↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
55/115

第55話 薬草の量

 巡礼宿に移って三日目の朝、ギンが署の二階に上がってきた。

 坂を下りてくるあいだに汗をかいたらしく、銀色の前髪が額に貼りついている。


「骨は五枚、熱は三枚、目は十枚です」


 机の前に立つなり、ギンはそれだけ言った。


「宿の主人が、そう言ってんのか」

「毎晩です。着いた人に一人ずつ聞いて、決まった数だけ別の袋に分けとけって」

「決まった数、か」

「多くても少なくても、門番さんが困るそうです」


 お気持ちってのは、ずいぶんきっちり揃うもんだな。


「宿の方は、どうだ」

「宿代が、一晩で銀貨一枚です。ヘイジさんの宿の倍です」

「俺の宿は、署が借りてる安宿だからな」

「署で借りてくれればよかったのに」

「巡礼のふりをしてる記録役の宿代を、署長が出すと思うか」

「ふりはしてません。誰も聞かないだけです」


 ギンは、真顔でそう言った。


「それで、ヘイジさんはどうするんですか」

「数を聞きに行く。値段の方は、お前が聞いてきた」

「何の数ですか」

「門の内で、何人治ったかだよ」


     *


 薬草屋は、坂の一番下の、署から三軒先にあった。

 店の前には、門の前で見たあの荷車が止めてある。荷を引いていた男が、店の奥から草の束を運び出しては、荷台に積み上げていた。

 戸口をくぐると、乾いた草の匂いが鼻の奥まで入ってくる。

 天井の梁という梁から、束ねた草が逆さに吊るしてあった。壁の棚には、口を蝋で固めた小さな瓶が、何十本も並んでいる。

 カウンターの向こうで、四十くらいの痩せた男が、瓶の蝋の具合を一本ずつ確かめていた。

 手首には、荷車の男と同じ白い紐が巻いてある。


「税務署の調査官です。あなたの商人税の調べに来ました」


 男は、瓶を棚に戻した。


「うちは、毎年ちゃんと納めてますよ」

「知ってます。窓口でも、ここはきちんとした店だって聞きました」

「なら、何を」

「売った先の話を、少し伺いたいだけです」

「売った先は、神殿だけです。祖父の代から、香油と薬草を神殿に納めてます」


 男は、少しだけ胸を張った。

 それから、俺のコートに目を落として、声を小さくした。


「……でも、神殿のことは、お話しできません」

「どうしてです」

「司祭様のお使いが、先週、坂の店を一軒ずつ回っていかれまして」

「何と言って、です」

「調査官さんに神殿のことを聞かれても、話さないようにと」


 手が早えな、あの柔らかい声の司祭は。

 門を閉めるだけじゃなくて、門の外の口まで閉めにきやがった。


「神殿のことを聞きに来たんじゃありませんよ」

「でも、売った先の話って」

「あなたの店が、何をどれだけ売ったかです。それは、あなたの商人税の話でしょう」


 男は、返事に詰まった。

 言われてみればそうだ、という顔と、それでも困る、という顔が、交互に出てくる。

 そのとき、店の奥から声がした。


「話しておやりよ」


 奥の戸口の前に、白髪の年寄りの女が腰掛けていた。

 膝の上に籠を載せて、乾いた草の茎から葉をしごき取っている。指先が、草の汁で緑色に染まっていた。


「母さん、余計なことを言うなよ」

「余計なことじゃないよ。うちの油の話だろう」


 年寄りは、しごいた葉を籠に落とした。


「うちの油が、神様の御業に使われてるんだよ。隠すような話じゃないさ」

「そりゃそうだけど、司祭様が」

「司祭様が何と言ったって、あたしは嘘はつかないよ」


 年寄りは、籠を膝から下ろすと、俺の方を見上げた。


「あたしはね、娘の頃から三十年、神殿で下働きをしてたんだ」

「三十年も、ですか」


 ギンが、思わずといった声で聞いた。


「水を汲んで、床を拭いて、神官様の衣を洗ってね。治癒の部屋にも、毎日入ったもんさ」

「治癒のときに、この油を使うんですか」


 俺が聞くと、年寄りは大きくうなずいた。


「使うとも。神官様はね、治す人の目の前で、新しい瓶の封を切るんだよ」


 年寄りは、棚の小さな瓶を一本取って、蝋の封を指でなぞってみせた。


「封を切った油は、その人の額と、悪い所に塗る。それで、一瓶使い切りだ」

「一人に、一瓶ですか」

「一人に一瓶さ。使いかけの油を、ほかの人に塗ることはしない。それが昔からの決まりなんだよ」


 年寄りは、瓶を棚に戻した。

 カウンターの向こうで、息子の方が、天井の草を見上げてため息をついている。


「……瓶は、月に百二十本ほど納めてます」


 観念したように、息子が言った。


「巡礼の多い春と秋は、もう少し出ます。荷車で、月に二度ほど」

「年にすると、ざっと千五百本ですか」

「まあ、そんなところです」


 息子は、そう言ってから、また天井を見上げた。

 年寄りの方は、籠を膝に戻して、葉をしごく手を動かしはじめている。


「あたしが下働きをしてた頃は、ひと月に二十本も出なかったけどねえ」

「今は、その六倍ですか」

「巡礼が増えたのさ。ありがたいことだよ」


 年寄りは、ありがたいことだと、もう一度言った。

 言ってから、しごいた葉を籠に落とす手が、少しのあいだ止まった。


「昔は、金の無い病人も、門の内の長椅子で寝かせてもらえたもんだがね」


 年寄りは、しばらく黙っていた。

 ギンが、俺の顔をうかがっている。俺は、年寄りの手もとを見ていた。

 やがて年寄りは、また葉をしごきはじめた。今度は、俺の方を見ないまま言う。


「あんた、治るところを見たことはあるのかい」

「俺は、まだです。ただ、この記録役が、きのう見てます」


 ギンが、こくりとうなずいた。


「脚の曲がった人が、真っすぐ歩いて坂を下りてきました。泣いてました」

「そうだろう。みんな、泣いて帰るんだ。あたしはこの目で、何百人も見てきたよ」


 年寄りは、満足そうにうなずいた。


「それで、見もしないで、あんたは何を数えに来たんだい」

「俺が数えてるのは、そっちの瓶の方だけですよ」


 俺が棚の瓶を顎で示すと、年寄りは返事の代わりに、しごいた葉を籠へ落とした。

 それが、文句なのか、それでいいという意味なのかは、俺には分からなかった。


     *


 帰り際、息子の方が戸口まで追いかけてきた。


「調査官さん。司祭様に聞かれたら、わたしは何と言えば」

「調査官が、お宅の商人税を調べに来たって言えばいい」

「それだけで、いいんですか」

「本当のことでしょう」


 息子は、少し考えてから、うなずいた。

 それから、店の棚の瓶の方を振り返る。


「神殿が、税を払うことになったら、うちの油はどうなります」

「どうなる、と言いますと」

「神殿が困ったら、うちの油も、買ってもらえなくなるんじゃないかと」

「神殿が治すのをやめない限り、油は要るでしょう」


 息子は、棚の瓶を眺めたまま、そうですね、と小さく言った。

 それで安心したのかどうかは、顔を見ても分からなかった。

 店の前では、荷車の男が、最後の束を荷台に縛りつけていた。明日の朝、また坂を上るんだろう。


     *


 署までは、三軒しかない。

 その三軒を歩くあいだに、頭の中で勘定をした。

 神殿が買っている香油の瓶は、年に千五百本。

 治す人の目の前で封を切って、一人に一瓶を使い切る。

 だったら神殿では、年に千五百人が治してもらっていることになる。

 骨なら五枚、熱なら三枚、目なら十枚。ならせば、一人五枚くらいだろう。

 千五百人が五枚ずつ置いていけば、神殿には一年で七千五百枚が入っている。

 それが、五年分ある。

 署の戸の前で、足が止まった。


「ヘイジさん」


 隣で、ギンも足を止めていた。

 唇が、さっきから小さく動いている。


「七千五百枚の、一割って」

「やめろ。まだ一枚も取れてねえ額の一割を数えるな」

「ヘイジさんが、いつもやってることです」

「俺はいいんだよ。それに、歩合は追徴の一割だ。売上の一割じゃねえ」

「じゃあ、追徴はいくらになるんですか」


 俺は、答えなかった。

 答えなかったが、ギンは俺の顔を見て、勝手にうなずいている。


「今、数えましたね」

「……戸を開けろ。暑くてかなわねえ」


 ギンは、それ以上は何も言わずに、署の戸を開けた。

 坂の上の方から、荷を下ろして空になった荷車が、がらがらと下りてくる音がしていた。


お読みいただき、ありがとうございます。

楽しんでいただけたら、ブックマークや☆からの評価で応援していただけるとうれしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。