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第47話 耕しているのは俺だ

 伯爵の館の庭では、朝から猪が一頭、炭火の上で回っていた。

 伯爵が狩り場の森で、自分で仕留めた猪だという。鉄の串の取っ手を回している若い下男は、顔じゅう汗だくになっている。

 脂が火に落ちるたびに、じゅっと鳴って、煙が庭を横切っていく。

 その煙の向こうに、川沿いの村の者が並んでいた。

 家ごとに腕に通してきた編んだパンの輪は、庭の端の長い机に積み上げてあった。

 家の主と女房に、年寄りと子供まで入れて、ざっと百五十人。

 数えずにいられないのは、もう癖だ。

 庭の奥には低い石段があって、その上に伯爵が立っている。段の下には村長が控え、伯爵の横には、夏の終わりに来た新しい代官がついていた。

 俺とギンは、石段の脇に立たされていた。伯爵のお客人の場所だそうだ。


「娘さんのとこ、来てます。右の一番後ろです」


 ギンが、隣で小さく言った。


「見えてるよ」


 あの痩せた年寄りと、その倅と、倅の女房。女房の前掛けの裾を、六つの娘が握っている。

 四人とも、ほかの家と同じように地面を見ていた。

 伯爵が、両腕を広げた。


「皆の者、よう来た! 今年も、余の畑はよう実ったな!」


 笑い声が、庭の端の柵まで響く。

 村の者たちは、黙って頭を下げた。

 伯爵は上機嫌のまま、石段の上から俺の方を見下ろしている。


「そこにおる調査官がな、川沿いの畑はお前らの畑だと言いふらしておるそうだ」


 前の方の何人かが、ちらりと俺を見て、すぐに目を伏せた。


「だから今日は、皆の口から言うてもらおうと思うてな。村長」

「はい」

「川沿いの畑は、誰の物だ」


 村長は、伯爵の方へ深く腰を折った。


「伯爵様の物でございます」

「そうだろう。王都にも、そう届けてある」


 伯爵は、満足そうに庭を見回した。


「この畑は、余の物だ。皆も、そうだな」

「そのとおりでございます」


 村長がもう一度言って、振り返りもせずに頭を下げる。

 それにつられるように、前の列から順に頭が下がっていった。

 皆がうなずけば、それで勝ちだと思ってやがるんだろう。

 いや、そういう勝負じゃねえんだがな。

 下がっていく頭が、庭の後ろの方まで届きかけたときだった。

 右の一番後ろで、一つだけ、下がらない頭があった。

 倅が、前に出た。

 下げかけた頭のあいだを抜けて、石段の下まで、まっすぐ歩いてくる。

 途中で、後ろから追ってきた年寄りが、その袖をつかんだ。


「よせ」


 倅は、振り返らなかった。

 年寄りの手は、袖をつかんだまま、しばらく引っぱっていた。それから、指が一本ずつ離れていく。

 年寄りは、止めようとした手を下ろしたきり、その場に立ち尽くしてしまった。

 倅が、石段の上の伯爵を見上げる。


「耕しているのは俺だ」


 庭が、しんとなった。

 炭火の上で、猪の脂がじゅっと鳴る。串を回していた下男まで、手を止めていた。


「……何と申した」


 伯爵は、本当に聞こえなかったような顔をしている。

 横の新しい代官に、顔を寄せて聞いた。


「あれは、どこの者だ」

「川下の、四つ目の畑の者でございます」


 自分の畑だと言った畑の、耕してる奴の顔を代官に聞くのかよ。

 川下の農夫は、伯爵が誰に何を聞いたのかも気にせずに、続けた。


「種をまいたのも、刈ったのも、俺と親父と女房だ」


 声は大きくなかった。それでも、庭の後ろまでちゃんと届いている。


「三年前の春に、川があふれて、うちの畑が泥に埋まった」

「それがどうした」


 伯爵が、石段の上から言い返した。


「泥を掻き出したのは、村の者だ。伯爵様は、見にも来なかった」


 農夫は、自分の両手に目を落とした。

 祭りの日だというのに、指の節まで黒い土がこびりついている。


「そのあいだも、杭だけは伯爵様の紋のまんま立ってた」


 伯爵の顔から、笑いが抜けていった。

 怒ったというより、何を言われたのか分からない子供のような顔だ。

 伯爵は口を何度か開け閉めしてから、横の新しい代官を振り返った。


「代官。名乗り出た者の畑は、余が取り上げると触れさせたな」

「はい。触れてまわりました」

「調査官、聞いたな。紙には、余の名が書いてある。この者の畑は、今日から余が取り上げる」

「ええ。紙の上では、伯爵様の畑です」


 俺は、石段の下まで歩いていって、農夫の隣に並んだ。


「それで伯爵様は、この五年、この畑で何をなさってました」

「何をとは、何だ」

「種もまかず、刈りもせず、泥も掻かずに、毎年、収穫の五分を受け取ってらした」

「名義料だ。名を貸してやったのだから、当然だろう」

「名前を貸して、金を取る。それは商売ですよ」


 伯爵が、眉を寄せた。


「貴族の土地に、税はかかりません。ですが、貴族の商売の儲けには、商人税がかかります」

「余が、商売だと?」

「五年分の名義料に、二割。隠していた分の加算を、半分乗せまして」


 俺は、庭じゅうに聞こえるように声を張った。


「〆て、金貨百五十枚」


 伯爵は、百五十、と口の中で繰り返した。

 それから、段の下の村長をにらみつける。


「村長! 名を貸せと言うて持ってきたのは、お前だったな」

「さようでございます」


 村長は、頭を下げたまま答えた。

 言い訳は、一言もしない。


「余は知らんぞ。お前がそう言うから、貸してやっただけだ」

「さようでございます」


 伯爵は、庭の村の者たちを見回した。

 さっきまで地面を見ていた目が、今は全部、石段の上を向いている。伯爵の喉が、ごくりと動いた。


「名義料など、返してやれ!」


 伯爵が、横の新しい代官に怒鳴った。


「百姓の小銭で、余の名を汚されてたまるか。百姓の畑なぞ、余は一枚も要らん」

「伯爵様。二十五軒の五年分となりますと、五百枚になりますが」

「返せと言うておる!」


 新しい代官は、黙って頭を下げた。

 取り上げるはずの畑を、自分の口で放り出しちまったよ、この人は。

 五百枚が、伯爵の金庫から村へ動く。

 それだけの金が動くってのに、俺の歩合には一枚もならねえんだよな。

 まあいい。ここからは、こっちの話だ。

 俺は、隣の農夫に向き直った。


「あなたの家は、今日、自分から名乗り出ました。ですから、加算は付きません」


 農夫は、俺の方を見なかった。石段の上で口を結んだままの伯爵を、まだ見上げている。


「五年分の収穫税が、四十枚。伯爵様から返ってくる名義料の二十枚は、そっくりこっちへ回してもらいます」


 農夫の喉が、一度だけ動いた。


「足りない分は、二十枚です」


 後ろで、年寄りが息をのむ音がした。

 農夫はようやく伯爵から目を離すと、太い指を一本ずつ折りはじめた。


「二年の麦で、払える」


 それだけ言って、農夫は指をほどいた。

 俺は、農夫の後ろに並んだ村の者たちの方を向いた。


「名乗り出るなら、署まで来なくても、ここで聞きます。今日の、日が沈むまでです」


 誰も、動かなかった。

 前の列で、若い男が一人、片足を半歩前に出しかけた。隣にいた女房らしい女が、その腕をつかむ。

 男は、出しかけた足を、そっと元に戻した。

 足一つ分で、二十枚違うんだがな。

 白髪の男が顔を上げかけて、村長の背中を見た。村長はまだ石段の方を向いて頭を下げたままで、誰の方も振り返らない。

 白髪の男は、また地面に目を落とした。

 伯爵が、石段を踏み鳴らした。


「馬を引け! 狩りに行く」

「伯爵様、祭りはどういたしましょう」

「知らん!」


 新しい代官が呼び止めるのも聞かずに、伯爵は館の裏へ消えていった。

 しばらくすると、館の裏で馬が一つ高くいなないて、それきり静かになった。

 炭火の上では、誰にも回されなくなった猪が、片側だけ焦げはじめていた。


「自分のお祭りなのに、狩りに行っちゃいましたね」


 ギンが、俺の後ろで言った。


「猪なら、そこにもう一頭いるんだがな」


 村長が、ようやく頭を上げた。

 伯爵の消えた方へもう一度だけ腰を折ってから、村の者たちの方へ向き直る。


「祭りは、しまいだ。猪は切り分けて、家ごとに持って帰れ」


 その声で、村の者たちはやっと動き出した。

 男たちが何人か炭火の方へ行き、女たちは前掛けを広げて肉を受ける支度を始めている。俺の方へ来る者は、一人もいなかった。

 日が沈むまでには、まだだいぶある。

 それでも、今日はもう誰も名乗り出てこないだろう。村長は、皆が炭火の方へ行くのを、一人ずつ見届けていた。

 農夫だけは、炭火の方へ行かなかった。

 俺には何も言わずに、家族のところへ戻っていく。

 年寄りは、止めようとして下ろした手を、まだ腰の横にぶら下げていた。倅がその前を通っても、顔を上げない。

 娘だけが、父親の方へ駆けていって、その手を両手で握った。

 握られた手から、乾いた土がぽろぽろとこぼれる。

 さっきまで農夫が立っていた石段の下には、伯爵の庭の白い敷石の上に、そこだけ畑の土が落ちていた。


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