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『夜の窓辺に君の描いた色彩を』  作者: 長月有希


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第12話『最後の1ページ』(5)

 二万文字を超える壮絶な苦闘と精神の命を削るような対話の果てに。物語はついに完璧な調和を持った一つの絵本として結実し、その圧倒的な美しい余韻だけが図書室の静かな空間を満たしていた。

 透明な魂の指先に握りしめていた真鍮の万年筆を、ゆっくりと机の上へと置いた。金属の胴体が古い木材の表面に触れ、微かで硬い音を立てる。これまで自らを慰めるための嘘を書き殴り、親友の美しい光をブルーブラックの泥で汚染し続けてきた凶器が、すべての役割を終え、ただの無機質な物体へと還ったことを告げる静かな終止符の響きだった。

 動きに合わせるように、隣に座る姿もまた、細く美しい指先から無色の鉄筆を静かに手放した。

 二つの筆記具が、完成した手漉き紙のスケッチブックの両脇に並んで置かれる。もはや紙に刻むべき言葉も、乗せるべき色彩も、この世界のどこを探しても残されてはいなかった。魂のすべては、あの最後のページに描かれた夜明けの光と泥の軌跡の中に、一滴の欠落もなく完全に注ぎ込まれたのだ。


 深い夜の闇に包まれていたはずの図書室は、スケッチブックから溢れ出す夜明けの色彩によって、春の朝陽に包まれたような温かく神聖な光芒に満たされている。

 彼女は、机の上に置いた両手を静かに膝の上へと移し、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。

 目元はまだわずかに赤く腫れていたが、雨の降る渡り廊下で見せた冷徹な侮蔑の色も、心を支配していた怯えや深い悲哀も存在していない。すべてを見透かし、すべてを許容し、そしてすべての痛みを共有した者だけが到達できる、底知れぬほど穏やかで澄み切った凪のような表情。


「完成したね」


 紡がれた短い言葉は、いかなる修飾も持たない純粋な音声として、魂の最も深い場所へと優しく響き渡った。

 それはただの絵本の完成を祝う言葉ではない。不器用なほどに傷つけ合い、血を流し、互いの存在を否定し合ってきた凄惨な過去のすべてを肯定し、その果てにようやく辿り着いた真実の和解を証明する、究極の祝福の言葉だった。

 透明な涙を溢れさせながら、その真っ直ぐな瞳をしっかりと見つめ返した。

 内側に渦巻いていた醜い嫉妬心も、他人を泥の底に引きずり込もうとする執着も、微塵も残ってはいない。ただ、目の前にいるたった一人の親友に対する、限りなく深く永遠に償うことのできない想いだけが魂の核を震わせていた。


「うん。ごめんね、ありがとう」


 唇から、一切の震えも淀みも持たない、純粋な言葉の重みだけが紡ぎ出された。

 ごめんね。才能を憎み、光を私だけの檻に閉じ込めようとした傲慢さへの懺悔。そして何より、見捨てられる恐怖から錯乱し、冷たい雨の交差点で美しい命をすり潰してしまった大罪に対する血を吐くような謝罪だった。

 ありがとう。不浄で救いようのない殺人鬼の孤独に最後まで寄り添い、自らの命を投げ出してまで救おうとしてくれたことへの感謝。そしてこの精神世界の中で、紡ぐ暗く醜い言葉を否定せず、圧倒的な夜明けの色彩で包み込んで美しい物語の一部として昇華させてくれたことに対する永遠の敬意。

 たった二つの短い言葉には、二万文字を費やして自らの魂を解剖してきたすべての激痛と祈りの質量が込められていた。彼女は言葉を静かに受け止め、まるですべてを理解していると伝えるように、もう一度だけ、世界で最も美しい微笑みを向けてくれた。


 そして。

 その謝罪と感謝の言葉を合図にしたかのように、周囲を満たしていた図書室の空間に決定的な変化が訪れ始めた。

 それは現実の病室で味わっていたような、視界が乱高下し耳鳴りが爆発するような暴力的な崩壊ではなかった。

 ただ、世界を構成していたすべての色素が、最も静かで最も純粋な『白』へと漂白されていくような現象だった。


 座る古い木製の机の端から、長年の歳月を吸い込んだ深い茶褐色の木目が水に溶け出す絵の具のようにゆっくりと色を失い、純白の画用紙のような質感へと還元されていく。

 壁際に立ち並んでいた本棚も、収められていた無数の古い背表紙の色彩も、端の方から音もなく輪郭を曖昧にし、眩しいほどの白さへと侵食されていく。長年の歩みで磨り減った床の板張りも、分厚い雲に覆われていた窓枠の景色も、すべてが圧倒的な静けさを伴って純白の光の中へと溶け落ちていった。

 喪失というよりも、与えられた役割をすべて終えた舞台装置が、本来の無垢な画用紙の姿へと還っていくような、どこまでも自然で厳かな終焉の光景だった。

 空気中に漂っていた古い埃の匂いもチョークの粉の乾いた匂いも完全に消え去り、温度も匂いも持たない清冽で純粋な空気だけが空間を満たし始めている。


 机の上に広げられていた、命を削って完成させた手漉き紙のスケッチブック。

 ブルーブラックのインクで刻まれた真実の言葉と圧倒的な夜明けの色彩が完全に調和していた美しい最後のページすらも、空間の漂白に同調するようにゆっくりと色彩を手放し始めていた。

 桔梗色の深い夜空が白く抜け落ち、黄金色の光芒が薄れ、絶望の言葉のインクが紙の繊維の奥へと吸い込まれるようにして消えていく。

 完成させた世界でただ一つの絵本が白紙に戻ってしまうことに対して、何の悲しみも焦燥感も抱かなかった。この物語は、誰かに読まれるために創られたものではない。魂が完全に理解し合い、互いの罪と痛みを許し合うというただその一つの目的を果たすためだけに存在した祈りの結晶なのだ。

 目的を終えた祈りが純白の余白へと還っていくのは、あまりにも当然の最も美しい帰結であった。


 白紙化の波は、ついに机を挟んで目の前に座る姿にまで到達した。

 細く美しい指先から、制服の薄いブラウスの裾から、肉体を構成していたすべての色彩と輪郭が、眩しい純白の光の粒子となって優しく解け始めていく。

 彼女は、自らの身体が光に溶けていくことを全く恐れる様子もなく、ただ穏やかな微笑みを浮かべたまま真っ直ぐに見つめ続けている。

 雨の交差点で挽肉となって死んでいった肉体は、現実の世界にはもうどこにも存在しない。ここで姿を失えば、本当に永遠に繋がりを断たれることになる。

 しかし、魂は少しの抵抗も試みなかった。透明な腕を伸ばして繋ぎ止めようと足掻くことも、行かないでと泣き叫ぶこともしなかった。

 引き留めようとするのは、光に寄生しようとする醜い執着でしかないことをもう完全に理解していたからだ。彼女は罪悪感の泥沼から完全に解放され、ただ純粋な光そのものとなって本来帰るべき神聖な場所へと旅立っていくのだ。できることは、ただ心からの感謝と祈りを込めて、その美しい旅立ちを静かに見送ることだけだった。


 肩が、黒髪が、そして最後まで優しく見つめていた澄み切った瞳が、圧倒的な純白の光の中に完全に溶け落ち、その姿を永遠に消し去った。

 図書室の空間はすでに完全に白紙化し、上下左右の概念すら存在しない、果てしなく広がる真っ白な光の海だけが周囲を覆い尽くしている。


 残されたのは、透明な魂となった意識だけだった。

 普通の物語であれば、あるいは肉体がまだ生への執着を残していれば、ここで精神世界が崩壊し、あの現実の病室の冷たいベッドの上へと強制的に引き戻されていたはずだった。

 強力な鎮静剤に内臓を支配され、首の骨を折って身動き一つ取れないまま、心電図の警告音に耳を塞ぐこともできず涎と涙を垂れ流しながら永遠の罰を受け続ける、あの残酷な現実の牢獄へ。

 しかし。

 包み込むこの純白の光の海が晴れることはなく、病室の無機質な灰色の天井が視界に再び現れることは二度となかった。


 狂気の臨界点を遥かに超え、自らの命そのものを脳髄の炉にくべて再構築したこの精神の飛翔は、現実の肉体を繋ぎ止めていた最後の生命の糸をすでに完全に焼き切ってしまっていたのだ。

 病室のベッドの上で痙攣を繰り返していた肉体は、おそらく今この瞬間心臓の鼓動を完全に停止し、脳細胞は不可逆的な死の沈黙へと沈み込んでいるのだろう。

 あるいは、心臓だけは機械の力で動かされ続けながらも、自我というものを永遠に喪失した絶対的な昏睡状態へと陥ったのかもしれない。

 いずれにせよ、月城詩織という人間の意識が、あの激痛と絶望に満ちた現実の物理世界へと帰還する道は、完全に、そして永遠に断たれていた。


 透明な魂の輪郭が、足元から徐々に周囲の純白の光の海へと溶解し始めていく。

 それは苦痛を一切伴わない、恐ろしいほどに静かで穏やかな融解だった。

 抱えていた醜い嫉妬心も、他人を泥に引きずり込もうとした卑劣な自己愛も、光に溶けて完全に消え去っていく。

 惨殺したという取り返しのつかない大罪の記憶も、その罪の重さに魂をすり潰されそうになったあの言語を絶する激痛も、すべてがただの無色の粒子となって白紙の余白へと還元されていく。

 そして。極限の狂気の中で完成させたあの圧倒的に美しい夜明けの色彩と、真実の和解の記憶すらも。

 自我の境界線が完全に失われるとともに、誰の意識にも留まることのない純粋な光の欠片となって、この果てしない白の世界へと静かに散逸していった。


 罪も、罰も、激痛も、そして愛も。

 すべてが圧倒的な白紙の海へと飲み込まれ、人間であったという認識すらも完全に手放した。

 温度も匂いも音も存在しない。時間という概念すらも無意味となったその究極の余白の中で。

 意識は、永遠に続く完全なる静寂の底へと、ただ静かに、静かに、一滴の染みも残さずに溶け落ちていった。

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