5-1 真天先輩とアイスコーヒー
デスクの前に座り、ノートパソコンを起動する。
メールアプリとチャットツールに新着メッセージが入っていないかを確認してから、速やかにテキストエディタを立ち上げる。インターネットブラウザは集中の妨げになるので、決して開かないように心がける。
「……よし、やるか」
プロットを確認しながら、頭の中に物語世界を構築していく。具体的なイメージが浮かび上がったところで、キーボードをタイプし始めた。
ひとまず快調に二十分ほど執筆していると、ドアがノックされた。俺はすぐに対応する。
「はーい、どうぞ」
「唯人くん、アイスコーヒーを淹れましたよ」
女神の笑顔で入室してくる真天先輩。両手にはお盆を持っていた。載っているのは濃褐色の液体とロックアイスが入った、無地の透明なグラスだ。
「おー。アイスコーヒーって、何気に初めてじゃないですか?」
「そういえば作ったことがなかったなって、いつものお店でアイスコーヒー専用のお豆を買いまして。たぶん上手くできたかと思うんですが」
デスクの空いているところにお盆を置いてくれる。ガムシロップとコーヒーフレッシュも添えられているが、まずはそのまま飲んでみる……。
「……っ! 美味い! よくできてますよ」
「よかった。しばらく猛暑が続くみたいですし、しっかり体を冷やさないといけないですよね」
もちろん冷房は入れているのだが、俺はあまりガンガンに効かせるのは好きじゃなかった。ほんのり涼しい程度に抑えるわけだが、すると冷たい飲み物がより美味しく味わえるのだ。
「おかげで執筆がはかどりそうです。でもホットも今まで通り飲みたいかな」
「じゃあホットとアイス、一日おきにお出しするようにしますね」
真天先輩を両親に紹介した翌日から、俺は本腰を入れて小説執筆を再開していた。
この夏休みの目標は『最強英雄は苦悩する』第二巻の初稿を書き上げることだ。先日プロットにOKが出たので、あとはひたすらキーボードを叩いていくだけ。
その合間に、受賞後第一作となる『勇者は語り継がれたくない』の書籍化作業も入るだろう。さらに『最強英雄』のコミカライズの監修作業も。新人作家としてはなかなか忙しく、嬉しい悲鳴というやつだ。
二学期が始まれば、どうしても仕事に使える時間が減ってしまう。集中できる今のうちに、全身全霊で取り組んでいかなければ。
「それじゃあわたしは、向こうでお勉強しています」
真天先輩は気になることを言いながら部屋を出ようとする。
「ん? 何の勉強ですか?」
高校卒業後は俺の専業主婦になると宣言してくれている真天先輩である。受験勉強ではないことは確かだ。
「簿記のお勉強です。将来、唯人くんのサポートができるように」
「あっ……なるほど」
できることなら小説執筆だけしていたい俺。事務作業なんて面倒だと零したことがあった。すると真天先輩は、そういうのは自分がやると言ってくれたことがあったのだが、本気で取り組んでくれるみたいだ。
「検定試験もそのうち受けようと思ってるんです。簿記3級というのがあるので、とりあえずそれを目標にして」
ネットはやらないと決めていたが、検索のためにスマホを開いてみる。例によってAIが概要を出してくれた。
「簿記3級……これが一番難易度低い資格なんですね。でも合格率は四割くらい? 勉強時間の目安は百時間程度……かなり大変そうじゃないですか」
「ええ、しっかり取り組まないと合格は難しそうです」
「でも真天先輩、入学以来ずっと学年一位だったんですよね。その頭脳なら絶対合格できますって!」
「もちろん、一発合格を目指して頑張りますよ。来年の確定申告はわたしに任せてくださいね」
真天先輩が退室する。楽しい会話のおかげでさらにテンションが上がってきた。
アイスコーヒーにガムシロップとコーヒーフレッシュを加え、一口飲んでから猛然と手を動かしていく。冷たさと甘さが頭をほどよく活性化させ、無からテキストを生み出していく。それらは即座にエディタに反映され、確かな意味と熱量を合わせ持つ文章として成立していく。
仕事があり、愛しい人がいる。今の俺に怖いものは何もない。この灼熱の夏、このペースで最後まで突き抜けてやるぞ。




