第16話 確定してから払え
年が明けて最初の大雪の朝、署長室に呼ばれた。
窓の外は真っ白で、窓が一つしかない部屋は、朝なのに夕方のように暗い。署長は机の上の灯りの横で、両手で頭を抱えていた。
「先輩の歩合が、返ってこない」
署長は、顔も上げずに言った。
「窓口で減らした十二件分の歩合だ」
「指輪を売ったって聞きましたが」
「それでも足りなくて、残りは春の歩合から引いてくれと言われた」
「聞いてます」
「春になったら、あいつはまた歩合を受け取る。そこから引く」
「ええ」
「ところが、その春の歩合の中に、また減らされる追徴が混じっていたらどうなる」
「また返してもらうことになりますね」
「そうだ。返してもらう歩合を、次の歩合から引いて、その歩合がまた減らされて……」
署長は、指で机をとんとん叩いた。
「これじゃあ、いつまでたっても勘定が合わん」
署長が頭を抱えるのも、無理はない。
歩合は、追徴の金が署に納まったその日に払われる。払ったあとで額が減れば、歩合も取り返さなければならない。
先輩のように、でっち上げた追徴が次々と減らされる者がいると、取り返す分がどんどん積み上がっていく。
「署長。歩合を払うのを、遅らせたらどうです」
「遅らせる?」
「金が納まった日じゃなく、額が決まってから払うんです」
「決まってから、とは」
「窓口に文句を言いに来る期限が過ぎるか、文句が片づいてからです」
署長は、ようやく顔を上げた。
「そうすれば、減らされた分は、最初から歩合にならねえ。取り返す手間も無くなります」
「……なるほどな」
「それに、もう一つあります」
「何だ」
「でっち上げても、減らされたら一枚も入ってこない。だったら、でっち上げる奴もいなくなるでしょう」
署長は、しばらく黙って俺の顔を見ていた。
それから、深いため息をついた。
「お前は、本当に、人の嫌がることばかり思いつくな」
「署長が楽になる話ですよ」
「わしは楽になる。だが、調査官どもは怒るぞ」
「でしょうね」
「それに、歩合が遅れりゃ、あいつらは前ほど走り回らなくなる」
「かもしれませんね」
「冬のうちに数字を戻すと、わしは王都の使いに言ってしまったんだぞ」
「醸造所の千二百枚がありますよ。あれで足ります」
署長は、また頭を抱えた。
署長は灯りを引き寄せて、もう一度ため息をついた。
「歩合は、額が決まってから払う。今日から、署の決まりだ」
署長室を出ると、廊下でギンが待っていた。
戸の外で、話を全部聞いていたらしい。
「ヘイジさん。それって、ヘイジさんの歩合も遅れるんですよね」
「そうなるな」
「醸造所の百二十枚も、ですか」
「醸造所が千二百枚を納めきるのは、この冬の終わりだ。決まりが変わったあとだから、春までお預けだな」
ギンは、目を丸くした。
「自分の歩合まで遅らせて、どうするんですか」
「どうもしねえよ。決まりは決まりだ」
口ではそう言ったが、百二十枚が春まで来ないと思うと、少しだけ寒かった。
*
決まりの話は、昼までに署じゅうに広がった。
二階の部屋では、調査官たちが机を寄せ合って、ひそひそ話をしている。
歩合が入ってくるのが、早くてもふた月は遅れる。歩合で暮らしている者にとっては、ふた月の空きは大きい。
部屋の真ん中の机で、先輩が立ち上がった。
指輪の無い手で、机を思いきり叩く。
「ヘイジ、てめえ、何のつもりだ」
「何のつもりも無いですよ。勘定が合うようにしただけです」
「勘定だと?」
先輩は、部屋じゅうの調査官を見回した。
「みんな、よく聞けよ。こいつはな、自分だけでかい魚を取って、歩合を独り占めするつもりなんだ」
「先輩」
「でかい魚なら、ふた月待っても困らねえ。困るのは、小魚で食いつないでる俺たちだけだ。そうだろう」
調査官たちが、顔を見合わせた。
何人かが、小さくうなずいている。
先輩は、俺の机の前まで来て、顔を突き出した。
「街の連中が、お前のことを何て呼んでるか知ってるか。一番強欲な調査官だよ」
「知ってますよ」
「ああ、そうだろうな。卸問屋から六百、醸造所から千二百」
先輩は、指を一本ずつ折ってみせた。
「そのうえ、俺たちから小魚まで取り上げやがった」
先輩の口から、酒の匂いがした。
朝から飲んでいたらしい。
「覚えとけよ。街じゅうに、お前の本当の顔を教えてやる」
先輩はそう言い捨てて、部屋を出ていった。
階段を下りていく足音が、やけに大きく響いた。
*
先輩の言ったことは、本当になった。
十日もしないうちに、街のあちこちで、俺の名前が前より悪く言われるようになっていく。
あいつは、大物の歩合を独り占めするために、決まりを変えさせた。署の仲間も蹴落とした。歩合のためなら、何でもする男だ。
中央通りを歩いていると、商人たちが前より露骨に目をそらす。酒場の前を通ると、中から笑い声と一緒に、歩合取りという言葉が聞こえてくる。
坂の途中の小間物屋のおかみさんは、糸屋の店先で、その噂を聞いたらしい。
窓口に用があって来たついでに、わざわざ俺の机まで上がってきて言った。
「あんた、街でひどく言われてるよ」
「知ってます」
「強欲なのは確かだけどさ。仲間を蹴落としたってのは、どうなんだい」
「どうなんでしょうね」
「……言い返す気も無いのかい」
おかみさんは呆れた顔をして、帰っていった。
署の中でも、同じだった。
ある朝、二階の廊下を歩いていると、向こうから来た調査官たちが、さっと壁際に寄った。
誰も、俺の方を見ない。廊下の真ん中だけが、すっぽりと空いている。
一番後ろにいた若い調査官だけが、壁際に寄りかけて、少し迷うような顔をした。先輩と組まされている、あの真面目な男だ。
それでも結局、ほかの連中と同じように、壁際に体を寄せた。すれ違いざまに、小さく頭を下げていく。
「通りやすくていいや」
俺は、その真ん中を歩いた。誰ともぶつからずに、まっすぐ自分の机まで行けるのは、悪くない。
後ろから、軽い足音がついてくる。振り返らなくても、誰だか分かった。
「ヘイジさん」
「何だ」
「なんで、言い返さないんですか」
「何をだ」
「独り占めなんかしてないって。でっち上げをやめさせるためだって。言えばいいのに」
ギンは、少し怒ったような声で言った。
「言ってどうなる」
「どうにもなりませんけど」
「だろ」
「でも、あたしは腹が立ちます」
「知ってるよ。顔に書いてある」
ギンは黙り込んだ。
しばらくして、気がついた。
さっきまで半歩後ろにいた足音が、いつの間にか、俺のすぐ隣に並んでいる。
廊下の真ん中を、二人で並んで歩いているのは、署の中で俺たちだけだった。
*
その日の夕方、ギンが署に戻ってきて、俺の机の横に立った。
「中央通りの裏の酒場で、先輩を見ました」
「飲んでたのか」
「飲んでました。それで、酒場のご主人に、何か頼んでました」
「何を」
「つけを、もう少し待ってくれって」
ギンは、少し言いにくそうに続けた。
「ご主人が、もう待てねえよって言ったら、先輩、頭を下げてました。あの先輩が」
俺は、窓の外を見た。
雪はやんで、中央通りの屋根の上で、夕日が赤く光っていた。
ふた月、歩合が入ってこない。指輪も、もう売ってしまった。
先輩は、この冬をどうやって越すつもりなのか。
そこまで考えて、俺は考えるのをやめた。
*
帰り道、中央通りの裏の酒場の前を通った。
窓の向こうで、先輩がひとりで杯を抱えている。指輪の無い指で、何度も杯の縁を叩いていた。その音は、ここまでは聞こえない。
俺は、窓の前を通り過ぎた。
ギンが一度だけ振り返ったが、何も言わなかった。




