第5話 学校の階段
放課後の部室棟の廊下は、どこか冷やりとした空気が漂っていた。
私立明照学園の旧校舎二階。
その一角にある『新聞部』の部室の扉には、不釣り合いなほど派手なフォントで『特ダネ随時募集中!』と書かれた紙が貼られている。
「失礼します」
春人がノックをして扉を開けると、中では三雲心愛が山積みの資料の山と格闘していた。
足の踏み場もないほど散らかった部屋の中央で、彼女はボブカットの髪を揺らしながら振り返る。
「あ、神代くん! ちょうどいいところに来たわね。ちょっとこれを見てよ」
三雲が手招きするまま、春人は恐る恐る机に近づいた。
そこに広げられていたのは、手作りの『明照学園・七不思議マップ』だった。学校の平面図のあちこちに赤丸がつけられ、それぞれに付箋が貼られている。
『旧校舎の鏡に映らない顔』
『夜の音楽室で勝手に鳴るピアノ』
『放課後の廊下を歩く足音のしない人影』
「……なんだこれ」
「だから、最近校内で噂されてる怪異の目撃情報をまとめたのよ。ねえ、神代くん。これってただの都市伝説じゃない気がしない? だって、最近の商店街のおばけ騒ぎといい、明らかに町の空気がおかしいでしょ?」
三雲の瞳は好奇心と少しばかりの不安で揺れていた。
一般人でありながら、学園の裏に潜む異変の気配を嗅ぎ取っている彼女の勘は、ある意味で春人の『霊眼』よりも鋭いのかもしれない。
(……学校の裏まで、すでに幽界の瘴気が入り込んでるってことか)
春人の世界の見方は以前とはすっかり変わっていた。
今、この学園のあちこちにも、目には見えない異形の影が潜んでいるかもしれない。
「……変な噂に首突っ込んでると、本当に危ない目に遭うぞ」
「もう、それこの前も言ったでしょ! 私はね、隠された真実を暴くのが好きなの。……それに」
三雲はふっと表情を和らげ、少しだけ声のトーンを落とした。
「なんだか最近、神代くんがすごく遠くに行っちゃいような気がしてさ。だから、放っとけないんだよね」
その真っ直ぐな瞳に見つめられ、春人は思わず視線を逸らした。
これ以上深入りさせれば危険に巻き込むことになる。そう分かっていながら、独りきりだった自分の世界に踏み込んできてくれる彼女の存在が、どこか温かくもあった。
その時――。
ガタッ、と部室の窓が激しく揺れた。
秋の夕風ではない。下から突き上げるような、妙に生臭い風が廊下から吹き抜ける。
「きゃっ……! な今の風……?」
「後ろに下がれ!」
反射的に春人は三雲を背後にかばい、ポケットの中で『界鈴』の感触を確かめた。
チリリ、と微かに鳴った鈴の音が、臨戦態勢の合図を告げる。
廊下に面したすりガラスの向こう側に、ゆらゆらと不気味な影が浮かび上がった。
それは一つではない。何匹もの細長い影が、壁を這うようにしてこちらの部室へと近づいてくる。
(学校の中にまで、もう入ってきてる……!)
牛鬼のような大物ではない。
だが、口裂け女や黒い染みのような低級の怪異が、群れをなしてこの旧校舎に集まっている。
薄暗い放課後の旧校舎。その壁や天井を埋め尽くすように、無数の黒い異形たちがこちらを睨みつけている。
『――ミツカッタ……』
『――マタ、キタ……』
頭の中に直接響く嫌な雑音。
だが、昨日の恐怖に比べれば足の震えは止まっていた。春人は深く息を吸い込み、ポケットのなかで界鈴を強く鳴らす。
チリィン――ッ!
澄み渡る銀の音が、旧校舎の静寂を切り裂いた。
それは境界守最後の継承者が、この世界で生きていくための最初の戦いの合図だった。




