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『夜の窓辺に君の描いた色彩を』  作者: 長月有希


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第5話『届かない指先』(1)

 果てしなく長く、そして恐ろしい狂乱の夜が、白々と明けていく。

 固く閉ざされた窓のブラインドの隙間から、音もなく滑り込んでくる朝の光は、決して新しい一日を告げる希望の象徴などではなかった。それは、ただ無慈悲に、私が犯した大罪の輪郭を灰色の病室の床の上に克明に浮かび上がらせ、私が永遠に逃れられない現実の牢獄に囚われていることを証明するための、残酷で冷徹な照明器具でしかなかった。

 昨夜、私の指先が触れ、この精神を根底から粉々に打ち砕いたあの『面会謝絶』の赤い文字の幻影は、朝の光の中ではすっかりと姿を消していた。しかし、その文字が私の魂の最も柔らかい場所に深く刻み込んだ致命的な傷跡は、じゅくじゅくと醜い血を流し続けている。

 私が、彼女を殺したのだ。

 あの日、あの交差点で。私の醜い嫉妬と、ひどく身勝手で冷酷な言葉の刃が、彼女の純粋な心を切り裂き、絶望という名の深い穴へと突き落とした。その結果、彼女は自らあの巨大な鉄の塊の前へと歩みを進め、柔らかい肉体を無惨な血の海へと沈めてしまったのだ。

 私が自らの知覚を縫い合わせ、五感を騙してまで築き上げたあの琥珀色の図書室は、彼女と私の永遠の聖域などではなかった。私が自分自身の恐ろしい罪悪感から目を背け、都合のいい「優しい彼女」の幻影に許しを乞うためだけに用意した、哀れで卑怯な自己欺瞞の舞台に過ぎなかったのだ。

 その決定的な真実を悟ってしまった今、私の心は、冷たい泥の底に沈んだ石ころのように、微かな温もりすらも失っていた。


 部屋の隅では、私の命の残量を監視し続ける無機質な機械が、絶え間なく、そして無感情に私の心拍の律動を刻み続けている。

 ピッ、ピッ、ピッ……。

 昨夜、私が狂気的な想像力をもって生み出した「沈黙の波」で殺そうとしたあの音は、何事もなかったかのように、今日も私の耳元で鳴り響いている。

 私は、漂白された硬いシーツの上に仰向けのまま無惨に投げ出された自らの肉体を、ただ静かに憎悪した。首から下の神経を完全に絶たれ、指先一つ、皮膚の一ミリすらも動かすことのできないこの死体のような身体は、私に与えられた当然の罰なのだ。最も大切な親友の命を奪いながら、自分だけがおめおめと生き残り、呼吸を繰り返している。その圧倒的な理不尽さを、この動かない肉体が、私自身に一秒の休みもなく叩き込み続けている。

 これから一生、私はこの天井の染みを見つめながら、自らの罪の重さに押し潰されて生きていくのだ。誰にも裁かれることなく、誰にも真実を知られることなく、ただ自分自身の内側で燃え盛る罪悪感の炎に身を焼かれ続ける。

 そんな絶望の泥沼の中で、私はただ、乾ききった瞳の奥底で声にならない嗚咽を漏らしていた。


 ——ガチャリ。


 不意に、病室の分厚い鉄の扉の向こう側で、冷たい金属の取っ手が回る重々しい音が響いた。

 私はビクッとして、動かない首の代わりに、眼球だけを扉の方へと向けた。

 重たい扉がゆっくりと開き、廊下の蛍光灯の眩しい光とともに、一人の人物が病室の中へと足を踏み入れてくる。

 母親だった。

 彼女が部屋に入ってきた瞬間、徹底的に温度管理され、生命の気配を殺すための薬品で満たされていた病室の空気が、まるで突風が吹き込んだかのように暴力的にかき乱された。

 母親の衣服からは、早朝の冷たい外の空気の匂い、すれ違った人々の微かな生活の匂い、そして彼女自身がまとっている化粧品の甘い香りが、混然一体となって漂ってきた。それらの「外の世界」の匂いは、死を待つだけのようなこの無機質な白い部屋にとって、あまりにも異質で、痛々しいほどに鮮烈な生命の主張だった。

 しかし、何よりも私の鼻腔を強烈に突き刺したのは、母親の腕の中に大事そうに抱えられていた、大きな生花の花束が放つ、咽せ返るような甘い匂いだった。

 真っ白な百合と、無数の小さなカスミソウ。

 その花々は、これから命を終えようとしている人間の棺桶を飾るために用意されたかのように、あまりにも美しく、そして残酷なほどに無垢な白さを誇っていた。百合の放つむせ返るような濃厚な甘さは、病室の消毒液の鋭い悪臭を力任せに覆い隠そうとし、かえってその下に潜む死の気配や、私の心の奥底で腐臭を放つ罪の泥水を、いっそう色濃く浮かび上がらせてしまうのだ。


「……おはよう、詩織。今日も、いいお天気ね」


 母親は、両手で花束を抱えながら、できるだけ明るく、優しい声を作って私に語りかけた。

 しかし、その声の裏側には、隠しきれない深い疲労と悲哀がべったりと張り付いていた。彼女の顔には、十分な睡眠をとれていないことを物語る濃い隈がくっきりと刻まれ、頬の肉は削げ落ちて、かつての若々しさは見る影もなくなっている。彼女もまた、突然の凄惨な事故によって娘が一生寝たきりの身体になってしまったという、受け入れ難い現実の重圧に、日々心をすり減らされているのだ。

 私は、動かない肉体の奥底で、必死に自らの感情に分厚い仮面を被せた。

 私が親友を殺したのだという真実を、彼女に悟られるわけにはいかない。私は、ただの「理不尽な事故に巻き込まれた、可哀想で無力な娘」であり続けなければならない。それが、罪深い私がこの世界でかろうじて生き延びるための、唯一の惨めな防衛手段だった。

 私は、まばたきを二回繰り返し、母親に向かって「おはよう」という無言の返事を返した。声帯の神経は辛うじて残されているはずだが、喉の奥には重たい石が詰まったようで、言葉を外に出すことはできなかった。


 母親は、病室の隅にある洗面台へ向かい、古い花瓶の水を入れ替え、持ってきた真っ白な百合の花を手際よく生け直した。

 ハサミが植物の青い茎を断ち切る、ジョキリ、という鋭い音が部屋に響くたびに、私はあの日、トラックのタイヤがアスファルトを削り取る甲高い摩擦音を思い出し、全身の血が逆流するような恐怖に襲われた。

 花瓶に生けられた百合の花弁は、あまりにも純白で、一点の淀みもない。その無垢な白さを見つめていると、昨夜、私の指先を狂わせたあの冷たいプラスチックの『面会謝絶』のプレートの白さが重なり合い、私の精神を激しく揺さぶってくる。

 やがて、花の世話を終えた母親は、静かな足取りで私のベッドの脇へと近づき、パイプ椅子にゆっくりと腰を下ろした。


「よく眠れた? どこか、痛いところはない?」


 母親は、心配そうな鳶色の瞳で私を覗き込みながら、そっと自らの温かい手を伸ばし、シーツの上にだらりと投げ出されたままの私の右手を、両手で包み込むようにして優しく握りしめた。

 彼女の手のひらの体温が、皮膚の表面を伝わって、わずかに生き残った神経を通して私の脳へと伝わってくる。それは、人間としての血の通った、絶対的な愛情の温もりだった。

 しかし、その温もりが私に与えたのは、安らぎではなく、内臓を素手で掻き回されるような、おぞましいほどの激痛だった。


 私は、彼女にこの手を握られる資格などないのだ。

 この手は、親友を絶望へと突き落とした、汚らわしい人殺しの手だ。あの日、あの交差点で彼女を救うために伸ばすことさえできなかった、無力で罪深い手なのだ。その穢れた肉体を、母親の純粋な愛情で包み込まれることは、私の心に深く突き刺さった罪悪感の棘を、さらに奥深く、神経の最も鋭敏な部分にまで押し込んでくる拷問でしかなかった。


「……詩織」


 母親は、私の動かない手を握りしめたまま、ポツリと、絞り出すような声で私の名前を呼んだ。

 そして、その声はたちまち震えを帯び、彼女の瞳からは大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち始めた。


「ごめんなさいね……。代わってあげられなくて、本当にごめんなさい。……あんな恐ろしい事故に巻き込まれるなんて。どうして、詩織がこんな目に遭わなければならないの」


 母親の涙の滴が、私の右手の甲にぽたりと落ちる。

 生温かくて、塩辛い、命の滴。

 彼女は、嗚咽を漏らしながら、空いている方の手で私の青ざめた頬を、愛おしそうに、何度も何度も優しく撫で始めた。


「詩織は、何も悪くないのよ……。あなたは何も悪くない。ただ、運が悪かっただけなの。だから、自分を責めたりしないでね。お母さんが、ずっとあなたの傍にいるからね……。私の、可哀想な詩織……」


 ——やめて。


 私の魂が、動かない肉体の奥底で、血を吐くような絶叫を上げた。

 違う。違うのよ、お母さん。

 私は何も悪くない人間なんかじゃない。運が悪かっただけの、悲劇の被害者なんかじゃない。

 私が、彼女を殺したのよ。

 私が彼女の才能に嫉妬して、私が彼女の美しい心を自分の言葉でズタズタに切り裂いて、私が彼女をあの死地へと追いやったのよ。

 私という醜くて浅ましい人間が、この世界で最も美しい命を奪い去ったの。

 だから、お願い。私にそんな優しい言葉をかけないで。私の頬を、そんな愛おしそうな手で撫でないで。

 私を哀れまないで。私を愛さないで。

 私の首を絞めて。私を人殺しだと罵って。私が犯した罪の重さの分だけ、私をこのベッドの上で徹底的に痛めつけて、引き裂いて殺してよ……!


 しかし、私のその凄惨な心の絶叫は、言葉の形を持つことなく、ただ喉の奥深くで虚しく反響するだけだった。

 声帯はピクリとも動かず、唇は震えることすら忘れたように固く閉ざされている。私にできるのは、ただ眼球を動かし、まばたきをすることだけだ。

 言葉を失った私の瞳から、止めどなく熱い涙が溢れ出した。

 それは、母親の愛情に対する感謝の涙でも、自分の不運を嘆く悲しみの涙でもない。自らの醜い罪と、それを決して誰にも打ち明けることができないという絶対的な孤独、そして、目の前の母親の無条件の愛情によってえぐり出される、耐え難い自己嫌悪の泥水が、眼窩の隙間から溢れ出しているだけだった。


 涙は、こめかみを伝って耳の裏側へと流れ落ち、シーツに冷たい染みを作っていく。

 しかし、私のその涙を見た母親は、全く別の、あまりにも残酷な勘違いをしてしまった。

 彼女は、私の目から溢れ出すその涙を、「言葉を発することもできず、身体も動かせない娘の、深く純粋な悲しみの涙」なのだと受け取ったのだ。

 無惨な事故の犠牲となり、青春のすべてを奪われ、それでも必死に運命に耐えようとしている可哀想な娘が、母親の愛情に触れて流した、美しくて痛々しい涙なのだと。


「泣かないで、詩織……。大丈夫よ、大丈夫だからね……」


 母親は、さらに激しく嗚咽を漏らしながら、私の頬を両手で包み込み、自分の額を私の額へとすり寄せるようにして、深く、優しく抱きしめた。

 彼女の化粧品の甘い匂いと、涙の塩辛い匂いが私の顔全体を覆い尽くす。

 母親の温かい息遣いが、私の冷え切った肌に触れる。彼女の心臓の鼓動が、シーツ越しに私の胸へと伝わってくる。

 それは、娘を心の底から愛する母親の、完全で、無垢で、一点の濁りもない「白々しい愛情」の塊だった。

 そして、その白々しい愛情こそが、今の私にとって、世界中のどんな物理的な暴力よりも恐ろしく、私の精神をズタズタに切り裂く、最も鋭利で残酷な凶器だった。


(許さないで。……私を、絶対に許さないで)


 私は、母親の温かい腕の中に抱きしめられたまま、ただひたすらに心の中でその呪詛の言葉を繰り返し続けていた。

 彼女が私を愛せば愛するほど、私が彼女の愛情を裏切っているという罪悪感が、幾重にも重なって私の魂を押し潰していく。

 彼女が「あなたは悪くない」と慰めてくれるたびに、私の犯した大罪の輪郭が、いっそう黒く、深く、私の心の底に刻み込まれていく。

 この病室に持ち込まれた生花の百合の匂いが、死の腐臭を誤魔化すことができないように。母親の無条件の愛情もまた、私の内側で腐敗し続ける罪悪感の泥水を、決して浄化することはできないのだ。

 むしろ、その純白の愛情は、泥水の黒さを際立たせるための恐ろしい背景として機能している。


 動かない肉体。声にならない声。

 私は、自らの罪を告白することすら許されず、ただ「可哀想な被害者」という分厚い仮面を顔に縫い付けられたまま、永遠にこの白々しい愛情という名の地獄の拷問を受け続けなければならないのだ。

 母親の手が私の髪を撫でるたびに、私の神経は千切れ、心臓は潰れそうになる。

 窓からの朝の光は、私を抱きしめる母親の背中を明るく照らし出しているが、私の視界は、どろどろとした罪の泥にまみれ、すでに一寸先の光さえ見えない深い絶望の闇へと沈み込んでいた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピッ……。


 病室の隅で、冷酷な機械の警告音が、私のその無間地獄のような苦痛を嘲笑うかのように、一定のリズムで鳴り響き続けている。

 私は、母親の温かい涙が自分の顔を濡らしていくのを感じながら、ただ狂乱の夜明けが生み出したこの残酷な朝の空気の中で、声もなく魂を血だらけにして泣き叫び続けることしかできなかった。

 この白々しい愛情の檻から、私が逃げ出せる日など、永遠に訪れることはないのだと。その恐ろしい現実の重みが、シーツの上に横たわる私の肉体を、さらに深く、深く、冷たいマットレスの底へと引きずり込んでいったのだった。

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