8 僕の愉快な兄貴たち
「ただいまー」
やっと家に着いた。店からそう遠くないというのに、結構な距離に思えた。
「ん、つばさおかえり」
「ただいま、恵」
「恵じゃないだろ、お兄様だろ」
帰ってきて早々、僕の二つ年上の恵兄さんが半裸でお出迎えしてくれた。彼はホストをやっているらしく、キンキラキンの髪に、筋肉質な体つきをしている。
……ていうか何か着ろよ!
「だって暑ちぃんだもん。あ、つばさちゃんも脱ぐー?」
「誰が脱ぐかよ! ばかっ!」
能天気な恵兄さんを押しのけて、僕は家の奥へと進んだ。
居間はあっけからんとしている。まだ恵兄さん以外は帰ってきていないようだ。
僕は居間の中央に置かれた真っ白で巨大なソファに腰を下ろし、ホッと息をついた。
……まだ唇に温もりが残っているような気がする。気持ち悪いなぁ、もう……。
「結局警察行かなかったなぁ」
そう。
あんなことがあったというのに、僕は警察に行かずに真っ直ぐ家に帰ってきてしまった。惜しい事をした、とは思っていない。むしろ、こうしてよかったと思っている。ううん、言い聞かせている、の間違いかも……。
「なぁに、つばさちゃん恋の悩み? それならこの優しーぃ恵お兄様が相談にのってやるよ」
「急に出てくんな。半裸変態変兄貴」
「ちょっと、冷たくねぇ? 俺、女落とすのにも落とされるのにも慣れてんだぜ? 孝之兄さんよりも役に立つだろ」
恵兄さんが首をうな垂れさせる。確かに孝之兄さんはクールだし、女嫌いだからな……。実際、僕を女として育てなかったのは孝之兄さんだし。
孝之兄さんとは、今年二十歳を迎えた僕と恵兄さんの憧れの兄だ。本当に憧れているのか、という疑問は投げかけないでほしい。返答に困るから。
「ただいま」
「あっ、孝之兄さん」
「ちょっとつばさちゃん、話逸らさないでくれるー?」
孝之兄さんは無表情のまま銀縁眼鏡の内側から僕たちを見て、ため息を一つついた後に自分の部屋へ行ってしまった。
「ため息つかないでよにいさーん」
恵兄さんが力無さ気に孝之兄さんに言った。孝之兄さんは都内の有名大学に通う学生だ。父さんが仕事で忙しいときは、孝之兄さんが父さんの代わりに色々やってくれる。それに、クールでかっこいいし、女の子によくもてる。……不服ながら美男三兄弟なんて言われたこともある。僕も男として見られているのだ。まぁ、しょうがないんだろうけど。
「ん、つばさちゃん、俺そろそろ仕事行くねー。はいっ」
恵兄さんが時計を見ながら何故か顔をズイッと近づけてきた。
「なに?」
「決まってるじゃん、行ってらっしゃいのチュー」
「ばかっ」
恵兄さんの股間を、今日アイツにやったように思いっきり蹴り上げてやる。おぉ、この人にもどうやら効くようだ。声になってない叫びを上げながら床をゴロゴロと転がっている。
僕はハハハと笑いながら恵兄さんを見た。兄さんは「てめぃ……」と涙目でこちらを睨み、それからもう一度時計を見て、驚いた顔をした。
「やばっ、もう行かなくちゃ! じゃあなつばさ!」
「うん、じゃあねー。股間を大切にー」
「それを言うなら『時間を大切に』だろぅが!」
最後にツッコミを入れながら、兄さんは家を飛び出していった。
楽しい余韻に浸りながら、ふと、目がとろとろとまどろんできていることに気づいた。そっとソファに横になり、目を閉じる。
「おや……すみ…」
眠気は僕の意識をさっと奪い取っていった。




