第1話 カキュウってなによ?
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ルナは、夢から覚めた。どんな夢だったかは覚えていない。
しかし、ものすごく恐ろしかったということだけは、身体中から滝のように流れる汗と、心臓を叩く激しい鼓動で嫌でもわかった。
一階のダイニングルームに降りていく。すでに父と母は朝食中だ。
「あんた、のそのそしてるとまた遅刻するわよ!」
母のまさみが「おはよう」の代わりに、呆れながらいつものフレーズを口にする。
「は~い」
ルナの気のない返事もいつも通り。すでに冷めているトーストを一枚口に挟み椅子に座る。
その時、新聞を読んでいた父、優作が独り言のようにつぶやいた。
「火球が目撃されてるのか……」
「カキュウ?」
聞き慣れないワードに一ミリの興味もなかったルナだが、無視するのもなんだしと思い、とりあえず反復してみせた。
娘としての最低限のリアクションである。
「カキュウってなによ? 野球の変化球?」
まさみも言葉の意味がわからなかったらしく、適当にボケる。
そして卵焼きを口に頬張りながら優作の顔をじっと見る。
「火球。火の玉。流れ星みたいなやつだよ」
「流れ星? 目撃されちゃだめ? それなんかおかしい?」
まさみはマシンガンのごとく疑問符を連射すると、味噌汁をずずッとその口に流し込んだ。
「流れ星との違いは、その大きさだな。明るさも半端ないんだ。青く光ってるものや赤く光っているものとかあるらしい。
これが燃え尽きずに、地表に落ちたものが隕石なのさ」
「ふ~ん」
まさみは急に興味を失くしたのか、適当な相槌を返した。隕石よりも、これから始める洗濯物のほうに思考が向いている。
ルナはトーストを口にはさみながら、テレビに向けてリモコンの電源ボタンを押す。
60インチの画面では、海水温の上昇で珊瑚の白化現象が世界中で起きていると、女のレポーターがまるで他人事のように淡々と話していた。
* * *
その日は雲が多少見うけられたが、ほぼ快晴で気持ちのいい朝だった。
ルナは毎朝、親友のソヨといっしょに登校している。
二人は幼馴染で、去年同じ市立の中学に入学し、先月中学二年生になったばかりだ。
ソヨは、最近ルナの真似をして髪型をショートにした。意外と似合っている。
二人が着ている制服は、他校の生徒からも羨ましがられるほど可愛かった。
珍しいヒヤシンスブルーのブレザーに、白いパイピング。
白いブラウスには躑躅色のネクタイ。
ブラウンチェックのスカートが、落ち着いた雰囲気を添えている。
二人はいつも他愛もない話で盛り上がる。
「昨日インスタで面白い動画見つけたよ」
ルナがポケットからスマホを取り出してフェイスIDで画面を開くと、電池残量が10%を切っていた。
「あちゃ〜、昨晩充電するの忘れてた」
おでこに手を当てる。
たとえ、世界の終わりが来ようと、バッテリー残量10%のほうが現実的な危機なのだろう。
だがすぐに、まっ、いいかとスマホの画面を水戸黄門の格さんのようにソヨに向ける。
それは、軍服を着たチワワが二本足で敬礼している動画だった。
「あはは、ウケるー! めちゃかわいい!」
ソヨが手を一回叩いて爆笑した。
「でしょ〜」
中二病とは、ほど遠い二人であった。
すると、なにやら上空から異様な音が聞こえてきた。
それは低く鈍い音だったが、少しずつ大きくなっている。
最初に気づいたのはソヨだった。笑い声が、ほんの少し止まる。
「……ねえ、なんか聞こえない?」
ルナも顔を上げる。空に小さな赤い光が見えた。
青空にぽつりと異物のような色。
「あれなんだろう」
ソヨがその光を指差した。赤い光は徐々に大きくなっているように見える。
「なんかこっちに向かってきてる! あー、やばいやば――」
ドーーーーーーン!
ルナの叫びは、凄まじい衝撃音にのみ込まれた。地面が大きく揺れる。
「うわっ!」
二人は危うく地面に倒れそうになった。
赤い光が落ちた方角を見ると、まるで飛行機でも墜落したかのように、黒い土煙が舞い上がっていた。
そこは、あさひ山だった。
あさひ山の標高は、約二百メートル。
山頂からは、町を取り囲む大パノラマが一望できた。
南西には富士山。
東には東京スカイツリーや新宿のビル群。
さらに左へ視線を移せば、晴れた日には筑波山まで望むことができる。
そして西には、秩父連山が悠然と横たわっていた。
犬の散歩やデートにも使われる、地元ではちょっとした自慢の山だった。
ただし、北側だけは違った。
そこには、鬱蒼と生い茂る雑木林が広がっていた。昼間でさえ薄暗く、足を踏み入れる者はほとんどいなかった。
いま、そのあさひ山から、もくもくと黒煙が上がっている。
「ねえ、行ってみようよ」
ルナが興味津々に目を輝かせている。
「えー、冗談でしょ? 怖いよー」
「ちょっと見るだけだって!」
「そのちょっとが一番信用できないんだけど!」
ソヨは初めこそ怖気づいていたが、最後は怖いもの見たさが勝った。
二人はあさひ山に向かって走り出した。
完全に学校をさぼる気である。
言い訳は、あとで適当に考えればいい。
* * *
あさひ山の頂上に着くころには、土煙はすでに収まっていた。
そこには、直径三十メートルほどの大きな穴ができていた。
あさひ山の頂上が、まるごとクレーターのようにえぐられている。
「うわ……なにこれ、すご……」
感嘆するルナの横で、ソヨも思わず息を呑んだ。
「これ、隕石かなー」
「かもねー」
ルナはそう答えたが、すぐに朝の父の話を思い出した。
「朝、パパが言ってた火球ってやつかも。あっ、でも落ちたら結局、隕石らしいけど」
「カキュウ……」
ソヨはよくわからないまま、クレーターを見つめた。
ルナは紺色のスクールバッグを地面に置くと、その大きな穴をのぞき込もうと近づいていく。
「ルナちゃん、危ないよ。やめなよ」
ソヨが心配そうに忠告した。
「大丈夫。ちょっと覗くだけ」
ルナはそろりそろりと、穴の縁ぎりぎりまで足を進めた。
そして上半身を伸ばし、クレーターの中を見下ろす。
深さは、十メートルはあるように見えた。
ただし、穴の底はよく見えない。
黒い煙が、渦を巻いていたからだ。
いや、煙というよりも、真っ黒な雲に近い。
それは、まるで生き物のように蠢きながら、穴の中心へ向かってゆっくりと渦を巻いていた。
「……なんだろう?」
普通の煙じゃない。
そんなことくらい、ルナにもわかった。
けれど、不思議と目を離せなかった。
その時だった。
突然、地面が激しく揺れた。
「えっ⁉」
あまりの揺れに、ルナは足を踏み外した。
小さな身体が、宙に放り出される。
一瞬、時間が止まったように感じた。
制服のネクタイがふわりと浮き、ヒヤシンスブルーのブレザーが空気をはらむ。
ついさっきまで笑っていた顔が、はっきりと驚きに染まった。
次の瞬間、目に見えない力がルナの身体を下へ引きずり込んだ。
「うわぁぁあああああ!」
ルナは、渦巻く黒い雲の中へ吸い込まれていく。
「きゃぁぁああー! ルナちゃーん!」
ソヨの絶叫が、快晴のあさひ山に響き渡った……。
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