第10話『白紙の宣告』(1)
冷たいリノリウムの床に転げ落ちた肉体は、ほどなくして、乱暴な複数の手によって引き上げられた。
異常を知らせるけたたましい警告音を聞きつけて現れた看護師たちは、血を流して倒れている人間を救護するというよりも、棚から落ちた重たい肉の塊を元の定位置に戻すような、一切の感情を排した冷徹な手つきで私を扱った。
首から下の神経を絶たれ、自らを支えることすらできない身体は、何人かの腕に抱えられ、再び硬く糊付けされた灰色のシーツの上へと叩き落とされた。引き抜けかけていた点滴の針は容赦なく静脈へと深く突き直され、外れかけた心電図の電極パッドは、粘り気のある冷たい感触とともに再び胸の皮膚へと張り付けられる。
「暴れないでください。拘束を強めますよ」
白いサージカルマスクの奥から、事務的で抑揚のない声が降ってくる。
暴れることなどできない。魂の断末魔が引き起こした異常な痙攣の果てに、肉体が限界を超えて弾け飛んだだけなのだ。しかし、言い訳をするための声帯の震えすら、もう残されてはいなかった。
看護師たちは、両腕と胴体を太くて分厚い医療用の拘束帯でベッドの鉄の枠へと強固に縛り付けた。
ギチリ、ギチリと、布と金具が軋む嫌な音が響く。
それは、もはや狂うことも、自らの意思でベッドから落ちて死ぬことも許されない、永遠の牢獄に完全に縫い付けられた瞬間だった。
看護師たちが静かに退室し、分厚い扉が重たい音を立てて閉ざされる。
病室には再び、ピッ、ピッという感情の欠片もない心電図の機械音だけが等間隔に響き渡るようになった。
頭蓋骨の内部は、恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
かつて私を慰め、醜い罪から目を背けさせてくれていた、あのはちみつ色の光が優しく差し込む放課後の図書室。インクの匂いと、手漉きの紙がこすれる温かな音。そして、慈愛の微笑みを向けてくれていた才能あふれる美しい親友の幻影。
それらはもう、狂った脳髄のどこを探しても、一片の破片すら見つけ出すことはできなかった。
自分を守るために築き上げた都合のいい防波堤は、交差点での凄惨な血の記憶と、茶褐色に変色した栞という絶対的な真実の前に、完膚なきまでに崩壊したのだ。
同時に、私を苛み、悲劇のヒロインへと仕立て上げていた『絶望の森』の光景も完全に消え失せていた。漆黒の枯れ木も、鉄錆の匂いがする赤黒い血の泥濘も、両腕を根こそぎ奪われて泥を這いずり回る架空の少女『ステラ』の姿も。すべては私が捏造した安っぽい舞台装置であったと暴かれ、無へと還っていった。
逃げ道は、すべて塞がれた。
狂気という名の美しい箱庭にも、悲劇という名の甘い泥沼にも、もはや一秒たりとも逃げ込むことはできない。
脳髄は、極限の激痛と絶望の果てに、自らを守るための幻覚を創り出す機能すらも完全に死に絶えてしまった。限界を超えて焼き切れた回路は、二度と火花を散らすことはない。
眼球を力任せに圧迫してくるのは、どこまでも単調で、逃れようのない「灰色の病室」という、圧倒的で強固な現実の風景だけだった。
無数のシミが星座のようにこびりついた天井。冷たく無機質な白い蛍光灯。剥き出しの鉄のパイプ。
それらが、これこそがお前の生きるべき真実の世界なのだと、剥き出しの眼球に容赦なく突き刺さってくる。
狂い死ぬことができれば、どれほど楽だっただろう。
自分が何者であるかさえ忘れ、ただ涎を垂らして意味不明な言葉を呟き続けるだけの廃人になれたなら、親友を惨殺したというこの絶対的な罪の重さから、少しは解放されていたかもしれない。
しかし、現実はその甘えすら許さない。意識の核だけは、この動かない肉体の奥底で、針で刺すような鋭い鮮明さを持ったまま、ただひたすらに、正気でこの病室の天井を直視し続けることだけを強制されているのだ。
感情が死に絶えた内側では、あらゆる感覚がかつて持っていた意味を完全に喪失していた。
鼻腔の奥深くまで侵入してくる、むせ返るような消毒用アルコールの悪臭。かつてはそれに怯え、現実の冷たさに息を詰まらせていたが、今の私には、それはただの『化学的な気体の粒子が粘膜に触れている』という無意味な現象でしかなかった。
鼓膜を絶え間なく打ち据える心電図の機械音や、廊下を歩く看護師たちの硬い靴音。それらもまた、『空気が振動している』というだけの事実であり、魂に何の波紋も起こすことはない。
視界を覆う天井のシミの形も、ただ光が網膜に像を結んでいるだけで、そこから何かの意味を読み取ろうとする意志すら、とうの昔に枯れ果てていた。
視覚、聴覚、嗅覚。
外界から絶え間なく押し寄せてくるすべての感覚が、感情という名のフィルターを失い、ただ肉体を素通りしていく。
悲しいという感情がない。恐ろしいという感情もない。
自分が親友の命を奪った殺人鬼であるという事実すらも、もはや私を苛むことはなかった。罪悪感という器すらもが、自らの重みに耐えかねて完全にすり潰され、塵となって消滅してしまったからだ。
絶対的な凪。
海の水そのものが完全に干上がり、風さえも死に絶え、生命の痕跡が一つ残らず砂に埋もれてしまった果てしない荒野のような圧倒的な虚無が、魂の跡地には広がっていた。
そして、その底なしの虚無の中で、時間の概念すらもが不気味に変質し、どろどろに腐敗し始めていた。
病室の窓の外には薄いカーテンが引かれているが、それでも一日の光の変化だけは、冷酷なまでに正確にこの部屋を訪れた。
朝が来れば、白くて薄ら寒い、生命を急き立てるような光が灰色の天井をうっすらと染め上げる。昼を過ぎれば、それが次第に熱を失い、影の輪郭を濃くしていく。
夕暮れ時になれば、あの図書室のオレンジ色とは全く異なる、血が固まったような淀んだ暗い赤色の光が、病室の隅に不吉な影を落とす。
そして夜が来れば、完全な暗闇を拒絶するように、天井の冷たい蛍光灯が、人工的で無機質な白い光を顔面に直接浴びせ続ける。
朝の白い光、夕暮れの淀んだ光、夜の人工的な蛍光灯。
それらがただ、規則正しく、単調に交替を繰り返していく。
かつて、図書室の幻影に逃げ込んでいた頃は、時間というものは一つの物語を紡ぎ出すための流れであり、前へ前へと進んでいくものだと思い込んでいた。
しかし、今の私にとって時間は『進む』ものではない。
それはただ、どこにも行く宛てのない重たい泥水のように、肉体という閉鎖された器の底にどろどろと沈殿していくものだった。
一日が終わっても、何かが変わるわけではない。明日が来ても、動けるようになるわけでも救済が訪れるわけでもない。ただ、朝が来て夜が来る無意味な反復が、無限の地獄のように繰り返されるだけだ。
積み重なった時間は、やがて腐臭を放ち始める。
生きているという事実そのものが、淀んで腐敗した時間の中に漬け込まれ、ただ腐り落ちていくのを待つだけの無価値な汚物の塊のように感じられた。
心電図の機械音が一度鳴るたびに、命が削られていくのではない。ただ、腐敗した泥の底に、新たな泥が上塗りされていくだけだ。
なぜ、生きているのだろう。
なぜ、この心臓は止まってくれないのだろう。
拘束帯でベッドに縛り付けられた私は、瞬きをすることすら忘れ、完全に乾ききった眼球で、ただ単調に色を変えていく灰色の天井を眺め続けていた。
そこには絶望すらない。
ただ、永遠に続く『無』という残酷な拷問が、魂の抜け殻を、音もなく少しずつ風化させていくだけだった。私は、時間の沈殿と腐敗の匂いの中で、かつて人間であったことすらも忘れかけながら、ただ呼吸をするだけの無機物へと成り果てていこうとしていた。




