第53話 国王の許可
次の朝、門まで一緒に来てくれと頼むと、署長は胸の前で両手を組んだ。
「わたしは、朝のお祈りが長うございますので」
「門の前でも、お祈りはできるでしょう」
「門の前ですと、なおさら長くなりますので」
署長はそう言って、本当に窓の方を向いて祈りはじめてしまった。
窓口の若い男が、気の毒そうな顔でこっちを見ている。
しょうがねえな。もともと、二人一組の相手は署長じゃねえ。
「行くぞ、ギン」
「はい」
*
坂の道は、朝から巡礼の人でいっぱいだった。
道の両側には、白い壁の店がぎっしり並んでいる。どの店の窓にも、白い紐を編んだお守りや、小さな瓶に詰めた水が並べてあった。
瓶の水は、聖水というらしい。店先の札にそう書いてある。
宿の戸口からは、灰色の上着の人たちが、杖を抱えて次々に出てきた。どこかの店の奥からは、乳で何かを煮る甘い匂いが流れてくる。
ギンが鼻をひくつかせて、匂いの方を振り返った。
「朝ごはん、まだでしたね」
「帰りに食う。上りは腹が軽い方がいい」
坂の途中で、荷車が一台、後ろから俺たちを追い越していった。
荷台には、干した草の束が山のように積んである。束のあいだには、口を蝋で固めた小さな壺も、藁にくるんで並べてあった。
車を引いている男は、手首に白い紐を巻いていた。
坂を上りきると、門の前に出た。
近くで見ると、門は思っていたよりずっと大きい。白い石を積んだ柱が二本、その上に白い石の梁が渡してある。扉は内側へ開いたままで、奥に神殿の石段が見えていた。
門の両脇には、白い衣の門番が一人ずつ立っている。
巡礼の人は、一人ずつ門番の前で足を止めた。門番が鉢の水を指につけて、その人の額に触れる。触れられた人は、頭を下げて門をくぐっていく。
さっきの荷車も、門の前で止まった。
男が白い紐を巻いた手首を見せると、門番はうなずいて、荷車ごと門の内へ通してやった。
草も壺も、門を通れるってわけか。
俺は、列の脇から門番の前へ出た。
「税務署の調査官です。神殿の会計をあずかっている方に、お目にかかりたいんですが」
門番は、俺のコートを上から下まで見た。
それから、門の脇の小さな戸の方へ、目だけを動かす。
その戸が開いて、白い衣の男が一人、出てきた。
五十がらみの、ふっくらした手の男だ。巡礼の人たちが、その男の前で次々に頭を下げていく。
「お待ちしておりました。穀倉からいらした、上席調査官どのですね」
柔らかい声だった。
大きな声ではないのに、門の前の人のざわめきの中でも、よく通る。
「神殿の会計をあずかっております、司祭でございます」
「ご存じでしたか、俺のことを」
「神殿には、いろいろな方がお参りに見えますので」
会計司祭は、穏やかに笑った。
伯爵の遠縁だという大司祭のことは、一言も口にしない。言わなくても、俺の方で察しがつくと分かっている顔だった。
「せっかくお越しいただきましたのに、申し訳ございません」
胸の前で手を組んで、軽く頭を下げる。
「信者でない方は、調査官といえど、国王陛下のお許しなしには、門の内へお通しできないのです」
「古い決まりだそうですね」
「この神殿が建ったときからの決まりでございます」
「では、門のこっちで伺います。神殿の儲けの話を」
司祭は、首をかしげた。
「儲け、でございますか」
「ええ。治癒の魔法を授けて、お礼を受け取ってらっしゃるでしょう」
「お礼ではございません。寄進でございます」
柔らかい声のまま、俺の言葉を一つだけ言い直してくる。
「治していただいた方が、神様へのお気持ちを置いていかれるのです」
そう言いながら、司祭は、門をくぐっていく巡礼の背中にちらりと目をやった。
「神殿は、商いはいたしません」
「そのお気持ちは、だいたい、いくらぐらいです」
「お気持ちですから。いくらでも」
会計司祭は、少しも困った顔をしなかった。
いくらでも、か。
その横を、灰色の上着の男が一人、額を濡らして門をくぐっていく。懐に、口を縛った袋の膨らみがあった。
「調査官どのも、信者になられれば、いつでもお入りいただけますよ」
「信者になったら、中を数えさせてもらえますか」
「お祈りのためでしたら、いつでも」
ギンが、俺の後ろで小さく咳をした。笑いをこらえたらしい。
司祭の方は、それにも気づかないふりで、門番の方へ手を差し出した。
門番が、鉢の水を小さな杯に移して、会計司祭に渡す。
「せめて、聖水を一杯。坂を上って、喉が渇かれたでしょう」
「お代は、いくらです」
「神様の水に、お代などいただきません」
「なら、やめておきます」
会計司祭は、杯を持ったまま、ほんの少しだけ目を細めた。
それから、何も言わずに杯を門番へ返した。
坂の店の窓には、同じ水が瓶に詰めて並んでいたがな。
「では、陛下のお許しが届きましたら、またお越しくださいませ。そのときは、喜んでご案内いたします」
もう一度頭を下げると、司祭は門の脇の戸の向こうへ戻っていった。
戸が閉まると、門番は、何もなかったように次の巡礼の額に水をつけた。
*
署に戻ると、その日のうちに、王都の次官あてに国王の許可を願う手紙を出した。
手紙を窓口の若い男に預けて二階へ上がると、署長が俺の机の前で待っていた。
「上席どの。あの、王都へ何を」
「国王陛下の許可を、次官に頼みました。門の内へ入るための」
署長は、両手を胸の前で組みかけて、途中でやめた。
「許可なんて、出るわけがありません」
「どうしてです」
「次官様が、神殿のことで陛下にお願いなどなさるものですか」
署長は窓の外の門の方へ目をやってから、声を落とした。
「大司祭様のお身内には、王都の貴族の方々もおいでなのです」
「伯爵様だけじゃない、と」
「はい。前にも王都から、調査官どのが一人お見えになりました」
「その人も、手紙を」
「出されました。お返事は、一度も来ませんでした」
「その調査官は、どうしました」
「一年待って、王都へ帰られました」
署長は、また胸の前で手を組みかけて、やめた。
隣の机で、ギンが顔を上げた。
「ヘイジさん。出ないって分かってて、なんで出したんですか」
「頼んでおかねえと、あとで次官に、そんな話は聞いてないって言われるだろうが」
「言われたら、困るんですか」
「頼んだのに出なかった、って方が、こっちは動きやすいんだよ」
ギンは、少し考えてから、ああ、という顔をした。
署長の方は、分かったような分からないような顔で、俺とギンを見比べている。
「では、お返事が来るまで、上席どのは何を」
「飯を食って、人と話しますよ。この街には、人がいくらでもいる」
署長は、ますます分からないという顔になった。
*
夕方、もう一度坂を上った。
門の少し手前で、朝の荷車が下りてくるのが見えた。荷台は、すっかり空になっている。
引いているのは、手首に白い紐を巻いた、あの男だ。
「重そうな荷でしたね、朝は」
声をかけると、男は荷車を止めて、額の汗を拭った。
「坂を上るのが重いんだよ。下りは楽なもんさ」
「あの草は、どこの店のです」
「坂の下の、薬草屋だよ。おれはそこの荷を引いてるだけさ」
「毎日、上ってるんですか」
「毎日ってほどじゃないが、月にだいぶな。神殿は、薬草も香油もよく使うんだ」
男はそれだけ言うと、また荷車を引いて坂を下りていった。
俺のコートが何なのかは、最後まで気にしていないようだった。
門の方を見ると、門番の前で、女が一人、立ち止まっていた。
灰色の上着ではない。この街の者らしい、継ぎの当たった前掛けをしている。腕には、毛布にくるんだ小さな子供を抱いていた。
子供は、さっきから乾いた咳を続けている。
門番が身をかがめて、女に何か小さく言っている。
女が前掛けのポケットから小さな袋を出し、口を開けて見せると、門番は中をのぞいてから、ゆっくり首を振った。
女は、しばらくその場から動かなかった。
やがて袋の口を縛り直し、子供を抱え直して、門に背を向ける。
坂を下りてくる女と、俺たちはすれ違った。子供の咳が、すぐ横を通りすぎていく。
女は、俺たちの方を見もしなかった。
「ヘイジさん」
ギンが、女の背中を目で追ったまま言った。
「今の人、袋を見せてましたよね」
「見せてたな」
「何て言われたんでしょう」
「聞こえなかった」
本当に、聞こえなかったのだ。
門番は、もう次の巡礼の額に水をつけている。女の背中は、灰色の上着の列のあいだを、坂の下へ小さくなっていった。




