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『夜の窓辺に君の描いた色彩を』  作者: 長月有希


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最終話『誰が為の栞』(1)

 朝の光が、重厚なアルミニウム合金の窓枠に嵌め込まれたガラスを透過し、室内に静かな侵入を果たしていた。

 太陽という絶対的な熱源から放たれたはずの光線は、いかなる温度も、有機的な色彩の温かみも帯びてはいなかった。純粋な白、あるいは青ざめた灰色の成分だけを抽出したような無機質な直線の束が、空間を冷徹な幾何学模様として切り取りながら、真っ直ぐにリノリウムの床面へと突き刺さっている。窓枠の四角い影が、完璧な直線と直角を保ったまま、埃一つ落ちていない滑らかな床の表面に長く引き伸ばされて投影されている。

 光の軌跡の中には極めて微細なチリだけが、重力の法則と微弱な空気の対流に従いながら、ゆっくりと浮遊と沈降を繰り返していた。光の束を横切る瞬間にだけ、かすかな明滅を伴って物質としての存在を主張するが、床に到達する前に見えない気流に飲まれ、背景の白さの中に完全に溶け込んで消えていく。


 病室と呼ばれるその四角い密閉空間は、絶対的な、そして完全なる『不在』によって支配されていた。

 つい先ほどまで、あるいは途方もないほど長い時間の中で、この空間の体積の一部を確実に占有し、そこを満たしていたはずのあらゆる生々しい気配は根こそぎ削り取られ、空間ごと無菌状態に置かれたかのように完全に消去されている。

 苦痛に耐えかねて空気を引き絞る生々しい呼吸。気道が引き攣り、言葉にならない摩擦を生み出す絶叫。限界を超えた筋肉の収縮が引き起こす、骨と関節が軋む不協和音。糊付けされたシーツと痙攣する肉体が擦れ合うひどく乾いた摩擦の響き。そして、生命の危険を無慈悲に知らせ続ける、規則的でけたたましい心電図の電子音。

 生と死の境界線において発生するいかなる音波の振動も、この空間のどこにも存在してはいなかった。遠くの廊下を行き交うはずの医療従事者の硬い靴音や、扉が開閉する環境音すらも、分厚いコンクリートの壁によって完全に遮断され、ここは世界から切り離された真空の標本箱として静止している。


 部屋の中央に鎮座しているのは、機能性のみを追求して設計された簡素な金属製のベッドである。

 そのベッドの上には、人間という有機的な生命体が横たわっていた痕跡はただの一ミリたりとも残されてはいなかった。

 マットレスを覆う純白のシーツは、完璧な手順でプレスされ、張り詰めた力で四隅を固定されたかのように、微小なシワ一つ、わずかな布地のたるみ一つすら存在していない。人間の重たい肉体が沈み込んだことによる中心部の凹みも、苦痛にのたうち回った背中が布の繊維をよじらせた形跡も、一切見出すことができない。枕もまた中央にわずかな窪みすら持たず、完璧な直方体の形状を保ったまま、シーツと同じ純白のカバーに包まれて冷たく配置されている。

 これから誰かを迎え入れるための準備が整えられた状態というよりも、最初からいかなる生命の侵入をも拒絶し、永遠に未使用のまま展示されることを運命づけられた、冷徹な静物画のオブジェのような佇まいを持っていた。


 さらに、ベッドのすぐ横の空間には、当然のように配置されているべき無数の生命維持装置の姿が完全に欠落していた。

 静脈に太い針を突き刺し鎮静剤を絶え間なく流し込んでいたはずの、鋼鉄の支柱を持つ点滴スタンド。肉体の微弱な電気信号を拾い集め波形としてモニターに投影していた心電図の機械。そして、それらを結ぶ無数の管やケーブルの束。

 それらの無機質な医療器具は、何者かによって撤去されたという形跡すら残さず、まるで設計図の段階から一切存在していなかったかのように空間から消去されている。床にはキャスターが転がった摩擦の跡すらなく、壁のコンセントにはプラグが差し込まれていたわずかな傷すらない。

 空間を満たしているのは、嗅覚の奥深くまで突き刺さってくる極めて化学的で鋭利な消毒用アルコールの匂いだけである。汗や脂の混じった体臭、熱を帯びた呼きの匂い、傷口から滲み出した血や、恐怖によって分泌された涙と涎の生臭さ。生命という不浄な有機物が発するあらゆる情報は、アルコールの分子によって細胞レベルから完全に分解され、漂白され尽くしている。


 最も顕著なのは、月城詩織という人間の肉体が、影も形も存在していないという冷徹な事実だった。

 首から下の神経を絶たれ、拘束帯に縛り付けられて絶望の極致を彷徨っていたはずの少女の姿は、この部屋のどこを探しても見つけ出すことはできない。抜け落ちた黒髪の一本すら、純白のシーツの上には残されていない。彼女がそこで呼吸をし、熱を持ち、激痛に苦しんだという物理的な証明は、この三次元の空間のいかなる座標を調べ尽くしたとしても発見することは不可能なのだ。

 主観という名の歪んだレンズは、完全に粉砕され、破棄された。

 痛みを伴う告白も、狂気に満ちた自己解剖も、夜明けの色彩に対する美しき感動も、すべては月城詩織という脳髄の密室の中だけで再生されていた幻影であり、肉体というハードウェアが消滅した今、主観的情報は世界のどこにも出力されることなく永遠の暗黒へと消え去った。

 今、この空間を捉えているのは、いかなる感情も持たず、いかなる意味の解釈も行わない、極めて冷徹で客観的な視界だけである。


 その絶対的な静止空間において、外気と室内の間に存在するごくわずかな気圧差が、厳重にロックされた窓枠の隅、ほんの数ミリだけ固定を外されたガラスの隙間を通して、極めて緩やかな空気の流動を生み出し始めた。

 無色透明な気流の束は、冷え切った朝の温度を保ったまま室内に侵入し、リノリウムの床面へと下降していく。平滑な床に衝突した空気は複雑な乱流へと姿を変え、部屋の空間を均等に満たしていた冷気を押し退けながら、ベッドの脇に設置されたステンレス製のサイドテーブルへと到達した。

 金属の天板は、朝の無機質な白い光を反射して冷たい光沢のラインを走らせている。

 その完璧な平面のちょうど中央に、直方体の質量を持った一つの書物が置かれている。一枚一枚が異なる厚みと粗さを持つ分厚い手漉き紙が何十枚も重ね合わされ、極めて原始的で堅牢な手法で綴じられた手作りの絵本。小口と呼ばれる紙の束の側面には不揃いな毛羽立ちが連なり、繊維の隙間からは内部に定着したインクの暗色や顔料の鮮やかな色素が微かに染み出している。


 テーブルの縁を這い上がった気流が、書物の側面に直接的な物理干渉を開始する。

 窓の隙間を通り抜ける外気の束がわずかに速度と体積を増した瞬間、空気の圧力は表紙とそれに続く数枚の厚いページの隙間へと深く入り込んだ。

 流体力学的な揚力が発生し、重力によって天板に押し付けられていた分厚い紙の束が浮き上がる。その間隙に後続の気流が雪崩れ込み、重厚な紙の束を一気に空中へと押し上げた。空気を孕んで持ち上げられたページが直立の臨界点を超え、再び重力に引かれて反対側へと倒れ込む。

 空気を押し除け、乾燥した紙の表面同士が激しく擦れ合いながら着地する際の、ひどく乾いた質量を感じさせる摩擦音が空間に発生する。いかなる生命の呼吸も存在しない無人の病室において、有機的なセルロースの繊維が立てる物理的な打撃音は、異常なほどの鮮明さを持って室内の四方の壁と天井に等間隔に反響した。


 風の速度が不規則なリズムを刻むにつれて、絵本のページは予測不可能な間隔でめくれ上がり始める。

 機械的な反復運動に伴って、ページの内側に封じ込められていた視覚情報が、朝の無機質な光の中に断続的な明滅を伴って露出していく。

 あるページが持ち上げられたわずかな瞬間、そこに現れるのは光の反射を極限まで拒絶するブルーブラックのインクの沈殿である。紙の繊維を鋭利な金属で抉り取ったような深い筆圧の溝。暗く重たい絶望の森の風景と、泥の地面を這いずる少女の輪郭。水分を含んだインクが乾燥の過程で紙を微かに波打たせ、窓から差し込む斜めの光を受けて微細な陰影を落としている。

 次の瞬間、気流の変化が別のページをめくり上げると、眼球の網膜を刺すような鮮烈な顔料の反射光が空間に放たれる。深い藍色から桔梗色、そして黄金色へと移行する夜明けの色彩。窓からの朝の光がそのページに直射した瞬間、顔料の粒子が一斉に発光したかのような強い光沢を放ち、冷え切ったステンレスの天板に一瞬だけ神聖な黄金色の反射光を投げかける。


 黒いインクの深い沈殿と、黄金色の顔料の鮮烈な輝き。

 極端に異なる光の反射率と質感を持った二つの物質面が、気流の干渉によって交互に出現しては消えていく。そこに意味の解釈は存在しない。

 誰の網膜に結像することもなく、誰の脳髄で意味を変換されることもない。無人の冷え切った空間で繰り広げられる、インクと顔料の無機質な明滅。

 分厚い紙の繊維が擦れる重たく乾いた音が響き、圧倒的な暗闇と光が露出しては、再び次のページの下へと葬り去られていく。人間の精神がいかに極限のドラマを組み上げようとも、物理世界はそれに全く無関心であり、ただ冷徹に物質の運動を継続するだけであるという、冷酷なまでの真理を体現する光景だった。

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