第56話 お守りの箱
王都からの便りは、月に一度、月のはじめの昼に届く。
馬に乗った使いが坂の下まで来て、署の窓口に革の袋を一つ置いていくのだ。
袋の口を開けるのは窓口の若い男の役目で、中を見たあとで二階へ上がってくるのも、いつの間にかこの男の役目になっていた。
階段を上がってくる足音が、今月も重い。
「上席どの。今月も、その……」
「無いんですね」
「はい。署長あての通達が、二つだけで」
若い男は、自分が返事を止めているみたいに、申し訳なさそうな顔をした。
春に次官へ出した手紙の返事は、これで三度、来なかったことになる。
若い男の後ろから、署長が階段を上がってきた。
灰色の髪は、今朝もきちんと撫でつけてある。
「やはり、でございますか」
「やはり、でしたね」
「前においでになった調査官どのも、こうしてひと月ずつ、お待ちになりました」
署長は、窓の外の門の方へちらりと目をやった。
「お待ちになるあいだは、どうか、門の内のことには……」
「もう、待ちませんよ」
署長が、窓の外へやっていた目を、こっちへ戻した。
「三月も来ないってことは、次官は手を貸さないってことです」
「それは、つまり」
「それが、次官の返事ですよ。手を貸さないって、わざわざ書く人はいませんからね」
「では、上席どのは、王都へお帰りに」
「帰ったら、俺の歩合まで一緒に帰っちまいますよ」
窓口の若い男が、下を向いて肩を揺らした。
署長の方は、笑っていいのか分からない顔のまま、また窓の外の門を見ている。
ちょうどそこへ、坂の中ほどの巡礼宿から、ギンが下りてきた。
階段の途中で、署長と若い男が二人並んで下りてくるのとすれ違ったらしい。上がってくるなり、首をかしげている。
「署長さん、どうしたんですか。何か落としたみたいな顔でしたけど」
「王都の返事が、今月も来なかったんだよ」
「……ああ」
「上に行くぞ。今日は、門の前の店だ」
*
坂を上りきった門の正面に、お守りの店がある。
坂の店の中でも、ここが一番、門に近い。窓には白い紐を編んだお守りが何十と吊るしてあって、瓶詰めの聖水が、その下に行儀よく並んでいた。
店の主人は、六十がらみの太った男だった。
自分の店のお守りを、首から三つも下げている。
「門をくぐる前に、一つどうだい。神様が、道中を見ていてくださるよ」
主人は、坂を上ってくる巡礼に、一人ずつ声をかけていた。
声をかけられた巡礼の半分くらいは、足を止めて、窓のお守りを眺めていく。
門から下りてきた巡礼の方は、もっと素直だった。治してもらったばかりの人たちが、礼の代わりみたいに、お守りを二つ三つと買っていく。
俺とギンが店の前に立ったとき、主人はちょうど店にいなかった。
見ると、門の脇の小さな戸の前に立っている。
会計司祭が、春に出入りしていた戸だ。
戸が内から開いて、白い衣の腕が、木の箱を一つ差し出した。
主人は両手で箱を受け取ると、戸の内へ深々と頭を下げる。戸はすぐに閉まって、内側で閂を落とす重い音がした。
主人は箱を胸に抱えて、門の前を横切ってきた。
店の前に立っている俺たちを見て、愛想よく笑う。
「お待たせしたね。お守りかい、聖水かい」
「重そうですね、その箱」
「お守りが百だよ。重くはないが、落としたら罰が当たる」
主人は箱をカウンターに置いて、蓋を外した。
白い紐のお守りが、藁のあいだに十ずつ並んで詰めてある。
「神殿から、箱で買ってらっしゃるんですか」
「買う? 人聞きの悪いことを言うね」
主人は、箱の中のお守りを一つずつ窓へ吊るしながら言った。
「いただいてくるんだよ。神殿で、祈りを込めていただいた物だ」
「ただで、ですか」
「ただなわけがあるかい。箱をいただくたびに、お礼を置いてくるのさ」
そこまで言ってから、主人は吊るす手を止めた。
俺のコートを、上から下まで眺めている。
「……あんた、巡礼じゃないね」
「税務署の調査官です。こっちは記録役」
主人の顔から、愛想笑いが消えた。
「ああ、あんたが歩合取りか。先月、司祭様のお使いが坂の店を回っていったよ」
「らしいですね」
「神殿のことなら、わしは何にも知らん。帰っとくれ」
「神殿の話じゃありませんよ。あなたの去年の商人税、多く払いすぎてるんです」
主人は、お守りを一つ持ったまま、俺の顔をまじまじと見た。
「……払いすぎ?」
「ええ。払いすぎです」
この店の去年の申告は、署で読んできた。
「売った額は書いてあるのに、元手が一枚も引いてないんですよ」
「元手なんか無いよ。あれは、神殿へのお礼なんだから」
「お礼を置かなかったら、箱はもらえないんでしょう」
「そりゃ、そうさ」
「だったら、それは商いの元手です。元手は、税を掛ける前に引いていいんですよ」
主人は、手の中のお守りと、カウンターの箱を見比べた。
「神様へのお礼を、商いの元手に数えるのかい」
「数えないと、ご主人が損をしますよ」
ギンが、横からそう言った。
窓口にいた頃、払いすぎた客に同じことを言っていたのと、たぶん同じ声だ。
主人は、ギンの顔を見てから、もう一度俺を見た。
損、と言われた途端に、目つきが商人の目つきになる。
「……いくら、戻るんだい」
「それを伺いに来たんです。箱一つに、お礼はいくら置いてきます」
主人は、しばらく黙っていた。
それから、門の脇の小さな戸の方を、一度だけ振り返った。
「三枚だよ。金貨で」
「いつも、三枚ですか」
「いつもさ。会計の司祭様に三枚お渡しして、箱を一ついただく」
「二枚の年は」
「あるもんかい。……いや、一度だけあったな」
主人は、首から下げたお守りの一つを、太い指でつまんだ。
「親父の代の終わりに、雨ばっかりで巡礼の少ない年があってね。二枚と半分しか、持っていけなかった」
「それで、どうなりました」
「箱は、いただけなかったよ。半分の箱でいいからって頼んだんだが、箱は箱だってさ」
「残りの半分は」
「巡礼が戻ってきた秋に、三枚揃えて持っていったよ。それで、やっと一箱だ」
主人は、なつかしそうに笑った。
困った話のはずなのに、困った顔はしていない。そういうものだと、親父の代から思ってきた顔だった。
「去年は、何箱いただきました」
「二十箱だね。聖水の方も、似たようなもんさ」
二十箱で、六十枚。
お守りを窓に吊るしてる店なら、坂の上から下まで、ほかにも二十軒はある。
値の決まった物を箱で渡して、金を受け取っているのだ。
神殿の側から見りゃ、どう呼ぼうが、そいつは売上だよな。
「去年の分だけで、ご主人には金貨十二枚、お返しします」
主人は、持っていたお守りを、カウンターの上に取り落とした。
「十二枚」
「ほかの年の分も、署で直しておきます。秋までには戻りますよ」
「歩合取りが、金を返しに来たってのかい」
「払いすぎは、払いすぎですからね」
返す分には、俺の歩合は一枚も付かねえんだがな。
その代わり、神殿の方の勘定には、箱の六十枚が乗る。そっちを思えば、今日は悪くねえ日だ。
主人は、取り落としたお守りを拾い上げて、それをまた落としかけた。
それから、急に声をひそめる。
「司祭様には、言わないでおくれよ。わしが箱のことをしゃべったって」
「言いませんよ。俺が伺ったのは、あなたの店の元手の話です」
「そうだね。うん、わしの店の話だ」
主人は、自分に言い聞かせるように、何度もうなずいた。
*
帰ろうとすると、主人がカウンターの向こうから手を伸ばしてきた。
箱から出したばかりのお守りを一つ、俺の手に押しつけてくる。
「持っていきな。十二枚の礼だ」
窓の内側には、小さな札が下がっていた。
お守り一つ、銅貨五枚。
俺はポケットから銅貨を五枚出して、カウンターに一枚ずつ並べた。
「代はいいって言ってるのに」
主人がそう言ったときには、俺はもう、店の外へ出ていた。
後ろで、主人がギンに話しかけている声がする。
「変わった歩合取りだね、あの人は」
「よく言われてます」
ギンの返事は、少しも迷っていなかった。
白い紐のお守りは、コートのポケットに入れると、入っているのかどうか分からないくらい軽い。
穀倉の袋の重さに慣れちまうと、こういう物の方が、かえって落ち着かねえな。
振り返ると、門の脇の小さな戸は、もうぴたりと閉まっていた。




