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『夜の窓辺に君の描いた色彩を』  作者: 長月有希


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第4話『知覚の縫合』(4)

 私が甘く、祈りを捧げるように囁きかけると、隣の席に座る彼女は、固く閉じた蕾が春の陽射しを浴びて一気にほころぶように、この世のものとは思えないほど柔らかく美しい微笑みを浮かべ、小さくこくりと頷いた。

 窓から斜め四十五度の完璧な角度で差し込んでくる、あのはちみつを溶かしたような黄金色の西日が、彼女の抜けるように白い頬を温かく、そして優しく照らし出している。その豊潤な光は、彼女の耳にかけられた細く柔らかい髪の毛の一本一本を透かし、まるで天上から舞い降りた使いであるかのような、神々しいほどの光の輪を彼女の輪郭の周りに作り出していた。

 彼女の長いまつ毛に縁取られた、深く澄み切った鳶色の瞳。その瞳の奥には、これから私たちが二人きりで紡ぎ出す新しい物語への純粋な期待と、私という存在に対する微塵の疑いもない絶対的な信頼の光が、静かな湖面のように美しく揺らめいていた。


 ああ、本当に美しい。これほどまでに完璧で、純粋な景色が他にあるだろうか。

 私は、自らの命を削り、脳の神経を一本一本焼き切るほどの凄絶な苦痛と引き換えにして創り上げたこの琥珀色の箱庭の完璧さに、胸の奥から湧き上がるような深い溜息をついた。

 私を仰向けのまま縛り付けていた病室の冷たい壁も、静脈に突き刺さっていた氷のような管も、そして何より、私の命の残量をただの数字として暴き立てていたあの冷酷な機械の音も。すべては、私の狂気的な意志の力と言葉の魔法によって、この世界から跡形もなく完全に駆逐されたのだ。私は、現実という残酷な神が定めた物理の理を自らの手でねじ伏せ、この絶対的な聖域を編み直した。

 ここは、私と彼女のためだけに用意された、誰にも邪魔されることのない永遠の放課後。

 もう誰にも、この甘美な時間を奪わせはしない。私が、あの日あの交差点で彼女を殺したのだという、あの醜くて吐き気を催すような罪悪感の泥水も、分厚い記憶の蓋の下、絶対に開かない地下室の底へと完全に封じ込めた。今の私には、すぐ傍で呼吸をする彼女の温かい体温と、机の真ん中に置かれた手作りのセルリアンブルーの栞、そしてこれから真っ白な紙の上に紡ぐべき、無限の言葉だけがあるのだ。


 私は、右手の中で冷たい光を放つ真鍮の万年筆を力強く握り直し、深呼吸をしてから、真っ白なノートの余白へとゆっくりとペン先を落とした。

 彼女もまた、私の静かな動きに呼応するように、使い込まれて短くなったBの鉛筆を、真っ白なスケッチブックの紙面へと滑らせる。

 カリカリ、という微かな金属の摩擦音とともに、私の心臓から流れ出た血のようなブルーブラックのインクが、手漉きの紙の豊かな繊維へと深く、滑らかに染み込んでいく。それと全く同じ瞬間に、彼女の鉛筆の黒鉛が紙の凹凸を優しく削り取る、シュッ、サァッという柔らかくて心地よい音が、図書室の静寂の中に響き渡る。

 私の紡ぐ言葉の音と、彼女が描く色彩の音。二つの音が空中で重なり合い、世界で最も美しく、そして切実な音楽となって私の鼓膜を震わせる。


 満ち足りていた。


 永遠という言葉がもしも手で触れられる物理的な形を持っているとしたら、間違いなく今、私たちが共有しているこの瞬間のことを指すのだろう。私は、自分の頭の中で次々と組み上がっていく『砕けた星の破片を拾い集める孤独な少女』の物語を、万年筆の先からノートの上へと産み落としながら、この絶頂の幸福感に骨の髄まで、いや、魂の底まで深く酔いしれていた。


 ——しかし。

 その完璧に縫い合わされたはずの幸福の絶頂から、ほんの数分が経過した時のことだった。

 ノートの紙面を滑らかに走らせていた私の万年筆のペン先が、不意に、ほんの一瞬だけ、見えない壁にぶつかったかのようにピタリと止まった。


 何かが、おかしい。

 言葉にはできない、ごくわずかな、けれど決して無視することのできない微細な『違和感』が、私の背筋をぞくりと冷たい指先で撫でていったのだ。

 私は息を潜め、ゆっくりと顔を上げると、机の上から、黄金色の西日が燦々と差し込む窓辺へと視線を向けた。

 はちみつを溶かしたようにとろけるような琥珀色の光。空中にあてもなく、重力を忘れたように舞い踊る無数のホコリの粒子たち。

 一見すると、何も変わってはいない。私が自らの命を燃やして創り上げた完璧な風景が、ただ静かにそこにあるだけだ。気のせいだ。私の心が、あまりの幸福に少しだけ過敏になっているだけなのだ。


 ——チカッ。


 その時だった。

 窓から差し込んでいるその豊潤な黄金色の光の帯の中に、ごく一瞬だけ、目を刺すような『青白い閃光』が混ざり込んだのだ。

 それは、太陽の光が持つ温かみのある波長とは決定的に異なる、命の気配が一切しない、人工的でひどく冷徹な光。まるで、死体を並べた地下の安置所の天井を照らす、あの病室の無機質な照明のような、青白くて刺々しい光の粒。

 その冷え切った光は、黄金色の西日の中に黒いインクの一滴のように落ちたかと思うと、私が瞬きをするよりも早い速度で、何事もなかったかのように消え去った。


 気のせいだろうか。

 いや、違う。

 私が息を止めて窓を見つめていると、数秒後。再び、音もなく、チカッ、と。

 今度は先ほどよりも少しだけ長く、私の愛する琥珀色の光が、無慈悲な青白さへと反転した。

 まるで、私が縫い合わせたこの美しい図書室の空間そのものが、見えない巨大なノコギリで裏側からギコギコと削り取られ、薄くなった壁の向こう側から『残酷な現実の病室の光』が、ひび割れを伝って漏れ出してきているかのように。

 その青白い光の明滅は、一見すると不規則なようでいて、私の心臓の奥底で嫌な汗をどっと噴き出させるほどの、ある『恐ろしい周期』を持っていた。

 数秒に一度、機械のように規則的に訪れるその冷たい光の瞬き。

 それは、私が先ほど自らの知覚を総動員し、脳神経を焼き切るほどの痛みに耐えて強引に消し去ったはずの、あの『私の命を刻む機械の警告音』が刻んでいた残酷な律動と、コンマ一秒の狂いもなく完全に一致していたのだ。


 音が、光に姿を変えて、私の世界を侵食しにきたのだ。

 私の脳が音波を殺したからこそ、現実は別の物理現象という迂回路を使って、この箱庭の壁を執拗に叩き壊そうとしている。


(……気のせいよ。ただの気のせい。夕暮れの空を流れる雲が、太陽を遮っただけだわ)


 私は、急速に早まり、肋骨を突き破りそうになるほど激しく打ち始めた自らの鼓動を必死に押さえつけながら、心の中で自分自身に向かって何度も強く言い聞かせた。

 あり得ない。現実の病室の光が、この完璧に縫い合わされた箱庭に入り込んでくるはずがない。私が五感を騙し、空間を構築し直したのだ。この世界は私の意志によって完全に制御されている絶対の聖域だ。

 あの青白い光は、ただの錯覚だ。自然現象の影に過ぎない。

 そうに決まっている。絶対に、そうでなければならないのだ。

 私は、目の前で数秒に一度チカチカと不吉な明滅を繰り返すその光から逃れるように、無理やりノートへと視線を戻し、右手に握った万年筆のグリップが折れそうなほど強く握りしめた。

 見なければいい。気づかないふりをすればいい。

 私が『ここは完璧な図書室だ』と信じ続ける限り、私の心が折れない限り、この世界は決して崩壊しない。


 私は、恐怖で震えそうになる右手を気力でねじ伏せ、再びブルーブラックのインクの文字を、真っ白な紙面に刻み始めた。

 私のすぐ隣では、彼女が静かに、そして楽しそうにスケッチブックに鉛筆を走らせている。

 シュッ、サァッ……。シュッ、シュッ……。

 少しだけ柔らかい黒鉛が手漉きの紙の凹凸を削る、あの愛おしい音。彼女の命の鼓動そのものであるその温かい音に全意識を集中させ、私は迫り来る現実の恐怖を必死に塗り潰そうとした。

 彼女の音を聞いていれば、私は安心できる。この音こそが、私が図書室にいるという何よりの強固な証明なのだから。


 シュッ、サァッ……。

 キュッ……。


(……え?)


 必死に万年筆を動かしていた私の思考が、再び、今度こそ完全に凍りついた。

 今、何か別の音が混ざらなかっただろうか。

 私は万年筆を動かす手を止め、呼吸の音すら殺して、隣で彼女が動かす鉛筆の音の連なりへと、鼓膜が破れるほどに耳を澄ませた。

 シュッ、サァッ……、シュッ……。

 ギュッ……、キュッ……。


 間違いなかった。

 彼女が鉛筆を走らせるその柔らかくて温かい摩擦音の隙間に、全く質の異なる、不気味で無機質な音が、寄生虫のように入り込んでいる。

 それは、硬く冷たいゴムが、薬品の染み付いた冷たい床に粘りつくようにして擦れる音。

 ギュッ……、キュッ……。

 その音を聞いた瞬間、私の脳裏に、分厚い記憶の底に沈めていた見たくもない一つの恐ろしい情景が、濁流のように逆流して突き刺さった。

 深夜の病室。私が身じろぎ一つできず、ただ暗い天井を見つめていると、廊下の向こうの暗闇からゆっくりと近づいてくる、白い服を着た者たちの足音。底の分厚いゴム靴が、冷たい床を歩くたびに発する、あの無感情で、生命の温かみを一切持たない足音だ。

 どうして。どうしてその音が、この図書室で、しかも彼女の鉛筆の音の中から聞こえてくるのか。


 ギュッ……。キュッ……。

 その足音のような異物は、鉛筆の音に完全に寄生し、彼女が線を引くたびに、私の耳元で不気味な残響を立てていた。

 まるで、私を現実の地獄へと連れ戻すために、見えない死者の国の使者が、この図書室の床を歩いて私に一歩ずつ近づいてきているかのように。

 足音が、一歩、また一歩と、私との距離を詰めてくる。お前が犯した罪を思い出せと、私の魂の首根っこを掴みに来る。


「……違う。違うわ。これは……」


 私は、声に出して震える唇で呟きながら、狂ったように首を何度も横に振った。

 恐怖で全身の毛穴から氷のような冷や汗が噴き出し、握りしめた万年筆のグリップが汗で滑る。

 世界が、綻び始めている。

 私が自らの知覚を強引に縫い合わせ、現実の理を改竄して創り上げたこの箱庭は、あまりにも大きな矛盾の負荷に耐えきれず、その見えない縫い目の隙間から、残酷な『現実の亡霊』たちを次々と漏れ出させているのだ。

 数秒に一度の青白い閃光。冷たい床を擦るゴム底の足音。

 これらは、私が五感を騙しきれなかった代償として生じた、世界の致命的な亀裂——修正することのできない絶望的な狂気の副産物だった。


「詩織? どうしたの?」


 私が震えながらノートを見つめ、歯の根を合わさずに震えていると、不意に、隣に座る彼女が不思議そうな、ひどく澄んだ声で私を呼んだ。

 私はビクッとして肩を跳ね上げ、恐る恐る彼女の瞳を見た。

 彼女は、何も気づいていない。

 数秒に一度空間を切り裂く青白い光にも、自分の鉛筆の先から発せられるゴム底の不気味な足音にも、彼女は一切の疑問を抱いていないのだ。彼女はただ、純粋で汚れのない鳶色の瞳で私を覗き込み、心配そうに首を傾げている。

 その彼女の無垢な姿を見た瞬間。私の心の中で、迫り来る足音への恐怖よりもはるかに強大で、おぞましい『狂信』の黒い炎が爆発的に燃え上がった。


(彼女が気づいていないのなら、この世界は完璧なんだわ)


 そうだ。彼女がここで微笑んでいる限り、ここは間違いなく放課後の図書室なのだ。

 光が明滅しようが、不気味な足音が近づいてこようが、そんなものはすべて私の心が弱っているせいで生じた、ただの哀れな幻聴と幻覚に過ぎない。現実の病室が私を迎えに来たわけではない。私がこの世界を信じ抜くことさえできれば、この世界の綻びは必ず塞がるはずだ。私が彼女を愛する力が、この箱庭を守り抜くのだ。


「なんでもないの。ちょっと……この古い椅子が、軋んだ音がしたから」


 私は、引き攣りそうになる頬の筋肉を必死に持ち上げ、彼女に向かって精一杯の、ひどく不自然で痛々しい笑みを浮かべた。

 死者の国からの足音を、ただの椅子の軋みだと無理やりに意味づける。世界を切り裂く青白い光を、雲の影だと強引に解釈する。

 私は、自らが命を削って創り上げたこの虚構の世界の崩壊を、絶対に認めるわけにはいかなかった。もしもこの綻びを現実の介入だと認めてしまえば、私は再び、あの親友を殺した殺人者としての重たい罪悪感と、死体のような肉体を持つ絶望の病室へと、真っ逆さまに突き落とされてしまうのだから。

 それだけは、絶対に嫌だった。魂が引き裂かれても、正気を完全に失ってバケモノに成り果てたとしても、私はこの琥珀色の箱庭の床に爪を立ててしがみついてみせる。


「そう? ならいいんだけど……。ほら、見て。この夜空のページ、すごく綺麗に描けそう」


 彼女は安心したようにふわりと微笑み、何の疑いもなく再びスケッチブックへと視線を戻した。

 シュッ、サァッ……。ギュッ……。キュッ……。

 ——チカッ。

 青白い閃光が彼女の美しい横顔を無慈悲に照らし出し、鉛筆の音に寄生した、冷たい床を歩く使者の足音が、すぐ耳元で生々しく響き続ける。

 私は、その恐ろしい世界の亀裂から完全に目を背け、必死に、ただひたすらに自分の万年筆のペン先だけを見つめ続けた。

 ここは完璧な図書室だ。ここは完璧な図書室だ。

 心の中で、呪文のように同じ言葉を何度も、何度も繰り返し唱える。氷のように冷たい汗が背中を伝い落ち、制服のシャツを濡らしていくのを感じながら、私は狂信的なまでの現実逃避の泥沼へと、自ら進んで深く、深く頭まで潜り込んでいった。

 この痛々しいまでの自己欺瞞の果てに、もう二度と引き返すことのできない最悪の絶望の口が、すぐそこまで開いて待ち構えていることなど、今の哀れな私には知る由もなかったのだ。

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