第2話 見逃す奴と、でっち上げる奴
次の朝、二階の部屋に上がると、真ん中の机から金貨の鳴る音がしていた。
先輩が、積んだ金貨の縁を指輪でかちかち叩いている。部屋じゅうに聞かせたいときの鳴らし方だ。
「おう、ヘイジ。昨日は冒険者から二十枚だってな。ご苦労なこった」
「どうも」
「俺は裏通りの鍛冶屋から四十枚だ。炉がでかかったから、儲けもそれなりだろうってな」
「推計ってやつですか」
「おうよ。歩合は四枚、半日仕事だぜ」
炉の大きさで儲けが決まるなら、この街の鍛冶屋は全部同じ額を払っていることになる。
前世の上司だったら、そんな数字を持って帰った部下は朝まで帰してもらえなかったはずだ。
先輩は俺の後ろに目をやると、口の端を上げた。
「そっちが噂の窓口の娘か。客を嘘つき呼ばわりして、窓口を追い出されたんだってな」
「嘘つきを嘘つきと言っただけです」
ギンは足も止めずに言い返して、俺の机の横に座った。
先輩は鼻で笑って、また金貨を積み直している。ギンはしばらく、その指輪の手をじっと見ていたが、やがて声を落とした。
「あれって、本当に四十枚も取っていい額なんですか」
「見逃す奴を無くすために歩合にしたら、でっち上げる奴が増えたってわけだ」
「だったら、決まりを変えればいいのに」
「決まりを作るのは王都だよ。この署で変えられるのは署の中の決まりだけで、それを決めるのは署長だ」
「じゃあ、署長に言えば」
「署長は、税収が減る話を聞くのが大嫌いなんだよ。あの四十枚だって、署長にとっちゃ立派な税収だからな」
ギンは口をとがらせて黙った。
窓口にいた頃なら、今ごろは先輩の机まで行って「その推計、嘘ですよね」と言っていただろう。
俺は茶色のコートを椅子の背から取った。
「行くぞ」
「どこへですか」
「でかい魚を釣りにだ」
先輩が金貨を積む手を止めて、声を立てて笑った。
「卸問屋か? あそこは何も出ねえぞ。俺も二度行ったが、銅貨一枚出なかった。くたびれ損だぜ」
「先輩が二度も見て出なかったんなら、俺が何か見つけたら、先輩の見落としってことになりますね」
指輪が、金貨の山を少し強く叩いた。
階段を下りながら、ギンが俺の背中に小声で言う。
「今の、わざとですよね」
「何がだ」
「先輩の見落とし、って言い方です」
「本当のことを言っただけだぞ。何も出なかったら、くたびれ損をするのは俺の方だしな」
*
中央通りで一番大きな石造りの店は、朝から荷車の出入りが絶えない。
裏口からは粉の袋や葡萄酒の樽が運び込まれ、表のカウンターの前には、酒場や宿屋の使いがずらりと並んでいた。
名乗るとすぐに番頭が奥へ引っ込んで、五十がらみのよく肥えた男を連れて戻ってくる。
卸問屋の主人だ。客に向けるのと同じ笑顔で、こっちに両手を広げてみせた。
「これはこれは。噂のヘイジさんですな。昨日は冒険者から二十枚お取りになったとか」
「お耳が早いですね」
「街じゅうの酒場に酒を卸しておりますとな、噂も一緒に入ってくるんですよ」
昨日の夕方の話が、今朝にはこの男の耳に届いているわけだ。
「税務署のヘイジです。商人税の調べに参りました」
「どうぞ、どうぞ。うちの帳簿でしたら、お好きなだけご覧になってください。番頭、全部お出ししろ」
「いえ、少しここで待たせてもらえますか」
卸問屋は一瞬だけ首をかしげたが、すぐに笑顔に戻った。
「お好きなように。何かあればお呼びください」
主人が奥へ引っ込んだあと、俺はカウンターの隅の椅子に腰を下ろした。
ギンが隣に立って、小声で聞いてくる。
「帳簿、見ないんですか」
「先輩が二度見て、一枚も出なかった帳簿だぞ。俺が見たって同じだ」
「じゃあ、何を見るんですか」
「客だよ」
カウンターの前の列は、なかなか途切れなかった。
酒場の使いは葡萄酒の樽を、パン屋の使いは粉を何袋か頼んで、番頭に金を払っていく。
番頭はそのたびに、領収書を一枚書いて渡す。どこの店でも見る、ありふれた朝の景色だ。
ところが、使いの中に何人か、金を払ったあとでカウンターの脇へ回る連中がいる。
そっちには番頭の下で働く見習いの若い男が立っていて、使いが小さな袋を渡すと、黙ってうなずくだけ。領収書は出していない。
脇へ回った使いの一人が、俺のコートに気づいて、慌てて店を出ていった。
ああ、いた。
「ギン、今のがどこの使いか分かるか」
「前掛けに、酒場の印がついてました。中央通りの裏の酒場です」
「その前に脇へ回った奴らは」
「パン屋さんと、宿屋です。パン屋さんは西門の方の、黒パンの店ですね」
ギンは指を折りながら、すらすらと答えた。
「よく覚えてるな」
「覚えるのは得意なんです。窓口に来た客の嘘も、そうやって覚えてました」
しばらく眺めていると、使いではなく、店の主人らしい男まで脇へ回った。
前掛けにも腕にも、白い粉がついたままだ。仕込みの途中で抜けてきたんだろう。
男は見習いに袋を渡して振り返ったところで、俺と目が合った。
茶色のコートを上から下まで見て、それから俺の顔を見る。歩合取りだと分かったらしい。
男は露骨に顔をしかめて、足早に出ていった。
「今の人は、東門の方の食堂のご主人です。毎年、申告に来てました」
「ずいぶん嫌われたもんだな」
「調査官を見て喜ぶ商人なんて、いませんよ」
しばらくして、番頭がカウンターから離れた隙に、俺はその見習いを呼び止めた。
「さっきの袋の分は、領収書を書かないのか」
見習いの顔から、さっと血の気が引いた。
カウンターの向こうから番頭が飛んできて、見習いを後ろへ下がらせる。
「何のお話でしょう。うちは先代から、どんな小さな売り買いにも領収書を出しております」
「そうですか」
「はい。そういう決まりでございますから」
番頭はそう言ったが、目は一度も俺の方を見なかった。
口で言われただけでは、まだ金は取れない。今のところは、それで十分だ。
*
帰り際、卸問屋がわざわざ戸口まで見送りに出てきた。
「いかがでしたかな。何か出ましたか」
「いえ。今日のところは何も」
「そうでしょう。うちは先代から、商売をきちんとやるのが自慢でしてな」
卸問屋は満足そうにうなずくと、ふと思い出したように付け加えた。
「調査官さんも、歩合を稼ぐのが大変ですな。うちのような店に来ても、一枚にもならんでしょうに」
小銭を放ってよこすような言い方だった。
隣で、ギンの肩がぴくりと持ち上がる。
俺は笑い返して、軽く頭を下げた。こういう笑い方をする店主なら、前世で何人も見てきている。どいつもこいつも、帰り際に一言余計だった。
「お気遣いどうも。また寄らせてもらいます」
「いつでもどうぞ。お待ちしておりますよ」
中央通りを東へ歩きだしてからも、ギンはしばらく黙っていた。
やがて、我慢しきれなくなったように口を開く。
「さっきの、腹が立たないんですか」
「腹が立つほどの額じゃねえよ」
「あたしは立ちました」
「立てといてくれ。お前が立ててくれりゃ、俺が立てずに済む」
ギンは横目で俺をにらんだが、言い返してはこなかった。
俺の頭の中では、さっきからずっと勘定が続いている。
カウンターの脇へ回って袋を渡した客は、俺が座っていたあいだだけで七人いた。
あの店は朝から晩まで客が切れないから、一日ならその何倍にもなる。
それが毎日、何年も続いていたとしたら、いったいいくら隠していることになるのか――。
口の中に、勝手に唾が湧いてきた。
「ヘイジさん、なんで笑ってるんですか」
「笑ってねえよ」
「笑ってます。窓口で、お金を数えてる商人がああいう顔してました」
「……ちょっと勘定してただけだ」
ギンは疑わしそうに俺の顔を見てから、話を変えた。
「脇で袋を渡してた店、どうするんですか」
「全部回る。売った方が黙ってても、買った方は覚えてるもんだ」
「昨日の、素材屋さんみたいに」
「そういうこった」




