タダより高いものはない
「盗賊はなぜガイコツを襲う? 骨のある相手だからだ」
また同じ、奥からの笑い声が聞こえた。
在は一度瞬きをした。
(理解できない。食料か金を持っている相手を狙う方がいいのではないか?)
アキラは椅子の上で、ただの赤毛の水たまりみたいになっていた。
渡辺は二回転すると、大げさなポーズで決めた。
「そのために、王はカルシウムに税をかけることにした」
(パパ、ママ……娘を助けて)
在はその動きに見覚えがあった。宮廷道化師のそれによく似ていた。
固体としての姿を取り戻すと、アキラは料理へと意識を戻した。
在はそれを真似しながら、横目で他の客も同じようにしているのを見た。
二人が食べている間も、渡辺のジョークはたった一人だけを笑わせ続けていた。
「料理、気に入ってる、在?」
アキラの声はとても優しかった。在には理由がわからなかったが、同じようにした。
「美味しい。特にこれが」
在は肉を一切れ切った。
「肉、好きなのね」
「よく食べていたものじゃない。王か、高い地位の者だけが口にできた」
「じゃあ……来た甲斐があったわね」
アキラは肉を一切れ切り、口へと運んだ。
「再導入部隊がスライムに何をするか知ってるか? 指紋を採ろうとするんだ」
在には、肉の塊がアキラの喉をゆっくりと下りていくのが見えた。
同じ男が、さらに大きな声で笑った。
ようやく飲み込み終えると、アキラはゆっくりと顔をステージへ向けた。在もそれに合わせた。
渡辺は二人を見ると、一瞬だけ微笑み、親指を立てた。
「コメディアン」はショーを続けた。
「在……早く食べ終えて」
「わかった」
渡辺のショーは、控えめな拍手とともに終わった。
彼の後にステージへ上がった演奏者たちが、異世界の交響曲を奏で始めた。
肉に二度ナイフを突き立てたことを除けば、アキラは食事を無事に味わい終えた。
在も終わったか確認した。皿は空だったが、視線はステージに釘付けだった。
ウェイトレスが皿を下げに来た。アキラはデザートを二つ注文した。
それが来ると、彼女は在の腕をつついて知らせるだけだった。彼は視線をそらさないまま、それを食べた。
演奏者たちが演奏を終え、イベントが締めくくられるまで、二人はそこにいた。
アキラが対応と食事への礼を言った後、二人は立ち上がり、会場を後にしようとした。
「音楽、気に入った?」
「わからない……変な感じだった」
「あるリターナーが作った曲なの。確か……その人の世界では、音楽が魔法を生み出してたはずよ」
「それで、内側に入り込んでくる感じがしたわけか」
「あなたが探してる言葉は『深い』でしょ」
「かもな」
「楽曲はうちのウェブサイトで公開してますよ」
二人は振り返った。声の主は、丸みを帯びた、優しそうな雰囲気の男だった。
「新しいネタ、どうだった、アキラちゃん?」
在はその声に聞き覚えがあった。渡辺のジョークで笑っていた男だった。
「料理は相変わらず最高です、橋本さん。音楽も悪くなかったですよ」
「それは嬉しいですね。他には?」
「デザートも気に入りました」
「またしても光栄なお言葉ですね。それだけですか?」
「椅子も座り心地がいいです」
……
「まだ気に入らないんですね」
「改装しましょうか?」
「そういう意味じゃないの、わかってるくせに」
橋本は首の後ろを掻きながら、アキラの隣にいる青年に気づいた。そのコートは、まるでこのイベントのために新調したかのようだった。
「お友達ですか?」
「そう言えなくもない……」
「はじめまして。私はここのオーナー、橋本です」
「在だ。リターナーだ」
「私と同じですね。イベントはいかがでしたか?」
「料理はいい」
……
アキラは誇らしげに微笑んだ。
「イベント全体のことを聞いたんですが、料理のことじゃなくて」
「わかった。曲は何かとつながろうとしているようだった」
橋本は一度、息を吸い込んだ。
「入り込んでくるようだった」
橋本は息を止めた。
「嫌ではなかったが」
橋本の肩から力が抜けた。
「では、コメディの方はいかがでしたか?」
「理解できなかった」
「でも、あなたリターナーでしょう!」
「スライムが何かも知らない」
アキラは口を手で覆った。
「まあ……それは仕方ないですね。じゃあ、また二枚チケットを差し上げますし、私たちの世界についての本ができたら、一冊お渡ししますよ」
「私たちの?」
在は答えを求めてアキラを見た。彼女は首を横に振った。
「私たちの歴史を知らないんですか!? 喜んで、詳しくお話ししますよ」
「もう遅いですから、橋本さん。在は明日、学園に行かないといけないので」
「では、短縮版でお話ししましょう」
「本当に、もう私たち……」
「アキラーッ!!!」
三人が振り返った。赤毛の巻き毛、頭にはまだ紙の王冠。渡辺だった。
「俺の新しいネタ、どうだった? お前の仕事についてのジョーク、作ってみたんだ」
「作らないでほしかった」
「でも、大ウケだっただろ」
「誰も笑ってなかったから!」
「俺は笑ったぞ」
「ほら見ろ」
「調子に乗らせないでください、橋本さん」
在は黙ってそのやり取りを見ていた。
「俺のネタ、何点だ?」
「3点」
「アキラちゃん、そんなこと言うなよ」
「2点」
「なんて薄情な妹なんだ」
「1点……」
渡辺はため息をついた。
「で、そいつは誰だ?」
「在。私が手伝ってるリターナーよ」
「友達だと思ってたが」
「口を挟まないでください、橋本さん」
「ケイコは来られなかったのか?」
「また苦しませるために連れてくるつもりはないから」
「でも、前の舞台は気に入ったって言ってたぞ」
「礼儀で言っただけよ」
「あいつはそんな奴じゃない!」
アキラは舌打ちをした。
「次の舞台には……連れてきてくれないか?」
「もう二度と来るつもりはない」
「いつもそう言ってるだろ」
「調子に乗らないで。タダ飯のためにやってるだけなんだから」
「あれは君たち二人のためだったんだ。男を連れてくるためじゃない」
橋本は黙って一歩後ろに下がった。アキラは渡辺を見るのをやめた。
(パパ、ママ……こいつを殺す)
「それは変わらないのね……相変わらず過保護で……」
「あ……アキラ……そんなつもりじゃ……」
アキラは彼に背を向けた。
「行くわよ、在」
彼女は歩き始め、次第に足音を荒く踏み鳴らすようになった。
渡辺は追いかけようとしたが、橋本が止めた。
「時間をあげなさい。彼女にとって辛いことだって知ってるだろう。それでも応援に来てくれてるんだから」
「わかってる……」
妹と一緒に遠ざかっていく、あのコートを見つめた。
「気に入らない」
アキラの隣を歩いていた在の耳に、その言葉が届いた。
建物に着くと、彼女が沈黙を破った。
「言ったでしょ、食事の代償はあるって」
「コメディの部分は悪くなかったが」
「本当に?」
「ただ理解できなかっただけだ」
「そう……もう早く着きたいわ。早く寝ないと。明日、学園に連れていくから」
「そのことだが。俺は別の場所で寝るべきだと思う」
彼女は足を止め、すぐに振り返った。
「あんたもなの? 私たちが友達だって認めてほしかったの? まだ知り合って間もないのに」
「そうじゃない」
「じゃあ、なんで急にその話を持ち出したの」
「ずっと考えていた。お前には随分助けてもらっているのに、返せていない」
「請求するつもりないって言ったでしょ」
「お前に揉め事を起こすことになるとも、知らなかった」
「お兄ちゃんのこと言ってるの?」
「あれが最後の決め手だった」
「わからないことについて話さないでよ!」
アキラは一瞬、口を手で覆った。
「怒鳴るつもりじゃなかった」
「構わない」
「よくない……もう、変な暗殺者!」
「なら、よくないんだな」
「同意するのやめて。怒るとかしてよ、これは口論なんだから!」
「簡単には怒らない。そう訓練された」
「それを言うのはずるいでしょ」
アキラは在の前に立った。
「なんで出ていきたいのか、言って」
「もう言った」
「違う。あんたは私を言い訳にして理由を並べてるだけ。あんた自身が、どうして出ていきたいのかを聞いてるの」
「同じ理由だと思うが」
「あんたが生きてきたことと関係あるの?」
「見返りを求めずに俺を助ける理由が理解できない。お前は俺の主人でもないし、対価を求めてもいない。理解できないんだ」
「在……」
アキラは彼の手を掴んだ。
「公園行こ。近所に聞かれたくないから」
在はついていき、公園に着いた。アキラはベンチへ行き、彼のために場所を空けた。
彼が座ると、彼女はため息をついた。
「それで……私があんたの主人だったら、それでちゃんとやっていけるってこと?」
「そう言われると、ずいぶん単純に聞こえるが」
「理解しようとしてるの」
ベンチに手をついて体を傾け、足をぶらぶらと揺らした。
「あんたの記憶が戻った時に、これが役に立つかはわからないけど。でもね、私はリターナーが経験したことを生きたわけじゃなくても、理解はできるの」
「異世界をまたぐ笑い、のことか」
「もう二度とその名前使わないで。あいつのことは、ただのバカって呼んで」
在の方を見た。
「いや……渡辺って呼んで」
「そう呼ぶことにする」
「よし……あんたがバカじゃないのはわかってる。ある部分ではね。でも別の部分では、本当に獣だけど……」
「公園に来たのは……」
「ちょっと待って」
アキラは足を地面に下ろした。
「お兄ちゃんがリターナーだって、気づいてたでしょ?」
「難しくはなかった。気づかなかったら、それこそ情けないと思ったところだ」
「あはは。じゃあ、お兄ちゃんとオーナーが同じ世界で生きてたって言ったら?」
「それも予想していた。『私たちの世界』って言ってたし、あの人だけがジョークで笑ってたからな」
「そこまでちゃんと分析できるのに……なんで私に対してはそんなにバカなの?」
「それは別の話だ」
……
「私から始めるのが筋よね。すごく怒ってることがあるの」
「あの下手なジョークのことか」
「違う、お兄ちゃんは警察官だったの。それが異世界に飛ばされて……私はお兄ちゃんの背中を追って警察官になったのに、戻ってきたら芸人になりたいって言い出したの」
在は黙って聞いていた。もう話さなくていいと言いたかったが、アキラの声の調子がそれを止めた。
「一番きつかったのは、あっちの人生で……最終的に王の道化師になってたって知った時」
「悪い職業ではない。俺の世界でも一目置かれていた……もっとも、さっき聞いたようなジョークを言ったら……首を刎ねられていただろうが」
「その世界、楽しそうに聞こえないんだけど」
「楽しくはない」
彼女は勢いよく立ち上がった。
「道化師だったこと自体は気にしてないの。それがきっかけで橋本さんと出会ったんだもの。あの人、宮廷料理人だったのよ」
「だからあの手のユーモアに慣れているのか」
「……なぜあの世界に召喚されたのか、二人とも教えてくれないの。ただ、侵略で全滅させられたとだけ……」
「軍隊か? 魔族か?」
「スライム……」
在は一度瞬きをした。
「それであんなにスライムに詳しいわけか」
「まあ……これで私の話は知ったわね」
「お前の兄がもう望んでいないのに、なぜお前は再導入部隊にい続けるんだ?」
「警察よ! それに、自分でもわからない」
アキラは指で彼を差した。
「でも続けてる。さあ、次はあんたの番よ」
「俺にはそんな話はない」
「とぼけないで。ただ教えて……あんたを理解するために、何を知っておけばいいのか」
在は首をかしげた。
「もう言った」
「知ってる、バカじゃないもの。ただ……私は今、自分のことを話したところなの」
「俺が生きてきたことを、もう一度言えというのか」
「知りたいのは、あんたに借りがあるって感じさせずに、どうやって助けられるかってこと」
「わからない。俺の人生は、命じられた任務をこなすだけのものだった。金を受け取るのは奴らで、俺はただ依頼を実行するだけだった」
「もうあの世界にはいないのよ」
「それは他の者たちにも言えることだ」
アキラは視線を落とした。
「それを生きるのは、すごく辛かったでしょうね」
「悪いが、それが俺がこれ以上お前の世話になりたくない理由だ。俺の恩人に迷惑をかけたくない。お前には随分よくしてもらった」
アキラは、在に「恩人」と呼ばれたことに動揺しながら、歩き始めた。
彼の前で、小さく円を描くように動いた。
突然、両腕を上げたかと思うと、自分の頬をぎゅっと挟んだ。
「よし……何を頼めばいいかわかったわ。それで、あんたと私、お互い様になれる」
もう一度近づき、きっぱりとしたポーズを取った。
「1、学園に行くこと。2、私を手伝って、話を聞くこと」
「武器なしにはならないぞ」
「知ってる、黙って。まだ終わってないの」
「3、私と友達になる方法を学ぶこと。ちゃんと努力すること」
「その条件は理解できない」
「だから『学ぶ』って言ったの!」
「わかった」
「そして4! あんたがこっちでの人生を思い出しても、私たちは友達のままでいること」
「わかった。なら契約を結ぶ必要があるな」
「いらないわよ、私は忘れないから」
「だが、それでは……」
「私となら、それで通用するの」
彼女は腕を伸ばし、手を開いた。
「それは何だ」
「握手で約束を交わすの、知らないの?」
「知らない」
「立って」
在が立ち上がると、彼女は彼の腕を掴み、握手をした。
「よし。これで決まりね」
「本当にそれでいいのか? 標的を排除しろとは言わないのか?」
「ええ……それでいいの」




