5-9 真天先輩とボイス収録
それから少し経って――
「き、緊張してきた……」
俺と真天先輩と早乙女さんの三人は、とあるビルの一室に赴いていた。
ここは音声制作スタジオ。俺のデビュー作『最強英雄は苦悩する』の公式PVのためのボイス収録がいよいよ始まるのだ。
レコーディングエンジニアの人が機材の前に座り、スタンバイしている。原作者の俺と担当編集者の早乙女さんは、ソファに座ってじっと見守るだけである。一応、監修という立場になるのかな。
「じゃあ聖川さん、テストをしてみましょう。頭から順番に読み上げてみてください」
音声ディレクターさんがマイクを通じて、ブースの中にいる真天先輩に呼びかける。
「はい、わかりましたっ」
気合い十分という返事だが、さすがに少し緊張しているようだ。
無理もない。真天先輩はそもそも声優ではなく、養成所に通っている声優志望者ですらないんだから。
真天先輩が台本を読み上げていく。もちろんすべて俺が書き下ろしたテキストだ。ほんの三十秒程度のPVだから分量は多くないけれど、一字一句に魂を込めたつもりだ。
ひととおりを確認して、音声ディレクターさんが聞いてくる。
「はい、少しお待ちください。……我和さん、こんな感じでいいですか?」
俺はしばしうーんとなる。
「ちょっと可愛らしすぎたかな……? 強い系のヒロインなので」
「わかりました。聖川さん、もう少し凜々しい感じでやれますか?」
「あ、そうか。凜々しい感じじゃないとダメですよね。了解です!」
真天先輩は俺の作品の熱心な読者だから、ヒロインの性質はもちろん理解していたと思う。しかし自分で台詞を読むとなると、やっぱり勝手が違うよな。
ただのアマチュアである彼女に、つくづく難しいことをお願いしていると思う。だけど、宣伝効果で言えばそこらのプロ以上のものがあるはずなのだ。
再び真天先輩がテキストを読み上げていく。
おっ、これは……。
「少しお待ちください。……今度はどうでしょう?」
「ばっちりです! イメージ通りですよ。この方向でお願いします」
「いやしかし、本当に聖川さんは素敵なお声をしてるっスねぇ。そんなに拙くも感じないですし」
早乙女さんは感心しきりだった。音声ディレクターさんも頷いている。
「滑舌もいいし、感情の乗せ方も上手いですよね。本当に専門のトレーニングを受けてきたわけではないんですか?」
「ええ……俺も驚いてます」
事前に聞いていたのだが、真天先輩は幼い頃からハキハキとしゃべるように両親から教育されていたらしい。それで自分なりに滑舌のいい話し方を身に着けていたのだと思う。感情の乗せ方が上手いのは、きっと俺の作品だから。
いずれにしても、持って生まれた才能があるのだろう。ルックスもスタイルもアイドル顔負けだし、本気でプロ声優を目指したら将来は大物にもなれそうだけど……。
「じゃあ、本番いきましょうか。聖川さんお待たせしました。今の方向でやってみましょう」
「はい、よろしくお願いします!」
『最強英雄は苦悩する』――
魔王とその配下の魔物たちが猛威を振るう世界。
生まれながらにして圧倒的魔力を持つ主人公は、魔物討伐の旅の中で「英雄」と讃えられていた。
しかしその魔力は今も成長中で、強力すぎるがゆえに上手く制御できなくなってしまう。
そのままでは周囲に甚大な被害を出してしまう彼は、道中知り合ったヒロインの助けを得ながら、魔力に頼らない搦め手を次々と考案しなければならなかった……。
《※ナレーション
「どうして戦わないのですか? えっ、強すぎるから?」
魔王の侵攻を受ける世界。
立ち上がった英雄はしかし、最強がゆえに戦えず――
『最強英雄は苦悩する』七月発売予定。》
――真天先輩がテキストをすべて読み上げた。
テストの時よりもさらに滑らかで、感情が籠もっていて……俺の作り上げたヒロインが実際にその場にいるかのようだった。
「……文句なしです。これでOKです」
早乙女さんに目配せすると、笑顔で頷いた。
「うん、僕も問題ないっス!」
音声ディレクターさんも満足げに真天先輩に呼びかけた。
「聖川さん、いただきました! 以上となります。お疲れ様でした」
ブースから出てきた真天先輩は、すっかり頬を紅潮させていた。
「唯人くん……! わたし、ちゃんとヒロインになれていましたか?」
「もしアニメ化するとしたら、その時も真天先輩にお願いしたいくらいです!」
「いえいえ、それはさすがに遠慮させていただきますが……お役に立てて本当によかったです」
真天先輩の興奮はしばらくは冷めそうになかった。もちろん俺も。
「聖川さんの人気、すさまじいことになってるっスけど、これでさらにブーストがかかりそうっスね! 声優もやれるの?って」
早乙女さんは俺以上に嬉しそうだった。
生徒会のSNSアカウントに真天先輩が鮮烈な登場を果たして以来、彼女は当初の想像を超えて注目を集めていった。
あれからも何度か動画が投稿されたが(さすがに毎日収録は大変なので週二と決めた)、そのいずれもが大量のリポストといいねを稼いだ。SNSの外でもニュースサイトに取り上げられたり。
俺の小説も目に見えてPVが増えるようになり、たくさんの応援コメントが毎日投稿されている。
《生徒会のPVから来ました》
《話題先行だけのよくあるテンプレかと思ってすまん。結構面白かった》
《書籍版と続きが楽しみです!》
そして今回の公式PV。いろいろな宣伝をしていくとすでに表明しているのだが、こんなものがお出しされるとは誰も予想ができないに違いない。
「じゃあ、音声データは明日にでも編集部にお届けしますので」
「はいっス。よろしくお願いします」
スタジオを出ると、真天先輩はうーんと伸びをした。豊かなバストがふるんと揺れる。
「ああ、上手くいってホッとしました。声優さんってすごいですよね。あんな大変なことをお仕事にしているだなんて」
「ディレクターさんもすごく褒めてましたけど……本当に声優に興味はないんですか?」
「ええ、ありません。わたしはあくまで唯人くんのサポートだけをしたいんですから」
わかってはいたけれど、安心した。
彼女は俺だけのものなんだ。その事実がどうしようもなく胸を疼かせた。
それからまたしばらくして、出版社の公式PVは公開された。
《コンテスト受賞作『最強英雄は苦悩する』がいよいよ今夏発売!
出来たてホヤホヤのPVを公開します。
ヒロインのボイスを吹き込んでくれたのは話題沸騰の聖川真天さん!
後輩のために声優までやってくれた聖川さん、ありがとうございました!》
完成済みのイラスト素材数枚を用いた、ごくシンプルな動画だったが――
《はっ? 先輩がナレーション?》
《すげえいい声。アマチュア離れしてるな》
《こんな先輩がいてマジうらやましい!》
目論見通りに大きな話題になってくれたのだ。真天先輩にはもう足を向けて寝られない。
「へえ、わたしの声ってこういう風に聞こえるんですね。自分じゃないみたい」
真天先輩はそう言いながら、何度も再生ボタンをクリックする。
今日も生徒会での撮影なのだが、話題はもちろんこのPVのことと決めている。どんな経緯で真天先輩が起用されることになったのか――それを知れば、視聴者はまた驚くことだろう。
「我和くん、本が出たら打ち上げしようね! もちろん君のおごりで」
と、秋口先輩。
「こんなに話題になってるんだし爆売れ確定でしょ! 印税がっぽがっぽでしょ」
「いや、わからないですって。実際どうなるかは」
「ふーん、そういうもん?」
確かに大きな話題になってくれている。
でも、どんなに最善を尽くしても結果が出ないことも多い。それが商売というものだろう。そうでなければ、聞こえてくる先輩作家たちの苦悶の声はもっと少ないはずだ。
「人事を尽くして天命を待つ、ですね」
真天先輩が穏やかに言う。
「発売の日まで、めいっぱい宣伝頑張りましょう。わたしたちの結婚のためにも♪」
「け、結婚んんんっ?」
大野くんが驚愕し、秋口先輩がニヤニヤと唇を歪めた。
「そっかー、マジで結婚する気なんだ! 両親にも許してもらったの?」
「ええ。でも唯人くんが高校生のうちに売れっ子になるのが条件ですから」
「我和くん、そのこと動画でも言う?」
「い、言いませんって!」
――とにもかくにも。
俺と真天先輩は二人三脚で広報活動に邁進した。人生でたった一度のデビュー作。悔いの残らないように、執筆と同じかそれ以上に頑張った。
月日は風のように早く過ぎ去り――いよいよ『最強英雄は苦悩する』の発売日を迎えたのだった。




