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第49話 鋤と種麦

 年が明けて最初の月が終わると、署長は日なたの椅子から、珍しく自分で俺の机まで歩いてきた。


「川沿いは、何軒払ったんだね」

「五軒です。牛を売った家が三軒、町の親戚から借りた家が二軒」

「残りは」

「十九軒です」


 署長は、白い眉の下で目を細めた。

 それから、窓の外の倉の屋根を眺めながら、のんびりと言う。


「なら、まとめて押さえて、まとめて売ってしまえばいい」

「畑をですか」

「畑も家もだよ。それに、川沿いの家の種麦は、みんな村長の倉に移してあるそうじゃないか」

「差押えが怖くて、預けたんでしょうね」

「あれも押さえれば、一度で片がつく」


 窓口の机で、窓口の女が顔を上げた。

 隣の机のギンは、ペンを持ったまま署長の顔を見ている。


「家と鍋と寝床は、押さえません。鋤と種麦もです」

「どうしてだね。そっちの方が、手間がかからないだろうに」

「種麦まで取ったら、春にあの畑で、誰が麦をまくんです」

「買った者がまくだろう」

「市場の穀物商が、自分で鋤を握りますか」


 署長は、答えなかった。


「耕す者が村を出ていったら、来年の秋、あの畑からは一粒も税が入りませんよ」

「……来年の税か」

「王都に送る額が減りますね。署長が、王都に呼ばれるかもしれない」


 署長は、しばらく黙って爪の先を眺めていた。

 そのあいだに、窓口の女が小さく咳払いをする。


「署長。十年ほど前に、鍋まで押さえた調査官さんがいましたよね」

「いたね」

「次の年、あの村は半分が空き家になりましたよ」


 署長は、ため息を一つついた。

 前の街の署でも、同じ決まりにしてもらったことがある。そう言いかけて、やめておいた。言わなくても、もう判の箱に手が伸びている。


「判を押せば、きみは静かになるのかね」

「なります」

「嘘だね」


 署長は判を押すと、また日なたの椅子へ戻っていった。


     *


 差し押さえる畑を、一枚ずつ歩いた。

 雪の解けかけた畦を、持ち主に先に立ってもらって、どこからどこまでがその家の畑かを、自分の足で示してもらう。

 畦の角には、どれもまだ伯爵の紋の杭が立っていた。

 一軒目の家の主は、畦を黙って歩いて、川べりの柳の木の手前で足を止めた。


「ここまでだ」

「柳の手前までですね」

「ああ。親父の代から、ずっとここまでだ」


 主は、足もとの杭を見下ろした。

 伯爵の紋が焼きつけてある。主はその杭に手をかけて、少しだけ揺すった。


「これ、まだ要るのかい」

「要りませんよ。もう、伯爵様の畑じゃありませんから」

「……抜くのは、買った奴の仕事だな」


 主は手を離して、家の方へ戻っていった。

 川下の畑の畦には、あの年寄りが腰を下ろしていた。

 倅の畑は、差し押さえる畑に入っていない。年寄りは、隣の畑を歩く俺たちを、ずっと目で追っている。

 俺たちが畦の端まで来ると、年寄りは、隣の畑の方へ顎をしゃくった。


「その畑はな、隣の爺さんが、わしと二人で開いた畑だ」

「そうですか」

「石を拾うのに、二年かかった。爺さんはもう死んだがな」


 年寄りはそれだけ言うと、また隣の畑に目を戻した。

 村長の言うとおりにしてよかった、という話も、二十枚浮いたという話も、もう出てこない。

 畦を歩き終えてから訪ねた五軒目の家は、今度は戸を開けた。

 出てきたのは、母親だ。後ろの寝床の上には、冬のあいだ一度もたたんでいない布団が、こんもりと盛り上がっている。

 母親は畦を案内するとすぐに家へ戻って、その布団の上に腰を下ろしてしまった。

 布団の端から、麻の袋の口がのぞいている。


「そこにあるのは、種麦ですか」


 母親は答えずに、袋の口を布団の中へ押し込んだ。

 布団の陰から、小さな男の子が俺の顔をのぞいている。


「種麦は、取りません。鋤も、鍋も、その布団もです」

「……本当かい」

「取るのは、畑だけです」


 母親は、布団の上に座ったまま俺を見上げた。


「畑だけ、って」

「畑だけです」

「畑が無けりゃ、種麦なんか、どこにまけばいいのさ」


 俺は、答えなかった。

 男の子が、母親の袖を引っぱった。


「かあちゃん、この人、また来たの」

「黙ってな」


 母親は男の子の頭を胸に押しつけて、布団の上から動かなかった。

 俺は頭を下げて、家を出た。

 戸の外では、ギンが畦の方を向いて立っていた。中の話は、全部聞こえていたはずだ。


「次は、六軒目です」


 ギンは、こっちを振り向きもしないで、先に歩き出した。


     *


 畑の公売は、町の市場の大きな秤の前で開いた。

 秤の番の年寄りが、腕を組んで秤の脇に立っている。四十年この広場にいて、畑が売られるのを見るのは初めてだと言っていた。

 広場の端には、川沿いの村の者が何人も来ていた。

 自分の畑が誰の手に渡るのかを、見届けに来たのだろう。前に出てくる者は、一人もいない。

 買い手として名乗り出たのも、一人だけだった。

 市場の通りで一番大きな店の主人、穀物商だ。


「十九枚、全部いただきましょう」


 穀物商がつけた値は、どの畑も、払えなかった四十枚をわずかに越えるだけだった。

 秤の番の年寄りが、腕を組んだまま、ぼそりと言う。


「買う者が一人きりじゃ、値も一つしか出ねえな」


 そのとおりだった。売れた値から四十枚を引くと、どの家にも、銀貨が何枚か残るだけだ。

 十九枚のうちの一枚は、村長の畑だった。村長は、広場に来ていない。

 俺は、その銀貨を一軒ずつ、元の持ち主の手に渡した。

 白髪の男は、手のひらの銀貨を見下ろしたまま、礼も言わずに広場を出ていった。

 一軒目の家の主は、受け取った銀貨を、そのまま女房の手に移した。

 女房は赤ん坊を片腕に抱いたまま、銀貨を握りしめる。


「これで、牛は売らずに済んだね」


 主は、何も答えなかった。

 牛が残っても、春からその牛で起こすのは、穀物商の畑だ。

 公売が済むと、穀物商は帽子を取って俺の前に来た。


「調査官さんは、わしに何か頼みに来なさるかと思っておりましたよ」

「何をです」

「小作料をまけてやってくれ、とか。元の持ち主に耕させてやってくれ、とか」

「頼みませんよ。俺の仕事じゃありませんから」


 穀物商は、ほう、という顔をした。


「耕させるつもりではおりますよ。川沿いの畑の癖を一番知っておるのは、あの村の者ですからな」

「そうですか」

「小作料は、収穫の四割。この辺りの相場です。安くはしません」

「どうぞ。その小作料も、あなたの儲けですから」

「はあ」

「春の申告には、ちゃんと入れといてくださいね」


 穀物商は、少しのあいだ口を開けていた。

 それから、帽子を持ったまま、腹を揺すって笑った。


「なるほど。伯爵様が負けるわけだ」


 穀物商は帽子をかぶり直して、秤の番の年寄りに会釈してから、自分の店の方へ帰っていった。

 隣で、ギンが小さく息を吐く。


「四割って、名義料の八倍ですよ」

「よく数えたな」

「数えたくなかったです」


     *


 春が近づいて、川沿いの道の雪が泥に変わったころ、村長の家の倉が開いた。

 冬のはじめに、川沿いの家の者が、差押えを怖がって種麦を預けにきた倉だ。

 その倉の前に、村じゅうの者が並んでいる。

 畑を売られた家も、売られなかった家も、同じ一つの列だった。

 村長は、倉の戸口に立って、袋を一つずつ持ち主に返していく。どの袋の口にも、家ごとに数の違う結び目が作ってあった。


「次」


 村長が呼ぶと、列が一つ前に進む。

 袋を受け取った者は、村長に頭を下げて、肩に担いで庭を出ていく。

 一軒目の家の主も、赤ん坊を抱いた女房を後ろに連れて並んでいた。

 主は袋を受け取ると、結び目を指で数えてから肩に担いだ。その袋の麦は、春になれば、穀物商の畑にまかれることになる。

 俺とギンは、庭の柵の外に立っていた。

 村長は、一度も俺の方を見なかった。最後の袋を渡し終えるまで、同じ声で「次」と言いつづけていた。

 庭を出ていく背中が、川沿いの道に一つずつ散っていく。

 袋を担いだ背中も、抱えた背中も、来たときより少しだけ低く見えた。


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