3-6 真天先輩と夫婦の絆を学んで
「じゃあ真天先輩、二階に行きましょうか」
現在行われている企画展のタイトルは――
「『夫・四谷美加登との日々』ですって。これはぜひ、先達の在り方を学ばせてもらわなければ」
四谷多賀子の夫である四谷美加登。
普通の勤め人だった美加登は、趣味で文芸同人サークルに入っていた。そのサークルのメンバーだった旧姓・森田多賀子とやがて結婚した彼は、多賀子が鮮烈な作家デビューを果たすと、以来家庭に入って妻の仕事を熱心に支え続けたという。
「今で言う専業主夫ってことか」
「そのはしりだっていう評価もあるみたいですね。でもそれだけじゃなくて、どんな小説を書いたらいいかの提案もしたり」
企画展には夫婦のプライベート写真がたくさん飾られていた。映っているのはふたりだけだ。
「子供はいなかったんですか」
「多賀子は体が弱かったので、結婚当初から夫婦だけで生涯を送るという決意をしていたそうです」
妊娠や子育ては負担が甚大だろうからな。その判断は正しかったのだろう。
順調に著作を重ね、文壇での評価も揺るぎないものになっていた多賀子だが、歳を重ねるにつれて重い病に伏せることが多くなった。
それでも彼女は創作意欲だけは衰えを見せることがなかった。作家の鑑だな。
さらに俺は、驚きの事実を知る。
「多賀子は晩年、ペンも上手く持てなくなったのですが、美加登に口述筆記をしてもらっていたんです」
「ええっ……? それって、書いてもらうために思いついた文章を全部口にするってやつですよね」
その口述筆記の様子が収められた写真もある。多賀子はベッドに寝ていて、その側に美加登が座ってノートを取っている。
想像してみる。いつもはパソコンに打ち込んでいるテキストを、ひとつひとつ整理しつつ言葉に出す――とてもじゃないが俺にはできる気がしない。
「難しい技術なのはそうでしょうけど、それ以上にお互いの絆があってこそできることなんだと思います」
「ん……そっか。美加登が相手だから多賀子も信頼して……」
「わたしたちも口述筆記ができるくらい、絆を強めたいですね?」
柔らかく笑う真天先輩。
今の技術なら、声をそのまま文字にして打ち込むことも可能だ。仮に俺が手を動かせなくなったとしても、小説執筆はまだひとりだけで続けられる可能性はある。
しかし固い絆で結ばれたパートナー同士の口述筆記というのは……これもまたデジタルやAIを超越した、とても美しい創作の形だと思う。
多賀子に先立たれた後、美加登は有志を募ってこの四谷多賀子記念文学館を建立し、初代館長となった。そして妻の後を追うまで、彼女の作品を後世に伝えていこうと全力で走り続けた……。
「本当に素敵な夫婦ですね。前から尊敬している方々でしたけど、唯人くんと一緒に見ると、なおさらそう思います」
「……俺も今日、ここに来てよかったです」
「わたしも美加登みたいに、唯人くんの作家活動を全力で支えますから。いっぱい頼ってくださいね」
「うん。頼りにしてます」
企画展を見終えて一階に下り、併設されているカフェに立ち寄った。
コーヒーとパウンドケーキを注文したところで狩谷さんが聞いてくる。
「本日の予定はこれで終わりですが、いかがいたしますか? お土産屋に立ち寄りたいとかございましたら」
「いや、特にいいです。お土産ならほら、ここで買った小説で十分です」
「それでは予定通り別荘に戻りましょう。お嬢様もよろしいですか?」
「ええ、帰りの運転もお願いしますね」
のんびりと軽食を楽しんでから四谷多賀子記念文学館を出た。
短時間の滞在だったかもしれないけど、大先輩作家とそのパートナーの在り方は、俺の心に深い感銘をもたらしてくれた……。




