第55話 薬草の量
巡礼宿に移って三日目の朝、ギンが署の二階に上がってきた。
坂を下りてくるあいだに汗をかいたらしく、銀色の前髪が額に貼りついている。
「骨は五枚、熱は三枚、目は十枚です」
机の前に立つなり、ギンはそれだけ言った。
「宿の主人が、そう言ってんのか」
「毎晩です。着いた人に一人ずつ聞いて、決まった数だけ別の袋に分けとけって」
「決まった数、か」
「多くても少なくても、門番さんが困るそうです」
お気持ちってのは、ずいぶんきっちり揃うもんだな。
「宿の方は、どうだ」
「宿代が、一晩で銀貨一枚です。ヘイジさんの宿の倍です」
「俺の宿は、署が借りてる安宿だからな」
「署で借りてくれればよかったのに」
「巡礼のふりをしてる記録役の宿代を、署長が出すと思うか」
「ふりはしてません。誰も聞かないだけです」
ギンは、真顔でそう言った。
「それで、ヘイジさんはどうするんですか」
「数を聞きに行く。値段の方は、お前が聞いてきた」
「何の数ですか」
「門の内で、何人治ったかだよ」
*
薬草屋は、坂の一番下の、署から三軒先にあった。
店の前には、門の前で見たあの荷車が止めてある。荷を引いていた男が、店の奥から草の束を運び出しては、荷台に積み上げていた。
戸口をくぐると、乾いた草の匂いが鼻の奥まで入ってくる。
天井の梁という梁から、束ねた草が逆さに吊るしてあった。壁の棚には、口を蝋で固めた小さな瓶が、何十本も並んでいる。
カウンターの向こうで、四十くらいの痩せた男が、瓶の蝋の具合を一本ずつ確かめていた。
手首には、荷車の男と同じ白い紐が巻いてある。
「税務署の調査官です。あなたの商人税の調べに来ました」
男は、瓶を棚に戻した。
「うちは、毎年ちゃんと納めてますよ」
「知ってます。窓口でも、ここはきちんとした店だって聞きました」
「なら、何を」
「売った先の話を、少し伺いたいだけです」
「売った先は、神殿だけです。祖父の代から、香油と薬草を神殿に納めてます」
男は、少しだけ胸を張った。
それから、俺のコートに目を落として、声を小さくした。
「……でも、神殿のことは、お話しできません」
「どうしてです」
「司祭様のお使いが、先週、坂の店を一軒ずつ回っていかれまして」
「何と言って、です」
「調査官さんに神殿のことを聞かれても、話さないようにと」
手が早えな、あの柔らかい声の司祭は。
門を閉めるだけじゃなくて、門の外の口まで閉めにきやがった。
「神殿のことを聞きに来たんじゃありませんよ」
「でも、売った先の話って」
「あなたの店が、何をどれだけ売ったかです。それは、あなたの商人税の話でしょう」
男は、返事に詰まった。
言われてみればそうだ、という顔と、それでも困る、という顔が、交互に出てくる。
そのとき、店の奥から声がした。
「話しておやりよ」
奥の戸口の前に、白髪の年寄りの女が腰掛けていた。
膝の上に籠を載せて、乾いた草の茎から葉をしごき取っている。指先が、草の汁で緑色に染まっていた。
「母さん、余計なことを言うなよ」
「余計なことじゃないよ。うちの油の話だろう」
年寄りは、しごいた葉を籠に落とした。
「うちの油が、神様の御業に使われてるんだよ。隠すような話じゃないさ」
「そりゃそうだけど、司祭様が」
「司祭様が何と言ったって、あたしは嘘はつかないよ」
年寄りは、籠を膝から下ろすと、俺の方を見上げた。
「あたしはね、娘の頃から三十年、神殿で下働きをしてたんだ」
「三十年も、ですか」
ギンが、思わずといった声で聞いた。
「水を汲んで、床を拭いて、神官様の衣を洗ってね。治癒の部屋にも、毎日入ったもんさ」
「治癒のときに、この油を使うんですか」
俺が聞くと、年寄りは大きくうなずいた。
「使うとも。神官様はね、治す人の目の前で、新しい瓶の封を切るんだよ」
年寄りは、棚の小さな瓶を一本取って、蝋の封を指でなぞってみせた。
「封を切った油は、その人の額と、悪い所に塗る。それで、一瓶使い切りだ」
「一人に、一瓶ですか」
「一人に一瓶さ。使いかけの油を、ほかの人に塗ることはしない。それが昔からの決まりなんだよ」
年寄りは、瓶を棚に戻した。
カウンターの向こうで、息子の方が、天井の草を見上げてため息をついている。
「……瓶は、月に百二十本ほど納めてます」
観念したように、息子が言った。
「巡礼の多い春と秋は、もう少し出ます。荷車で、月に二度ほど」
「年にすると、ざっと千五百本ですか」
「まあ、そんなところです」
息子は、そう言ってから、また天井を見上げた。
年寄りの方は、籠を膝に戻して、葉をしごく手を動かしはじめている。
「あたしが下働きをしてた頃は、ひと月に二十本も出なかったけどねえ」
「今は、その六倍ですか」
「巡礼が増えたのさ。ありがたいことだよ」
年寄りは、ありがたいことだと、もう一度言った。
言ってから、しごいた葉を籠に落とす手が、少しのあいだ止まった。
「昔は、金の無い病人も、門の内の長椅子で寝かせてもらえたもんだがね」
年寄りは、しばらく黙っていた。
ギンが、俺の顔をうかがっている。俺は、年寄りの手もとを見ていた。
やがて年寄りは、また葉をしごきはじめた。今度は、俺の方を見ないまま言う。
「あんた、治るところを見たことはあるのかい」
「俺は、まだです。ただ、この記録役が、きのう見てます」
ギンが、こくりとうなずいた。
「脚の曲がった人が、真っすぐ歩いて坂を下りてきました。泣いてました」
「そうだろう。みんな、泣いて帰るんだ。あたしはこの目で、何百人も見てきたよ」
年寄りは、満足そうにうなずいた。
「それで、見もしないで、あんたは何を数えに来たんだい」
「俺が数えてるのは、そっちの瓶の方だけですよ」
俺が棚の瓶を顎で示すと、年寄りは返事の代わりに、しごいた葉を籠へ落とした。
それが、文句なのか、それでいいという意味なのかは、俺には分からなかった。
*
帰り際、息子の方が戸口まで追いかけてきた。
「調査官さん。司祭様に聞かれたら、わたしは何と言えば」
「調査官が、お宅の商人税を調べに来たって言えばいい」
「それだけで、いいんですか」
「本当のことでしょう」
息子は、少し考えてから、うなずいた。
それから、店の棚の瓶の方を振り返る。
「神殿が、税を払うことになったら、うちの油はどうなります」
「どうなる、と言いますと」
「神殿が困ったら、うちの油も、買ってもらえなくなるんじゃないかと」
「神殿が治すのをやめない限り、油は要るでしょう」
息子は、棚の瓶を眺めたまま、そうですね、と小さく言った。
それで安心したのかどうかは、顔を見ても分からなかった。
店の前では、荷車の男が、最後の束を荷台に縛りつけていた。明日の朝、また坂を上るんだろう。
*
署までは、三軒しかない。
その三軒を歩くあいだに、頭の中で勘定をした。
神殿が買っている香油の瓶は、年に千五百本。
治す人の目の前で封を切って、一人に一瓶を使い切る。
だったら神殿では、年に千五百人が治してもらっていることになる。
骨なら五枚、熱なら三枚、目なら十枚。ならせば、一人五枚くらいだろう。
千五百人が五枚ずつ置いていけば、神殿には一年で七千五百枚が入っている。
それが、五年分ある。
署の戸の前で、足が止まった。
「ヘイジさん」
隣で、ギンも足を止めていた。
唇が、さっきから小さく動いている。
「七千五百枚の、一割って」
「やめろ。まだ一枚も取れてねえ額の一割を数えるな」
「ヘイジさんが、いつもやってることです」
「俺はいいんだよ。それに、歩合は追徴の一割だ。売上の一割じゃねえ」
「じゃあ、追徴はいくらになるんですか」
俺は、答えなかった。
答えなかったが、ギンは俺の顔を見て、勝手にうなずいている。
「今、数えましたね」
「……戸を開けろ。暑くてかなわねえ」
ギンは、それ以上は何も言わずに、署の戸を開けた。
坂の上の方から、荷を下ろして空になった荷車が、がらがらと下りてくる音がしていた。
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