第38話 この世界には、〇がない……?
noteにて「Monster PandemiX」の裏話を公開中!
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夜も更けた頃、ルナ一行はある街に着いた。
彼らは一日中歩きっぱなしでヘトヘトだった。
ルナの目が、街の入口の看板に留まった。そのまま文字を読み上げる。
「癒やしの街、乳欲へようこそ……? 変な名前!」
すると、テンが胃のあたりを押さえながらぼやく。
「あ~、はらが減って死にそうやー。変な名前でもなんでもええねん。いいかげんうまいもん食わんとマジ死ぬー」
「そうね。ここのところ、芋とか野草しか食べてないもんね」
ルナもため息まじりに同感だ。
正直、口の中がそろそろまともな料理を思い出し始めている。
「ほんなら、バロン。うまい飯を出してくれそうな宿を探すんや! 得意の鼻で頼むで!」
「バウン!」
バロンは顔を上げて鼻をクンクンと鳴らすと、百メートル走のオリンピック選手さながらのスタートダッシュを決める。
「おっ、さっそく見つけたらしいで~。さすがや」
「いくわよ、テン」
* * *
バロンは、古民家風の宿の前にちょこんと座り、二人が追いつくのをじっと待っていた。
「ぜ~、ぜ~。ここやな~、バロン。でかしたで~」
「ハァハァ……。さすがに全速疾走はきついわ~」
二人は息も絶え絶えだった。
それでもどうにか、バロンを見失わずにここまでたどり着いた。
宿の玄関には、風格のあるケヤキの看板が掲げられている。
『夢見荘』
――かまぼこ彫りの墨文字が、温かみのある灯りに照らされていた。
引き戸を開けると、古びてはいるが清潔感のあるロビーが広がっていた。
心癒やされる檜の香りが漂う。畳の床もしっかりと手入れされていた。
しかしロビーには誰もいない。ルナは呼び鈴をチリンと鳴らした。
「は~い。少々お待ちください~」
奥から柔らかな声が響く。
現れたのは、赤い着物をまとった女将だった。
ルナは思わず目を細める。
なんか見たことあるフォルムだ。
(あ、あれだ、あれ。名前なんていったっけなー)
前方にぬも~んと伸びた顔。
半分眠そうな穏やかな目。
鼻下から口までが無駄に長い。
そして、ずんぐりした輪郭。
以前テレビで見た、ある動物に似ている気がするのだが、肝心な名前が出てこない。
女将は上品なたたずまいで穏やかに微笑んではいたが、その表情の奥に、わずかな疲れが漂っているようにも見えた。
「三名様ですね、ご宿泊ですか?」
「せや、二名と一匹やけどな、とりあえず一泊や」
「承知いたしました。ところで数ある宿の中で、うちを選んでいただけたのはどうしてですか?」
女将は部屋の鍵を用意しながら、決め手となった理由を尋ねる。
「バロンの鼻がここを捉えたんや。きっとうまい飯にありつけるんちゃうかと思うてな」
テンはバロンを顎で指し示すと、バロンは舌で鼻先をぺろっと舐めた。
女将は目を細めて微笑む。
「あら、それはそれは、ありがとうございます。ご飯も美味しいですけどここには温泉もあるんですよ」
その瞬間! ずっとモヤモヤしていたルナがハッとする。
(そうだ! カピバラだ!)
心の中でそう叫んで、思わず手をパンっと叩いた。
「なんやこいつ」と言わんばかりの目でルナを見ながら、テンは温泉がなんだかわからないと女将に尋ねた。
「温泉は、地面から湧き出るお湯のことで、ここはそれを利用してお風呂にしているのよ。しかもここの温泉は美肌効果があるの」
「美肌!?」
女将が何に似ているのか、ずっと考え込んでいたルナが急に大声を出したので、テンとバロンはビクッと体を震わせる。
「なんやねん、おまえさっきから……いきなり手叩いたり、でっかい声出しよって……」
テンが半ばキレ気味の目を向けるが、当の本人は美肌ワードに目を輝かせていた。
* * *
「こちらがお部屋でございます」
襖を開けると、そこにはどこか昭和レトロを思わせる和室が広がっていた。畳の香りが心地よい。
「うわー、素敵!」
「ええ匂いがするなー」
「ゆっくり、おくつろぎください」
女将はそう言い残すと、静かに襖を閉めて部屋を後にした。
部屋に残ったのは、旅の疲れと、空腹と、ほのかな畳の香りだけだった。
ルナとテンは顔を見合わせる。
そして、ほぼ同時に言った。
「温泉行こう」
旅の疲れを癒すため、ルナとテンはさっそく温泉へ向かうことにした。
階段を降り、廊下を抜け、旅館の外にある露天風呂に到着した。
だが、ここでひとつ問題が起きた。
そう、男湯と女湯が分かれていない。
つまり混浴だったのだ。
「テン、今さらながら確認するんだけどさ……あんた男だよね?」
「は? なにゆーとんねん。ほんま今さらやな。どっからどー見てもれっきとした男やないかい!」
(……見てもわかんないから訊いてるんじゃないの)
「……だよね。じゃあ絶対見ないでよ!」
「なにをや?」
テンが頭にはてなマークを四つくらい浮かべている。
「なにをって、あれよ……、ん~……、説明いる?」
ルナは顔を真っ赤にして後ろを向いた。
テンは訳わからんわと言ってさっさと温泉に入りに行ってしまった。
「そうか、あいつは服を着てないんだよな、もともと。いまごろ認識したけど……」
ルナは脱衣所で着替えを済ませ、タオルをしっかり巻いて、少し緊張しながら風呂場へ向かった。
バロンも当然のように後ろからついてきた。
「……って、バロンも来るの!?」
「バウン!」
* * *
温泉は露天風呂だった。
他の客は見当たらない。
「やったー! 完全貸切じゃん!」
ルナは内心ほっとした。
他にもお客がいたら入らず部屋へ戻ろうと思っていたのだ。
露天風呂は、岩で仕切られた湯船になっていた。
その周りには灯籠が置かれ、優しい灯りで照らされている。
ルナは、軽くかけ湯をしてから湯に足を浸し、ゆっくりと温泉に浸かった。
肩まで浸かると、じんわりとした温かさが全身に染み渡っていく。
お湯は熱すぎず、ぬるすぎず絶妙な温度だ。
「は~、気持ちいい~。温泉なんて久しぶり♡」
体の芯からじんわりと温まる感覚が、旅の疲れを優しくほぐしていく。
「ほんまやな。これが温泉ちゅうやつか~。お風呂となにがちゃうんかよーわからへんけど、気持ちええわ~」
テンは若干ディスりながらも、目を閉じ仰向けで湯にぷかぷかと浮かんでいる。
まるで水面に浮かぶ落ち葉のように、気持ちよさそうに湯に漂っていた。
その横では、バロンが犬かきをしながら湯船の中を自由自在に泳ぎ回っている。
ルナは温泉に浸かりながら夜空に目を向けた。
あいかわらずたくさんの星が夜空を埋め尽くしている。雲がないと夜でも明るいぐらいだ。
「テン、温泉に入って見る夜空は最高だね」
「そうか? どこで見てもいっしょやで」
情緒がねえなーと口に出しそうになったところで、ふと思った。
「そういえばさ……最近、月を全然見てないよね?」
仰向けでぷかぷか浮かんでいるテンは目を閉じたままゆるりと聞き返す。
「ツキってなんや~?」
「月よ、知らないわけないでしょ? 夜空に光り輝く大きな星」
「大きなって、どんくらいやねん」
テンはゆっくりと立ち泳ぎに切り替え、ルナの方を振り向いた。
ルナは、――なにをふざけているんだ?――と思いながらも、大きさをどう表現しようか考えた。
そして、人差し指と親指をくっつけてOKサインを作って見せた。
「こんくらい」
「そんなでっかい星あるわけないやろ……からかっとんのか?」
「えっ?」
ルナは一瞬耳を疑った。
テンが冗談を言っているのだろうか。
しかし、そんな冗談にもならないことをわざわざ言うだろうか。
いや、これまで一緒に過ごしてきたからわかるが、そんなつまらないことをテンは言わない。
では、冗談じゃないとしたら、月は……?
全身の肌がゾゾッと粟立つのを感じた。
モンスターがいる世界と言っても、心の片隅では地球のどこかだと思っていた。
(もしかして、ここは地球ではないのか?)
別の星?
モンスターの住む異世界?
それとも、異次元――?
ルナは元の世界に帰れないのではないかという不安に駆られた。
――この世界には、月がない……?
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