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『夜の窓辺に君の描いた色彩を』  作者: 長月有希


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第11話『夜の窓辺に君の描いた色彩を』(3)

 融解した病室の天井の向こう側に広がり、網膜を暴力的なまでの鮮明さで覆い尽くしたもの。

 それは、精神の崩壊から自らを守るためだけに捏造し、幾度となく逃避を繰り返していた、あの甘美な黄金色の空間では断じてなかった。

 はちみつ色の温かな西日など、この世界のどこにも存在しない。空中に舞う埃を照らし出す光芒も、古い本の背表紙を包み込む琥珀色の陰影も、現実の残酷さを覆い隠すために脳内で上塗りしたただの安っぽい装飾に過ぎなかった。

 狂気の臨界点を突破した脳髄が、一切の美化と理想化を剥ぎ取り純粋な真実だけを抽出して再構築したその場所は。

 どこまでも薄暗く、空気が淀み、長年の歩みで磨り減った木材の腐臭と埃の匂いが静かに沈殿する、冷え切った旧校舎の図書室だった。

 窓の外には、凄惨な決裂を迎えた渡り廊下での雨を予感させるような、分厚くて重たい鉛色の曇天が空の全面を無慈悲に塞いでいる。隙間風が窓ガラスを微かに震わせるたび、光の届かない室内は外界から完全に隔離された巨大な棺桶のように冷たく静まり返る。息を吸い込むことすらためらわれるほどのひどく重たくて生々しい閉塞感だけが、その空間を圧倒的な現実感とともに満たしていた。


 私は、拘束帯に縛られた肉体という物理的な器を離れ、純粋な意識の集合体という名の幽霊となって、その冷え切った図書室の古い板張りの上に立っていた。

 足音は鳴らない。自らの呼吸の音すら聞こえない。

 しかし魂は、病室のベッドの上で味わっていた肉体的な激痛とは全く別の、鋭い氷柱を心臓に突き立てられているような恐ろしいほどの緊張感と恐怖に完全に支配されていた。

 なぜなら、この果てしなく暗く虚飾をすべて削ぎ落とされた空間の最も奥深く。窓際の、分厚い雲を通してわずかな灰色の光が落ちる古びた机の前に。


 彼女が、一人で座っていたからだ。


 透明な足取りで、吸い寄せられるようにその背中へと近づいていく。

 かつての幻影の世界における彼女は、常に背筋を真っ直ぐに伸ばし自信に満ちたオーラを放ち、私を温かく包み込んでくれるような完璧で圧倒的な偶像として存在していた。

 しかし、今目の前で木製の椅子に腰掛けている背中は、私が勝手に畏怖大神格化していた才能の怪物の姿などでは断じてなかった。

 その背中はひどく小さく、丸まり、どこか怯えるように身を縮めていた。

 美しいはずの黒髪は手入れを忘れたようにわずかに乱れ、細い首筋には青白い血管が痛々しく透けて見えている。華奢な肩は、目に見えない巨大な重圧に押し潰されまいと必死に耐えるように、小刻みに震え続けている。

 制服の薄いブラウス越しに浮き出る肩甲骨のラインは以前よりも明らかに痩せ細り、彼女の肉体が急速に生命力をすり減らしていることを残酷に証明していた。

 それは、傷つき、疲れ果て、孤独に震える等身大の十七歳の少女の姿だった。


 その後ろ姿を見た瞬間、魂がさらに細かく砕け散っていくのを感じた。

 彼女は、無敵の天才などではなかったのだ。

 私がブルーブラックのインクで書き殴る絶望と悪意に満ちた言葉。置いていかないでほしいという粘着質で醜い執着。それらの猛毒をぶつけられるたびに、彼女は平気な顔をして笑っていたわけではない。

 血の通った魂は、呪いの言葉によって確実に傷つき、呼吸を奪われ肉体を削られるほどのすさまじい苦痛と疲労を、一人で静かに抱え込んでいたのだ。

 私がそれに気づかなかったのではない。天才である彼女が凡人である私の言葉で傷つくはずがないと勝手に決めつけ、人間としての弱さや苦痛を完全に無視して不浄な汚水を飲ませ続けていただけだったのだ。


 彼女は、背後に立つ気配に気づく様子もなく、ただ机の上に広げた分厚い手漉き紙のスケッチブックに向かって一心不乱に右手を動かし続けていた。

 その手元から、異様な音が響いてくる。

 筆が紙の上を滑る軽やかな音でもなければ、絵の具が水分を吸い込む柔らかな音でもない。

 鋭利な金属の先端が手漉き紙の表面を無慈悲に抉り、断裂した繊維が悲痛な悲鳴を上げるような、耳を塞ぎたくなるほどに不気味で暴力的な摩擦音だった。

 息を呑みながら手元を覗き込む。

 白魚のように細く美しい指先は、皮膚の血の気が完全に失われて真っ白になるほどの恐ろしい力で、一本の古びた鉄筆を握りしめている。

 インクは一滴も出ない。顔料も黒鉛も一切存在しない。

 ただ先端が尖っただけの硬い金属の塊を真っ白なページに垂直に突き立て、命を削り出すような恐ろしい筆圧で、見えない線を刻み込み続けていたのだ。


 魂の奥底で声にならない絶叫がこだました。

 病室のサイドテーブルで月光に照らされていたあの沈黙の痕跡。最期の瞬間に密かに遺そうとした、本当の結末の光。

 私は今、狂気の精神世界の中で、彼女がまさにその無色の傷跡を紙に刻み込んでいる真実の時間軸のど真ん中に立ち会っているのだ。

 右手が動くたびに、純白の紙の表面に深い傷が刻まれていく。

 一本一本の軌跡には、すさまじい苦悩と絶望、そして私に対する計り知れないほどの巨大な祈りが込められていた。

 私が描く光を真っ黒なインクで塗り潰してしまうから。美しい世界を欠損と死の凄惨な風景で汚染してしまうから。だから私に見つからないように、呪いが絶対に届かない純粋な無色の領域に、物語の最後の希望を隠蔽しようとしていたのだ。

 どれほどの孤独の中で、この冷たい図書室に座りインクの出ないペンを握りしめていたのだろう。

 悪意から身を守りながら、それでも私との約束をたった一人で守り抜こうとする彼女の姿は、あまりにも気高く、あまりにも悲惨だった。


 透明な足取りがどれほど重い鉛のように感じられようとも、表情を見なければならないという絶対的な贖罪の義務感に突き動かされ、ゆっくりと机の横へと回り込んだ。

 そして、灰色の光に照らされた横顔を、ついに正面から直視した。

 魂は完全に音を失った。

 そこに在ったのは、私を汚物のように見下す冷徹な眼差しでも、怒りの表情でもなかった。

 彼女の瞳は、ひどく赤く腫れ上がっていたのだ。

 それは、たった今さっきまで誰にも見られない場所で声を殺して泣き叫んでいたことを示す、逃れようのない肉体的な真実の痕跡だった。

 目の下には深い疲労の隈が色濃く刻まれ、血の気を失って真っ青になった唇は見えない何かに耐えるように固く痛々しく結ばれている。

 長いまつ毛には、まだ拭いきれなかった微かな涙の滴が、埃っぽい図書室の冷たい空気を反射してガラスの破片のように儚く光っていた。


 泣いていたのだ。

 凄惨な決裂を迎える直前のこの放課後に。

 私の呪いのような執着と暗い言葉の暴力に耐えきれず限界を迎えた精神を持て余し、この誰もいない冷たい図書室でたった一人で涙を流していたのだ。

 天才だから底なしの才能があるから、私の言葉なんて払いのけることができるのだと勝手に憎み嫉妬していた彼女は。

 実際には悪意を真正面から受け止め、その重みに悲鳴を上げながら、それでもどうにかして関係を修復しようとギリギリのところで踏みとどまっていた、血の通った一人の人間だったのだ。


 私が彼女をここまで追い詰めた。

 微笑む余裕を完全に奪い去り、美しい瞳を涙で赤く腫れ上がらせ、豊かな感情を恐怖と疲労で塗り潰してしまった。

 彼女を怪物に仕立て上げていたのは才能ではない。自分以外の美しいものを認めようとしない醜悪な自己愛のレンズが、人間らしい弱さを視界から排除し、ただの憎むべき記号へと変換してしまっていただけだったのだ。


 震える右手がさらに深く紙の表面を抉る。

 紙の繊維がちぎれる乾いた音が、泣き声の代わりのように静寂を切り裂いていく。

 無色の溝に彼女は何を見出そうとしていたのか。

 呪いが届かない場所で懸命に紡ぎ出そうとしていた光。それは自分自身を救うためではない。私という卑劣な寄生虫をも包み込み救済しようとするための、果てしなく深い慈悲の光だった。

 私は赤く腫れた横顔と傷だらけの手元を見つめながら、自らの存在そのものをこの世界から完全に消去してしまいたいという、言語を絶するほどの強烈な悔恨と自己嫌悪の業火に焼かれていた。


 これが、直視することを恐れ狂気の幻影で覆い隠していた『本当の放課後』の姿だった。

 黄金色の夕日も温かな会話も美しい友情も、最初から存在しなかった。

 ただ呪いに侵食されたった一人で涙を流しながら見えない絵を描き続ける孤独な少女と、その苦しみから目を背けただ才能だけを搾取しようとしていたあまりにも残酷なすれ違いの風景だけがそこに重く沈殿していた。

 彼女は、最後に何を思ってその鉄筆を握りしめていたのだろう。

 この直後に待ち受けている、あの渡り廊下での決裂と冷たい雨の降る交差点での理不尽な死を思う時。

 魂は、贖罪という言葉すらおこがましいほどの圧倒的な絶望に叩き潰され、透明な身体の奥底から形を持たない血の涙を止めどなく流し続けることしかできなかった。


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