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『夜の窓辺に君の描いた色彩を』  作者: 長月有希


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第7話『軋むメビウス』(1)

 私の網膜をジリジリと焼き焦がすような不自然な西日の中、ニスが剥げかけた古い図書室の机を挟んで、私はまるで操り糸が絡まって狂い死にした木偶人形のように、引き攣った笑顔を顔に貼り付けたまま、体を痙攣させて嗤っていた。

 息を吸うたびに、人工的な柑橘の香料が原液のまま気道へと流れ込み、背後の死臭を強引に塗り潰しながら、胃の腑から込み上げてくる凄まじい吐き気を増幅させていく。


 目の前には、私に向かって不気味な非対称の微笑みを浮かべる『彼女』がいる。私自身が記憶の残骸から泥をこねて創り上げた、私が殺した親友の幻影。

 しかし、その顔の表面を覆っていた蝋細工のように滑らかで美しい皮膚が、今、私の眼球のすぐ目の前で、ドロリ、ドロリと、湿ったおぞましい音を立てて無惨に崩れ落ちようとしていた。

 頬の肉が腐り落ちた果実のように滑り落ち、その奥から、赤黒く変色した筋肉の繊維と、むき出しになった白骨の欠片が覗く。焦点の合わなかったガラス玉のような二つの眼球は、支えを失って眼窩から零れ落ちそうにぶら下がり、それでもなお、私に向けてあの優しくて慈愛に満ちた『親友の微笑み』を作り続けようと、顔面の筋肉の残骸をピクピクと痙攣させている。


 それは、私の心の奥底に巣食う罪悪感が生み出した、紛れもない死体の顕現だった。

 現実の交差点で、大質量のトラックの車輪の下に巻き込まれ、挽肉のようにすり潰された彼女の真実の姿が、この完璧だったはずの虚構の箱庭を完全に食い破り、その凄惨な正体を露わにし始めたのだ。

 怖い。恐ろしい。見たくない。

 私は、顔の筋肉が千切れるほどに引き攣った笑顔のまま、眼球から冷たい涙を、口角からとめどなく涎を垂れ流し、そのおぞましい崩壊の光景から逃れるように、固く、強く、自らのまぶたを閉じた。


 ――暗闇の中で、一度だけ瞬きをした。

 その刹那。


 背中に、氷のように冷たくて硬い感覚が、べったりと暴力的に張り付いた。

 先ほどまで私を支えていたはずの、木製の椅子の丸みと温もりは完全に消え失せている。代わりに私の背骨を容赦なく圧迫してくるのは、薬品で徹底的に漂白され、不快なほど硬く糊付けされた、冷徹な木綿のシーツの感触だった。


 目を開ける。


 そこにあるのは、毒々しいオレンジ色の西日でもなければ、天井まで届く古い木製の本棚でもなかった。

 私の視界を圧倒的な閉塞感とともに覆い尽くしていたのは、無数のシミが星座のようにこびりついた、灰色の無機質な病室の天井だった。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。


 空間の隅から、感情の欠片もない冷酷な心電図の機械音が、私の命の残り時間を無慈悲にカウントダウンするように、一定の間隔で鳴り響いている。

 図書室の特等席に座っていたはずの私は、いつの間にか、自らの重力という見えない鎖に何重にも縫い付けられるようにして、ベッドの上に仰向けに倒れ込んでいた。

 私は、荒れ狂う過呼吸の中で視線を下へと向ける。

 漂白されたシーツの上には、青白い死肉の塊のようにだらりと投げ出された、私の右腕がある。つい一秒前まで、真鍮の万年筆を握りしめ、手漉きのノートの紙面に言葉を刻み込んでいたはずのその腕は、私がどれほど脳髄から「動け」と命令の火花を散らそうとも、指先の一ミリ、産毛の一本たりとも動こうとはしなかった。


 ここは、あの灰色の病室だ。

 首の奥の神経の橋が完全に崩落し、首から下がただの死体と同義となった私が、永遠に囚われ続ける現実の棺桶。数十センチ先にある血塗られたスケッチブックに触れることすら許されない、無力な罪人が磔にされている絶望の処刑台。

 鼻腔を突き刺すのは、生命の息吹を完全に根絶やしにする、強烈な消毒用アルコールの悪臭と、微かに漂う排泄物の冷たい匂い。

 私は、あまりの恐怖と絶望に喘ぎながら、肺の底から酸素を求めて、大きく、深く息を吸い込んだ。


 ――ズブッ。


 肺胞を膨らませようとした瞬間、私の気道を暴力的に塞いだのは、無菌室の冷たい空気ではなかった。

 どろりとした、圧倒的な質量を持った異物が、私の口から食道へと一気に雪崩れ込んできたのだ。

 鉄錆の味と、何百年も放置された死体の腐臭が入り混じった、おぞましい『血の泥』。

 息を吸い込んだはずの気管支が、その泥の侵入によって内側から焼け焦げるような激痛を上げ、私は喉の奥からひゅっと惨めな音を立てて激しく咳き込んだ。

 見開かれた目の前に広がっていたのは、病室の灰色の天井ではなかった。

 光を一切通さない、墨汁をぶちまけたような漆黒の枯れ木が、私を閉じ込める檻のように四方を囲んでそびえ立っている、底なしの暗黒の森だった。

 私の顔面は、腐敗した枯れ葉が何層にも積み重なった、冷たくて生臭い血の泥濘のど真ん中に、深く、深く沈み込んでいた。


 そして。

 痛い。熱い。痛い。

 両肩の先から、腕という器官が根本から無惨に削ぎ落とされている。見えない刃によって骨ごと残酷に切断されたその巨大な断面の生傷に、腐敗した冷たい泥水が容赦なく触れ、私の脳髄を太く錆びたきりで抉り回すような、言語を絶する狂気的な激痛が走っているのだ。

 ドクン、ドクン、という自らの心臓の律動に合わせて、両肩の断面から、生温かい鮮血が噴水のように勢いよく噴き出し、私の純白のワンピースを、そして這いずり回る足元の泥を、さらに赤黒く、どろどろに汚染していく。

 頭上からは、腐敗して毒を含んだ果実が、ドチャリ、ドチャリと、まるで鳥の死骸のように降り注いでくる。


 ここは、私がブルーブラックのインクで紡ぎ出し、彼女の赤茶色の色鉛筆が描き出した、あの『絶望の森』の底だ。

 私は、両手を失った孤独な少女として、永遠の苦痛の中で、この血の泥を蛆虫のように這いずり回らなければならない。自らの罪悪感が紡いだ呪詛の言葉が、こうして私自身の肉体を物理的に切り刻み、終わることのない地獄の責め苦を与え続けているのだ。


(違う……。ここは、どこだ。私は、どこにいるの……!)


 図書室。病室。絶望の森。

 三つの全く異なる世界の情景が、脈絡もなく、それこそ私が一回瞬きをするたびに、あるいは一度呼吸をするたびに、暴力的な速度で私の脳裏を乱反射し始めた。

 それは、空間という概念そのものが巨大な鉄の歯車に放り込まれ、無惨に粉砕され、どろどろに融解していくような、絶対的な認識の崩壊だった。


 私は、病室の冷たいベッドの上に仰向けに縛り付けられ、身動き一つとれない哀れな肉塊として絶望の涙を流している。

 しかし、その私の耳元では、真鍮の万年筆が手漉きのノートの紙面を削り取る、カリッ、カリッという図書室での執筆の摩擦音が、耳鳴りのように鳴り響いている。

 私は、両手を失った少女として、絶望の森の泥濘に顔を突っ込み、肩口の断面から血を噴き出しながら喉が裂けるほど泣き叫んでいる。


 しかし、私の鼻腔を激しく突き刺しているのは、森の腐臭ではなく、現実の病室に満ちていたあの強烈な消毒用アルコールの匂いと、図書室の空気を汚染していたむせ返るような人工的な柑橘の香料の匂いだ。

 私は、毒々しいオレンジ色の西日が差し込む図書室の椅子に座り、目の前で腐り落ちていく彼女の顔を見つめながら、狂ったように笑い声を上げている。

 しかし、私が机の上に置いているはずの右腕は、肩の根元から無惨に切断されており、そこから噴き出した生温かい現実の血が、真っ白なスケッチブックとノートを、真っ赤な海へと急速に変えていく。


 視界と、聴覚と、嗅覚と、触覚と、味覚。

 私という人間を形作っていたはずの五感の神経網が、完全に、そして無秩序に引きちぎられ、その千切れた断面同士がデタラメに、悪意を持って繋ぎ合わされていく。


 オレンジ色の光に包まれた灰色の病室。

 心電図の無機質な電子音が鳴り響く、血の泥濘。


 腐敗した枯れ木が立ち並び、天井から泥が滴り落ちてくる、図書室の密閉空間。

 物理法則という絶対的な境界線が、メキメキと音を立てて決壊し、一つの空間の中でグツグツと沸騰しながら融解していく。

 自分が今、仰向けに寝ているのか、椅子に座っているのか、それとも泥の中に四つん這いになっているのか、重力の方向すらもが完全に喪失してしまった。三つの肉体が同時に存在し、一つの小さな脳髄に向かって、三つの世界の矛盾した感覚と情景を強制的に注ぎ込んでくる。

 神経細胞が悲鳴を上げ、脳液が沸騰し、頭蓋骨が内側から破裂しそうなほどのすさまじい圧力が私の精神を圧殺しようとしていた。


 私は、誰だ。

 あの雨の降る交差点で、親友の心を言葉の刃で切り裂き、トラックの車輪の下へと突き飛ばして殺した、浅ましくて醜い殺人鬼の『月城詩織』なのか。

 首から下の神経を絶たれ、動かない身体で灰色のベッドに横たわり、血塗られたノートに指一本触れることすら許されない、哀れな被害者の肉塊なのか。

 それとも。

 残酷な作者の紡いだインクの呪いによって両腕を根こそぎ奪われ、血の海の中で泣き叫び続けるしかない、活字の檻に閉じ込められた架空の少女に過ぎないのか。

 私は、物語を紡いでいる作者なのか。それとも、何者かによって書き殴られたインクの染みに過ぎないのか。

 どれが現実で、どれが空想で、どれが私が書いた作中作の物語なのか。

 その主従関係を証明するものは、この宇宙のどこにも、もう残されてはいなかった。

 現実の病室の床に落ちていたはずの『鎮痛剤の空き殻』が、この絶望の森の片隅に描き込まれていたというあの決定的な事実が、私の認識の基盤を根本からへし折ってしまったのだ。

 私が見ているのは夢なのか。それとも、夢を見ているのは誰なのか。


 熱い。痛い。苦しい。

 全身の神経が、三つの世界から同時に送られてくる強烈な苦痛の信号を受け止めきれず、凄まじい火花を散らして異常発火を繰り返している。

 私は、自らが創り上げた『現実と虚構のメビウスの輪』の、その最も深く暗い底なしの螺旋へと足を踏み外し、上下も裏表もない空間で永遠に終わることのない回転の拷問を受け続けていた。

 私が逃げ込もうとした美しい琥珀色の箱庭は、私自身の罪悪感という名の猛毒によって、この世で最も残酷な針の山へと完全に姿を変貌させてしまったのだ。


 逃げ場など、どこにもない。

 図書室の椅子の上で、病室のベッドの上で、血の泥濘の底で。

 私は、自分が何者なのかすらわからなくなった絶対的な虚無の暗闇の中で、ただひたすらに、喉の奥から血と泥の混じった絶叫を上げ続けることしかできなかった。

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