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第52話 白い街

 穀倉を出て三日目の夕方、馬車は最初の街の西門の前で止まった。

 北へ行く馬車は、東門から出るらしい。出るのは明日の朝だと、御者が教えてくれた。

 ギンは鞄を肩にかけ直すと、門の内の通りを一度見てから、俺の顔を見た。


「今年は、先に母さんの家に寄ってきます」

「おう」

「あとで、角のお店に行きます。パイ、一切れ残しといてくださいね」

「知らねえよ。店の方に言え」


 ギンは返事もしないで、もう通りを駆けだしていた。

 俺は中央通りへは入らずに、街の壁に沿った裏の道を東へ歩いた。

 コートの内側では、穀倉でもらった四百二十枚の袋が、歩くたびに脇腹を叩いてくる。三日も馬車に揺られているうちに、この重さにもすっかり慣れちまった。

 港の千二百枚の方は、まだ王都の引き出しの中だ。


     *


 角の店は、戸が開けっぱなしになっていた。

 戸の脇の壁に、杖が何本も立てかけてある。どの杖の頭にも、白い布切れが結んであった。

 中をのぞくと、席は一つ残らずふさがっていた。壁を抜いた向こうの席まで、灰色の旅の上着を着た客で埋まっている。

 荷馬車の御者たちとは、上着の色も食い方も違う連中だ。皿に手をつける前に、両手を胸の前で組んでいる者までいた。

 どこに立てばいいのかと戸口で迷っていたら、窯の前の店主と目が合った。

 店主は何も言わずに、焼き上がったパイを台の上で切り分けている。二切れを皿に載せると、客の頭の上を越して、こっちへ皿を突き出してきた。


「座る所は無えぞ」


 受け取った皿は、まだ熱かった。

 今年も来たぞ、と言う前に、皿の方が先に来ちまった。

 仕方がないので、窯の脇の壁に背中をつけて、立ったまま食う。

 窯のそばは、春の夕方だというのに夏みたいに暑い。かじるたびに脂が顎まで垂れてくるのを、手の甲で拭いながら食った。

 隣では、灰色の上着の男が、連れの女と並んで壁に寄りかかっていた。

 右の腕を、板切れで挟んで首から吊っている。女の持った皿からパイを左手でつまもうとして、さっきから三度も皿に落としていた。

 見かねたのか、女は、一口ずつちぎって男の口に入れてやっている。

 その女の腰には、口をきつく縛った大きな革袋が下がっていた。


「神殿までかい」


 皿を重ねて運んでいた店の女房が、男の吊った腕を見て声をかけた。


「ああ。北の街道を、あと十日だ」

「坂が多いからね、気をつけて行きな」

「治してもらったら、帰りにまたここで食うよ」

「寄っとくれ。今度は、両手で食べられるようになってからね」


 男は、照れたように笑った。

 店の女房が皿を抱えて行ってしまうと、連れの女は、上着のポケットから銅貨を数えて出した。

 腰の革袋の方は、紐に指もかけない。

 あっちの袋は、パイの代じゃねえってことか。

 二切れ目を半分ほど食ったところで、戸口から銀色の頭がのぞいた。

 ギンは店の中を見回して、俺が壁に貼りついているのを見つけると、客のあいだをすり抜けてきた。


「立って食べてるんですか」

「座る所が無えんだよ」


 そこへ、店の女房が窯の方から戻ってきた。

 ギンの顔を見るなり、持っていた皿を一枚、窯の縁に置く。一切れ、ちゃんと載っていた。


「記録役さん、熱いうちにお食べ。そこしか置く所がないけどね」

「ありがとうございます、奥さん」


 ギンはパイを手に取ると、隣の腕を吊った男に、ぺこりと頭を下げた。

 男の方も、つられて頭を下げる。


「あんたたちも、神殿に行くのかい」

「はい。あたしたちは、仕事なんです」

「へえ。神殿で働くのかい」


 ギンが、ちらりと俺の顔を見た。


「……そんなところです」


 神殿の金を数えに行く、とは、この店では言えねえよな。

 男は、そうかい、と言って、それきりギンの答えを疑いもしなかった。

 食い終わった皿を窯の縁に置いて、俺は銅貨を三枚、皿の横に並べた。

 ギンが、横からその三枚を見る。


「あたしの分、自分で払いますよ」

「立ち食いの分は、まとめて払うもんだ」

「そんな決まり、聞いたことないです」

「今、決めたんだよ」


 店主が窯の前から来て、皿を取り上げた。

 俺は、そのときになってやっと言った。


「今年も来たぞ」


 店主は皿を持ったまま、俺の顔を見た。


「食い終わってから言う奴があるか」


 それだけ言うと、店主は三枚を前掛けのポケットに落として、窯の前へ戻っていった。

 ギンが、パイを口に入れたまま、肩を小さく揺らしていた。


     *


 次の朝、北行きの馬車は東門を出ると、すぐの分かれ道で北へ折れた。

 街を出てまだいくらも行かないうちに、道端を歩く腕を吊った男と、連れの女の背中に追いつく。

 馬車がそばを抜けていくときにギンが窓から手を振ると、男は、吊っていない方の手を振り返してきた。


「あの人、治るといいですね」

「治るんだろ。だから、十日も歩くんだ」


 二日目の昼には、道の両側から畑が消えた。代わりに、松と白っぽい岩の斜面が続くようになる。

 道を歩いている人は、北へ行くほど増えていった。

 どの人も、白い布切れを結んだ杖をついている。灰色の上着の背中が、坂の上の方まで点々と続いていた。


 五日目の昼過ぎに峠を一つ越えると、向かいの丘が目に入ってきた。

 丘の斜面いっぱいに、家が建っている。屋根の低い家も、背の高い宿も、壁が一つ残らず白い。春の日を浴びて、丘ごと光って見えた。

 その頂に、ひときわ大きな白い建物が載っている。鐘の塔が一本、空に突き出ていた。

 あれが、大神殿だろう。

 神殿のぐるりは、白い壁で囲まれている。坂を上った先に、門が一つだけ開いていた。

 門の手前から坂の下まで、灰色の上着の列が、ずっと続いている。


「全部、白いんですね」


 ギンが、窓に額をつけていた。


「港の屋敷も白かったけど、こっちは街ごとです」

「塗り直すのに、いくらかかってんだろうな」

「最初に考えるの、そこですか」


     *


 神殿都市の署は、坂の一番下にあった。

 巡礼宿が並ぶ通りの外れの、二階建ての小さな家だ。ここだけは、白い漆喰があちこち剥げている。

 戸を開けると、窓口の机で居眠りをしていた若い男が飛び起きて、奥へ駆けていった。

 代わりに出てきたのは、灰色の髪をきちんと撫でつけた男だった。五十を少し過ぎたくらいだろう。この署の署長だ。


「上席調査官どのに、記録役どの。遠いところを、よくお越しくださいました」


 署長は、俺の手を握った。

 握ったまま、なかなか放さない。


「穀倉のお話は、こちらにも聞こえております。伯爵様のことも」

「お耳が早いですね」

「この街には、王都の方々もお参りに見えますので」


 そのとき、坂の上の方で鐘が鳴った。

 署長は俺の手を放すと、くるりと坂の上の方へ向き直った。両手を胸の前で組んで、深々と頭を下げる。

 鐘が鳴りやむまで、署長はそのままだった。

 窓口の若い男も、机の向こうで同じように頭を下げている。

 鐘が鳴るたびに、これをやるのか。

 鳴りやむと、署長は何事もなかったような顔で、こっちへ向き直った。


「失礼いたしました。昼のお祈りの鐘でして」

「日に何度鳴るんです」

「七度でございます」


 七度。

 話の途中で七度も頭を下げられたら、こっちの話は一日に七つにちぎれる。


「署長。神殿から、この署に入る税は、どのくらいです」


 署長は、組んでいた手をほどいた。


「……一枚も」

「一枚も、ですか」

「神殿がいただくのは、寄進でございますから。神様への物に、税をかける者はおりません」

「この署が建ってから、ずっとですか」

「わたしの前の署長の、そのまた前から、ずっとでございます」


 署長は、自分の胸の前で、もう一度小さく手を組んだ。

 鐘は鳴っていない。


「上席どの。どうか、門の内のことには」


 署長は、そこで言葉を切った。

 続きは、言わなかった。


     *


 俺の机は、二階の窓際に用意してあった。

 港の倉庫に比べれば、上等だ。窓から、坂の上の門がまっすぐ見える。

 日が傾いても、坂の列は短くならなかった。

 灰色の上着の人たちが、一歩ずつ坂を上っていく。

 あの人たちも皆、角の店にいた女と同じような袋を、どこかに下げているんだろう。

 あれだけの人が、毎日あの門をくぐっていく。


「ヘイジさん、もう日が沈みますよ」


 隣の机で荷をほどいていたギンが言った。

 坂の上で、また鐘が鳴る。夕方の鐘だ。

 階段の下から、署長と窓口の若い男が頭を下げる衣擦れの音が聞こえてくる。

 鐘が鳴りやむと、門がゆっくり閉まりはじめた。

 門の前に残った人たちは、帰ろうとしなかった。坂の途中に腰を下ろして、杖を抱えたまま、朝が来るのを待つつもりらしい。

 日が沈みきってからも、白い門だけは、坂の下からいつまでも見えていた。


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