「店主は」

「ご主人は、空っぽの棚を黙って見てるだけでした。パンを切る包丁も無いんですよ」

「誰が持っていった」


 聞くまでもなかった。

 部屋の真ん中の机に、口を縛った麻袋が載っている。そこから、黒ずんだ木の柄が一本はみ出していた。

 袋の横では先輩が椅子にふんぞり返って、指輪を袖で磨いている。


「朝からうるせえな。ただの差押えだろうが」

「誰の差押えです」

「街外れの食堂だよ。卸問屋への借金を、三十枚いっぺんに返したって噂があったろう」


 先輩は指輪に息を吹きかけて、ようやくこっちを向いた。


「あの店の今年の申告が窓口に回ってくるのを、ずっと待ってたんだ。案の定、しけた額しか書いてねえ」

「それで」

「三十枚をぽんと出せる店が、毎年あんな額で済むわけがねえだろう」

「だから、隠してたと」

「五年分、どっかに売り上げを寝かせてたに決まってる」


 麻袋を指輪の手で叩くと、中で刃物どうしがぶつかって、嫌な音がした。


「加算込みで金貨八十枚。払えねえって言うから、払うまで鍋と包丁を預かってきたってわけだ」


 八十枚なら、先輩の歩合は八枚になる。

 朝のうちに行って、袋一つ提げて帰るだけで八枚か。俺だって、一度くらいはやってみたくなる額だ。

 だが、あの店が三十枚をどこから出したのかを、俺は一番よく知っている。


「署長んとこへ行きましょう。先輩も来てくださいよ。その袋も持って」


     *


 署長室は二階の奥にあって、窓が一つしかないので、昼でも薄暗い。

 三人でぞろぞろ入っていくと、署長は机から目だけを上げた。

 先輩が八十枚の話をすると、署長はうなずきかけた。


「三十枚を出した店なら、疑うのは筋だな」

「三十枚の出どころなら、ここにいます」


 ギンが、まっすぐ俺を指さした。


「ヘイジさんが置いた飯代です。あたし、横で見てましたから」


 部屋が、しんと静かになった。

 先輩は口を開けたまま俺を見て、それから喉の奥でくつくつ笑い出す。


「飯代に三十枚か。歩合で六十枚入った奴は、飯の食い方が違うねえ」

「高え飯だったんだよ。それだけだ」

「へえ」

「あの店は、それを今年の売り上げに入れて、来年の春にちゃんと申告する」

「ほう」

「そしたら税も増えて、署の数字も増える。結構な話じゃねえか」


 言い訳を重ねるほど先輩の笑いが大きくなるので、途中でやめた。

 ギンの方は見なかった。見れば、あのまっすぐな目で、全部見られているのが分かってしまう。


「それでもだ、ヘイジ」


 署長が、咳払いを一つした。


「三十枚がお前の金だったとしても、前から売り上げを隠していなかった、という話にはならんぞ」

「ええ。ですから、あの店がどれだけ仕入れてたかを、一番よく知ってる人に来てもらいました」


 俺が廊下に声をかけると、戸口から男が一人、遠慮がちに入ってきた。

 卸問屋の番頭だ。

 先輩の顔から、笑いが消えた。


「おい、何で卸の番頭がここにいる」

「ここへ来る前に、窓口の爺さんに呼びに行ってもらったんですよ。卸の店は、すぐそこですから」


「この人は三年間、あの食堂が毎週いくら払っていくかを、カウンターの脇で見てきた人です」


 番頭は署長の前で、帽子を両手で握りしめた。


「東門の食堂さんは、粉も肉も葡萄酒も、毎週ほとんど同じだけお買いになっていました」

「増えたことは」

「三年で、一度もございません。あの店の窯で焼ける分しか、お買いになりませんでしたから」

「署長。あの店が粉を買ってたのは、卸の店だけです」

「それがどうした」

「その粉で焼けるパイの数を数えると、あの店の申告とちょうど合うんですよ」


 署長が、眉を寄せた。


「売り上げを隠してたなら、隠した分のパイを焼く粉が、どこかから出てこなきゃおかしい」

「出てこないのか」

「どこからも出てきません。あの店は、卸の粉の分しか焼いてないんです」


 署長は返事をせずに、番頭と先輩の顔を見比べた。

 この番頭の口で、署は六百枚を取っている。今さら疑うわけにはいかない。

 やがて署長は、先輩の方に向き直った。


「この追徴は取り消す。袋は返してこい」


 先輩の笑いが、ぴたりと止まった。

 俺には、まだ言っておくことがあった。


「署長、鍋と包丁は、どの店から持ってきても同じことになりますよ」

「どういう意味だ」

「包丁を取ったら、あの店は明日から一皿も出せません」

「それがどうした」

「皿を出せない店は潰れます。潰れた店からは、来年の税が一枚も入ってこない」

「ふむ」

「取った包丁なんか売ったって、銀貨一枚にもなりゃしません」


 署長は、黙って顎をさすっている。


「来年の税収を、包丁一揃いで潰すことはないでしょう」


 署長はしばらく、俺の顔を見ていた。

 俺が店をかばっているのか、署の税収を数えているのか、測っている目だ。両方だと言ってやってもよかったが、黙っておいた。


「鍋と包丁、寝床。それに、職人の道具もだな」


 署長は指を折りながら、ぽつりぽつりと並べた。


「暮らしと商売に要る物は、差し押さえるな。今日から署の決まりにする。窓口にも伝えておけ」


 それから、先輩の方は見ないまま付け足した。


「返しに行くのはお前だ。ヘイジ、ついていって見届けてこい」


     *


 食堂までの道を、先輩は麻袋を提げたまま、一言もしゃべらずに歩いた。

 東門へ向かう通りに入ったあたりで、ようやく口を開く。


「で、三十枚の飯ってのは、何皿食ったんだ」

「一皿だ」

「一切れです」


 ギンが横から正確に言い直したので、先輩は鼻を鳴らしてそれきり黙った。

 食堂の戸は、閉まっていた。昼どきだというのに、煙突から煙も上がっていない。

 店主は戸口の段に腰を下ろして、膝の上で手を組んだまま、通りを歩いてくる俺たちをにらんでいた。

 先輩は、その前で足を止めた。


「署の手違いだ。返す」


 店主が黙って受け取ろうとすると、先輩は袋を一度引いて、店の中を覗き込んだ。


「八十枚は無しになったがな。三十枚も入る店だ、来年の春の申告は、俺がじっくり見てやるよ」


 店主は答えずに袋をひったくると、口をほどいて、中から大きな鉄の鍋を引っぱり出した。

 毎朝火にかけてきたんだろう、底が真っ黒に焼けている。それを両手で持ち上げて、先輩の鼻先へ突き出した。


「次は、その頭をこいつで殴るぞ」

「おお、怖い怖い」


 先輩は笑ってみせながら、鍋の縁に手をかけて押し戻そうとした。

 指輪が鉄に当たって、かちかちと小さく鳴り続けている。先輩はその手を、慌てて袖の中に引っ込めた。

 騒ぎを聞きつけたのか、奥から女房が出てきた。

 袋に残った包丁を一本ずつ取り出しては、戸口の段に並べていく。大きいのが三本、小さいのが四本、それと骨を断つ厚い刃が一本。

 並べ終えると、女房は先輩ではなく、俺の顔を見た。


「全部あります」

「そうか」

「……あんたのとこの署は、ひどいね」

「ああ。ひどいな」


 店主は鍋を抱えたまま、肩で一つ息をした。

 それから先輩の方は見ずに、女房と二人で包丁を拾い集めて、店の中へ入っていく。戸は、開けたままだった。

 通りを戻りかけたところで、ギンが一度振り返った。


「煙、出てきました」


 俺は振り返らなかった。

 振り返ったら、たぶん腹が鳴る。今日は、飯を食いに来たわけじゃねえ。


     *


 署に戻ると、先輩が二階の廊下で待っていた。

 袖から出した指輪の手は、もう震えていない。


「三十枚で、店を買ったつもりか」


 俺は答えずに、先輩の横を通り過ぎた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。