1-11 真天先輩は一線を越えたい
午後七時を回ったところでディナータイムとなった。
「メインディッシュのガーリックステーキでございます。特上の神戸牛を使用いたしました」
狩谷さんの説明を聞きながら、思わず唾を飲み込む。雄々しい大地を思わせる厚切りのステーキだ。
「これ、真天先輩が焼いてくれたんですか?」
「いえ、ステーキの焼き方は知らなかったので、狩谷さんが焼くのを見学していました」
「そっか。俺も取材のために見ておけばよかったかな」
「もうばっちり覚えたので、次はわたしが焼いて見せてあげますね。さ、食べましょうか」
「い、いただきます」
湯気の立ち上る肉にナイフを通すと、すっと抵抗なく切れていく。
肉汁は多くもなく少なくもない。断面はほんのりと薄いピンク色が残っているが、中心部までいい具合に火が通っているようだ。ミディアムってやつかな?
口に運び、舌に触れた瞬間――噛む前から旨味が爆発を起こした。
そして噛み切るとその爆発はなおも勢いを増し、口腔全体を圧迫し、支配していく。
「っ……! う、美味すぎる……これが本物のステーキ……!」
「さすが狩谷さん、プロの腕前ですね」
「お肉が良いのですよ。お嬢様もこれくらいはすぐに焼けるようになります」
「こんなの初めてです。取材のためにもじっくり味わって食べなきゃ……」
一気にがっつきたい欲求を抑えながら、俺は静かに食事を進めていった。
「ん~っ、精がたっぷり付いちゃう♪ 夜の元気が出ちゃいますね、唯人くん」
そして真天先輩は思わせぶりなことを言う。
(ちゃんと俺の気持ち、伝えておかないと……な)
ディナーはつつがなく終えて、食後のコーヒーもいただいて……もう今日はすることはない。俺は真天先輩と一緒に宛がわれた部屋に戻った。
「いかがでした? 別荘の初日は」
「おかげさまで、すごくいい時間を過ごせました」
この旅行の日程は三泊四日。
最終日は移動だけだろうから除くとして、この調子であと二日、真天先輩の攻勢を乗り切らないといけない……。
「それじゃあ、唯人くん……」
真天先輩が俺の手を取り、ベッドに誘う。
明日に備えて早く寝ましょう――と言いたいわけではないのは、その赤らんだ頬から容易に理解できる。
「あの、真天先輩……」
俺の表情で察したのか、彼女は寂しそうな顔をした。
「……積極的すぎる女の子は、やっぱりお好みではありませんか?」
「違います。嫌なんかじゃなくて……」
「わたし、この旅行中に……唯人くんと一線を越えてもいいな……ううん、越えたいって思ってました。だって恋人同士なんですから、自然なことですよね?」
潤んだ瞳で問いかける真天先輩。俺はただ頷く。
「わたし、唯人くんのこと大好きで、愛してるから……あんなに大胆な水着を着て、さっきのお風呂場でも、だいぶ勇気を出してアピールして……でも唯人くん、飛び出していっちゃって」
「うん……」
「恥ずかしくてつい逃げちゃったのかなって、思ってたんですけど……その気は全然ないってことでしょうか……?」
「そ、そういうわけでもなくて……!」
「もしかして、両親のことが気がかりなんですか? わたしに手を出したら怒られるかもって?」
……それはないとは言えない。親としては当然、今はまだ健全な交際をしてもらいたいと考えているだろうから。
でも、それが根本的な要因じゃないんだ。
「愛する人と結ばれるタイミングくらい、自分で決めます。だから唯人くんも気にしないでほしいです」
ふわりと正面から抱き着いてくる真天先輩。
バスローブの内側から主張する豊満すぎる膨らみが、自分を好きにしてほしいと訴えている。
リミッターが外れるとしても無理からぬこと――狩谷さんがそう言っていたけど、真天先輩はやっぱりどこまでもまっすぐで、信念を持っている人だ。それを再認識する。
「もう覚悟はできてるんです……わたしを抱いてくれませんか? 唯人くん」
けれど俺は、その魅力的なボディを、そっと離した。
「聞いてください、真天先輩」
心臓が喉から飛び出てしまいそうだ。口がカラカラに乾いていく。
「俺だって……俺だって本当は、めちゃくちゃ、真天先輩としたい……!」
「えっ……」
「でも、怖いんです。いったん一線を越えちゃったら……俺、絶対に真天先輩に夢中になるって。他に何も考えられなくなるって」
真天先輩は瞬きを繰り返した。
「唯人くん……」
「この夏休みが、新人作家の俺にとって本当の勝負です。デビュー作の続刊が決まって、新シリーズも出せることになって……でも、そんな時に真天先輩を知ってしまったら……俺の人生に、エッチっていうのが完全に入り込んで……もう分離することなんかできなくなって」
どれだけ真天先輩がアプローチしてきても、しなければそこまでだ。
けれど、してしまったら。
俺の世界はきっと変わってしまう。後戻りはできない。
「小説の仕事、全然手に付かなくなる……そう確信できるくらい真天先輩は……」
「あらあらまあ……唯人くん……♪」
あ、イタズラっぽい笑顔に戻ってきた。
「つまり、わたしがあんまりにもエッチだから、お猿さんになっちゃう?」
「言い方!」
「唯人くんは自制心のある人だって思ってましたけど、そんなにわたしに溺れちゃう? ダメになっちゃうって心配?」
「こ、こんなにとんでもないおっぱいしといて今さらじゃないですか!」
と、真天先輩が俺の頭を掻き抱いた。
「うわっぷ!」
「唯人くん、本当に可愛い……!」
腕や背中に押し付けてくることはあったけど、顔面は初めてだった。
ふわふわなバスローブの感触も相まって、Lカップはさらに極上の心地よさで……!
「は、離してくださいって! これはヤバいです……!」
「やです。エッチしないならこれくらいはさせてください♥」
そのまま一分間くらい、俺は圧倒的巨乳に埋もれていた。
ようやく俺を離してくれた真天先輩は、すごく満足そうだった。
「唯人くんの意向はわかりました。わたしは妻として従います」
「……あ、ありがとうございます。わかってくれて」
「ですが……そんなこと言ってたら、ずーっとお預けになってしまいませんか?」
「まあ、そうなんですけど」
小説家は安定しない仕事だ。今が大事、という時期がこれからも長く続くはず。真天先輩をやきもきさせてしまうかもしれない。
それでも、もう少し足場を固めたいのだ。俺のデビューはいいスタートを切れたが、これがまぐれでないことを証明したい。
「もう少し……待っててくれませんか。俺が心から納得できるようになったら、その時こそ……」
「はい。期待して待ってます」
真天先輩は穏やかな顔でベッドに入った。
「一緒に寝るくらいは、いいですよね?」
「うん……それは大丈夫です」
「安心してください。約束したんですから、わたしから手を出したりはしませんよ。眠くなるまで、おしゃべりしてましょ?」
こうして、長かったような短かったような旅行初日は幕を閉じていく。
明日はもう少し、刺激控えめでお願いしたい……。
この先も先輩はさらに大胆な姿を見せてくれます。
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