第1話 金貨一枚の重さ
「俺はこの街で一番強い。だから払わねえ」
大男が窓口の机に拳を落とすと、机の脚が嫌な音で鳴った。後ろに並んでいた客が、そろってこっちを見る。
背中に大剣を背負った冒険者だ。魔物の素材を売って稼いだ儲けを、二年分もほったらかしにしてきた男でもある。
隠していた分に加算を乗せて、払ってもらうのは金貨二十枚。
払えねえ額でもないだろうに。
「払わないんでしたら、ギルドからあなたに出る報酬を、署の方で押さえさせてもらいますよ」
「あ?」
「差押えってやつです。そうなったら、ギルドはあなたに依頼を回してくれなくなりますけどね」
大男は、口を半分開けたまま固まっている。
「何だそりゃ。脅してんのか、歩合取り」
「脅しじゃありませんよ。ギルドってのは、そういう決まりなんです」
「北の森で魔物を狩ってんのは俺だぞ。ギルドが俺を外せるもんか」
「さあ、どうでしょうねえ」
「だいたい、署の連中が森で何をしてくれたってんだ」
「何もしてませんねえ。だから、儲けの二割で勘弁してるんですよ」
列の後ろで誰かがぷっと吹き出したものだから、大男の顔は耳まで真っ赤だ。
「強い奴から金を取ろうってのか。表に出ろ」
「出ませんよ。腕っぷしだったら、俺はそこの爺さんにだって負けられますよ」
窓口係の爺さんが、顔も上げずにうなずいている。
いや、うなずくなよ。
大男は舌打ちを一つ残して、戸を蹴って出ていった。外れかけた蝶番が、さっきからきいきい鳴りっぱなしだ。
誰が壊したかは、覚えておくとしよう。
ついでに、列の後ろの商人が一人、こそこそ帰っていくのも見えた。申告を書き直す気になってくれたなら、こっちは手間が省けて大助かりだ。
ああいう台詞なら、前世でも聞き飽きている。
なにしろ日本の税務署で、二十年も調査官をやっていたのだ。死んでこっちに生まれ直し、この街の署で同じ仕事を始めてからも、もう六年目の春になる。
そこへ、階段から署長が下りてきた。
後ろについてくるのは、銀髪を短く切った若い娘だ。窓口の奥で、何度か見かけた顔だった。
「ヘイジ、今日からこいつをお前の記録役に付けるからな」
署長はそれだけ言い置いて、さっさと二階へ戻っていく。
残された娘はというと、俺を頭のてっぺんから足の先まで、遠慮なくじろじろ眺めていた。
痩せて目つきの悪い男が、茶色のコートを着てるだけだぞ。そんなに珍しいか。
「ギンです。今朝、窓口から調査官に回されました」
「ああ、知ってるよ。客に『その申告、嘘ですよね』って言っちまった窓口係だろ」
「本当に嘘だったんですよ」
悪びれもせずにそう言ってから、ギンは少し首をかしげた。
「ヘイジさんって、噂の強欲な人ですよね」
「まあ、半分は合ってるな」
「どっちの半分ですか」
「歩合が好きな方の半分だ」
ギンは真顔でうなずいた。
署で一番口の悪い窓口係と、署で一番評判の悪い調査官の組み合わせか。
署長のやつ、厄介払いを一度で済ませやがったな。
「ついてきな。さっきのでかいのを片づけに行くぞ」
「払わないって言ってましたけど」
「だから行くんだよ」
*
冒険者ギルドがあるのは、西門のすぐ手前だ。
春の市が立っているせいで、通りは荷車と人でごった返している。そんな中でもギンは器用に人をよけて、俺の半歩後ろにぴたりとついてきた。
「本当に、ギルドがあの人に依頼を回さなくなるんですか」
「見てりゃ分かるさ」
「じゃあ、あの人が素材を売ってたのは、どうやって分かったんですか」
答える代わりに、俺は市の素材屋の前で足を止めた。
軒先の棚には、腕ほどもある猪の牙が二本、これ見よがしに飾ってある。奥から顔を出したのは、前掛けをした店の親父だ。
「おう、調査官さんじゃねえか。また見に来たのかい」
「相変わらず、いい牙を飾ってるなと思ってな」
「だろう? 北の森の大猪だよ。こんなのは十年に一度しか出やしねえ」
「誰が獲ってきたんだっけ」
「この街で一番強いって言ってる、でかい兄ちゃんさ」
「ギルドに売らねえで、ここに持ってきたのか」
「ギルドを通すと手数料を取られるってんでな。うちに直に持ってくるんだよ」
親父は胸を張って、自慢の牙を指で弾いてみせた。
「去年の秋には、熊の毛皮も持ってきてくれたぜ。あれもいい値で売れたんだ」
「そいつはよかったな」
「調査官さんも、一本どうだい。安くしとくよ」
「歩合が入ったら考えとくよ」
親父に手を振って歩き出すと、ギンが素材屋の方を振り返った。
「あの人、聞いてないことまで全部しゃべりましたね」
「いい買い物をした奴は、誰かに自慢したくてしょうがねえのさ」
「だったら、ここで待ってて、あの人が来たときに取り立てればいいじゃないですか」
「あの腕で殴られてみろ。俺はひと月は起き上がれねえぞ」
「弱いんですね」
「弱えよ。だから、腕じゃなくて金の方を押さえるんだ」
ギルドの広間に入ると、張り紙を眺めていた冒険者たちが、俺のコートを見るなり壁際へ寄っていく。
歩合取りが来れば、どこへ行っても道が空くのだ。窓口までまっすぐ歩けるのは、まあ、ありがたい。
窓口の娘に大男の名前を告げると、奥から年かさの男が出てきた。
「北の森の大猪を仕留めた方ですね。報酬は金貨八枚で、明日お渡しする予定ですが」
「その八枚、本人じゃなくて、署の方に回してもらえるか」
「差押え、ですか」
「ああ。二十枚が片づくまで、この先の報酬も全部だ」
年かさの男に、驚いた様子はない。この手の話には慣れているんだろう。
「でしたら片づくまで、あの方に新しい依頼はお回しできませんね」
「だろうな」
「揉め事を抱えた方に大きな仕事を任せて、途中で放り出されても困りますから」
「本当に止まった……」
横で、ギンが思わずといった声を漏らした。
「依頼が来なかったら、どんなに強くても稼げないですもんね」
「そういうこった」
「……ずるいですね」
「仕事だよ」
ギルドを出たとたん、市の屋台から揚げ菓子の甘い匂いが流れてくる。
ギンはそっちには目もくれず、今度は俺の横に並んで歩いていた。
*
夕方、一階の戸がもう一度蹴り開けられた。
蝶番は今度こそ外れたらしく、下から窓口係の爺さんの悲鳴が聞こえてくる。
どすどすと階段を上がってきた大男は、二階の窓際にある俺の机の前に立つなり、革袋を逆さにした。机の上で金貨が跳ねて、何枚かは床まで転がっていく。
「二十枚だ。数えやがれ」
ギンが床の金貨を拾い集めているあいだに、俺は机の上の分を十枚ずつ積んでいく。拾った分を足して、ちょうど二十枚。
「確かに。差押えは、今日のうちに外しときますよ」
「おかげでギルドじゃ、張り紙一枚見せてもらえなかったぜ」
大男は俺を見下ろして、歯をむき出しにした。
「俺に依頼が回ってこなきゃ、北の森の魔物は誰が狩るんだよ」
「さあ。誰かほかの人が狩るんじゃないですかね」
「……次は払わねえからな」
「そしたら、次も同じことをするだけですよ」
しばらく俺を睨みつけていた大男も、最後は舌打ちして出ていった。
階段を下りていく足音は、上がってきたときより、いくらかおとなしい。
「ほかの誰かが狩るって、本当ですか」
「知らねえよ。狩る奴がいなけりゃ、ギルドが誰かに頼むだろ」
少しして、窓口係の爺さんが二十枚を受け取りに上がってきた。
外れた蝶番の文句を並べながら金貨を数え直し、そのうち二枚を俺の机に戻していく。
歩合の分だ。
親指の爪くらいしかない金貨なのに、手のひらに載せると、見た目よりずっと重い。一枚あれば、職人の一家が一週間は食っていける。それが二枚。
手を上げ下げして重さを確かめていると、机の向こうから、ギンがじっとこっちを見ていた。
「……数えてただけだぞ」
「二枚を、ですか」
「二枚だって数えるんだよ」
ギンは何も言わなかったけれど、口の端がちょっとだけ動いた気がする。
金貨を懐にしまって、俺は窓の外に目をやった。
中央通りの向こうに建っているのは、この街で一番大きな石造りの店だ。店の前には、酒樽と粉の袋を積んだ荷車が、今日も三台。
街じゅうの酒場と食堂に、食い物と酒を卸している店である。
「次はあそこだ」
ギンが窓から身を乗り出して、眉を寄せた。
「今日の冒険者の、何十倍も大きいお店ですよ」
「だからいいんじゃねえか。でかい魚の方が、歩合もでかい」




