第4話『知覚の縫合』(1)
私が彼女を殺したのだという、どろどろとしたひどく醜い罪悪感の泥水が、私の喉の奥深くから止めどなくせり上がってきていた。
灰色の病室。点滅を繰り返す無機質な赤い警告の光。私の命の残量をただの数字として暴き立てる、冷酷な機械の電子音。
私は、絶え間なく全身の毛穴から噴き出す氷のような冷や汗と、恐怖で見開かれた瞳からとめどなく溢れる熱い涙とで、ぐっしょりと重たく濡れた漂白されたシーツの上で、自らの罪の重さに完全に押し潰され、息をすることすら忘れて激しく喘いでいた。
あの凄惨な事故によって首から下の神経を完全に絶たれ、指先一つ、いや、皮膚の一ミリすらも自らの意志で動かすことの許されないこの死体のような肉体は、決して悲劇のヒロインへの同情を誘うための美しい証などではない。世界で最も大切な親友を、自らの身勝手な言葉で絶望の淵へと追いやり、理不尽な死へと突き落とした私が、一生かけて味わい続けなければならない当然の罰なのだ。その容赦のない残酷な真実の光が、私の青ざめた頬を何度も、何度も往復ビンタするように激しく打ち据えてくる。
私が痙攣する喉で浅い呼吸をするたびに、ひしゃげた巨大な鉄の塊と、生温かい血の匂いが肺の奥を強烈に焼いた。
健康な人間であれば、この耐え難い苦痛を前にして、両手で顔を覆い、髪を掻き毟り、床を転げ回って泣き叫ぶことができるだろう。しかし、現実の世界へと強引に引き戻された私に許されているのは、ただ仰向けの不自然な姿勢のまま、冷たい天井の染みを見つめ、頭の中だけでこの圧倒的な絶望を反芻し続けることだけだった。動かない手足は、私が彼女を救えなかった無力さの象徴であり、私の犯した大罪の重さを物理的な鉛に変えて、私をこの灰色のベッドに永遠に縛り付けている。
まぶたを固く閉じ、あのはちみつを溶かしたように甘く、琥珀色に輝く放課後の図書室へと再び意識を沈めようと必死に足掻いても、もう先ほどまでのようにはいかなかった。
暗闇の奥底へ逃げ込もうとする私の魂の足首を、あの恐ろしいトラックのタイヤがアスファルトを限界まで削る鋭利な摩擦音と、硬い道路の上に毒花のように美しく、そしておぞましく広がる赤黒い血だまりの記憶が、鋭い爪を立てて強引に現実へと引きずり戻してくるのだ。『お前にはあの美しい世界に逃げ込む資格など永遠にない。お前の紡ぐ言葉は人を殺す呪いだ。ここで一生自らの罪と向き合い、狂気と孤独の底で干からびて死んでいけ』と、見えない無数の亡霊たちが私の耳元で恐ろしい呪詛を囁き続けているようだった。
——だが。
私は、奥歯が粉々に砕けそうになるほど強く、顎の骨が痛むほどに噛み締めた。
このまま、ただ罪悪感という名の重たくて臭い泥に顔を押し付けられ、無機質な灰色の天井を見つめながら正気を失っていくことなど、絶対に、絶対に認められなかった。
私は、彼女に会いたい。
私が彼女を殺したのだとしても。あの日、あの交差点で私が放った冷酷で身勝手な言葉が彼女の心を深く抉り、彼女の歩む先からすべての光を奪い去ってしまったのだとしても。いや、だからこそ、私はもう一度あの琥珀色の図書室へ帰り、彼女の隣に座らなければならないのだ。
空想の中の彼女は、いつも私に向かって優しく、すべてを許すように微笑みかけてくれる。私の紡ぐ言葉の才能を誰よりも認め、私の不器用な言葉を心の底から欲し、そして何よりも私という存在を深く、狂おしいほどに愛してくれている。彼女が私を許し、あの火傷しそうなほど温かい体温で私の震える幻の右手をもう一度強く握りしめてくれさえすれば、私はこの恐ろしい罪悪感から完全に解放され、安らかな永遠の放課後を生きることができるのだから。
現実の世界がどれほど私を拒絶しようとも、私は私の世界を絶対に諦めない。
(戻る。……絶対に、あの場所へ帰るわ)
私は、絶望に凍りついていた心の中で、狂信的なまでの青白い炎を静かに燃やし始めた。
もはや、ただ目を閉じて愛おしい記憶を辿るような、そんな生温かい自己暗示や白昼夢のレベルでは、あの圧倒的な引力を持った『現実』の太い鎖を断ち切ることはできない。今の私の前に立ち塞がっているのは、冷酷で完璧な物理法則によって一ミリの隙間もなく構築された、この病室という名の強固な牢獄なのだ。
ならば、どうするか。
言葉とは、世界を切り取るための刃であり、同時に、傷口を縫い合わせるための糸である。私は、私という人間が持つ五感のすべて——幼い頃から言葉と色彩を深く愛し、世界のあらゆる事象の輪郭を細部まで観察し、物語として紡ぎ続けてきた、この異常なまでの解像度を誇る私の知覚と想像力のすべてを総動員して、この病室の残酷な現実を、物理的、そして科学的に『縫い直し』てやるのだ。
それは、誇り高い戦いなどではない。自分の脳の正常な機能を意図的に狂わせ、神経細胞を一本ずつ焼き切りながら、都合のいい美しい嘘で世界を塗りつぶしていくという、ひどく自傷的で哀れな儀式だ。現実の物理的な刺激を意図的に誤認し、別の解釈を与えるという、極めて高度で狂気的な精神活動。その狂気の果てに、私の精神が完全に崩壊して灰になってしまうことになろうとも構わない。私はただ、彼女の待つあの完璧な箱庭へ帰るためだけに、自らの命の残渣をすべて燃やし尽くす覚悟を決めた。
第一の標的は、聴覚だった。
病室の静寂を暴力的に切り裂くように鳴り響く、あのけたたましい心電図の警告音。そして、部屋の隅の天井付近から絶え間なく響いてくる、空気を機械的に循環させる換気扇の低くて重たい唸り声。
私は、まぶたを固く閉じたまま、全神経をその『音の波長』の捕捉へと一点に集中させた。
まずは、換気扇の駆動部が空気をかき回す、あの単調で重たい低周波の音だ。
ゴォォォォォ……というその不気味な音の正体は、毎秒約四十回の振動を繰り返す、およそ四十ヘルツ前後の周波数を持つ物理的な空気のうねりだ。
私は、鼓膜を震わせるその音の波の形を、脳の奥底でスローモーションのように極限まで引き伸ばし、言葉という名のメスを使って徹底的に解体していく。
波の頂点と底辺、その波長のうねりの深さ。空気の振動が鼓膜を叩く、その微細な圧力の変化。それは、まるで巨大な獣が喉の奥で鳴らす、単調で息苦しい寝息のようだった。
私は、自らの脳内に蓄積された膨大な記憶の蔵の中から、この四十ヘルツの波長と奇跡的に合致する、別の『愛おしい音』の記憶を、狂ったような速度で探し出し、引っ張り出してきた。
——見つけた。
それは、遠くのグラウンドから春の生温かい風に乗って聞こえてくる、吹奏楽部の不器用なチューバの低音だ。
旧校舎の窓際で、私と彼女が並んで座っていたあの日の記憶。黄金色に光る無数の埃が宙を舞う中、グラウンドの隅で一年生が一生懸命に練習していた、あのどこかのんびりとした、真鍮の金属と人間の温かい息が交じり合う深い響き。
私は、換気扇の無機質な駆動音が持つ波長を、脳内で意図的に歪め、引き伸ばし、チューバの真鍮の管の中で空気が共鳴する、あの柔らかくて厚みのある金管楽器の波長へと強制的に合致させ、太い糸で縫い合わせていった。
ゴォォォォォという換気扇の死に絶えた雑音が、私の狂気的な意志の力によって、プォォォォォンという管楽器の温かい響きへと徐々に、しかし確実にその形を変えていく。
機械の回転運動が発する冷たい振動が、人間の息が楽器を吹き鳴らす命の振動へと、私の脳の奥底で完全にすり替えられた瞬間だった。私の耳の奥で、無機質な病室の空気が、放課後のグラウンドの黄金色の空気へと、確かに反転したのを感じた。
(よし。……次は、皮膚の感覚よ)
聴覚の変換に成功した私は、わずかな安堵に浸ることもなく、休むことなく次なる物理的な知覚の改竄へと取り掛かった。私の命の時間は、点滴の雫が静脈に落ちるたびに確実に削り取られているのだから、一秒の猶予もなかった。
第二の標的は、温度覚だ。
今、私の血の気の引いた青白い頬を撫で、首筋を粟立たせているのは、病室の空調によって二十四時間体制で完璧に管理された、無機質で冷酷な『摂氏二十度』の冷気。
それは、生命の匂いが一切しない、ただ見えない菌の繁殖を抑えるためだけに設定された、死者を保管するための霊安室のような冷たさだった。その風が肌に触れるたびに、私が彼女を殺したという罪の記憶が凍りつき、鋭い氷の刃となって私の心を無慈悲に突き刺してくる。
私は、皮膚の表面——無数に存在する温度を感じ取る器官が感知しているこの『冷たい』という痛みに近い刺激を、脳へと伝達される途中の神経回路で強引にせき止めた。
そして、その冷たいという物理的な事実を、私にとって最も都合のいい『別の現象』へと強引に意味を書き換えていくのだ。
私が意識の底から引きずり出してきたのは、旧校舎の図書室を通り抜ける、春の終わりの生温かい風の記憶だった。
西日が差し込む放課後の図書室は、少しだけ空気が淀んでいて、額に微かな汗をかくほどに温かい。そこに、開け放たれた窓から、校庭の乾いた砂埃の匂いを孕んだ一陣の風が吹き込んでくる。風が吹き込むたびに、開いたままの古い本のページがパラパラと音を立ててめくれ上がり、隣に座る彼女の細くて柔らかい髪が、ふわりと宙に舞う。
その風が、私の額や首筋に滲んだ微かな汗の粒を優しく撫で、水分を蒸発させていく。その時、水分が液体から気体へと変わるために周囲から奪い去っていく熱——『気化熱』の物理現象。
私は、今まさに病室の空調が私の肌から容赦なく奪い取ろうとしている二十度の無機質な冷気という事実を、この『春の風がもたらす気化熱による心地よい涼しさ』の記憶と完全に照合させ、強引に上書きした。
『冷たくて不快な空調の風』ではなく、『温かい図書室に吹き込んだ春の風が、私の汗を心地よく冷ましてくれている』のだと、脳の温度を司る中枢機能を意図的に、そして完全に誤認させる。
その瞬間、私の恐怖に凍りついて引き攣っていた頬の筋肉が、微かに、ほんの微かに弛緩した。
無機質な冷気は、春の命を宿した微風へと姿を変え、私の肌を優しく愛撫し始める。
成功だ。
私の異常なまでの感受性と、物語を紡ぐための執念の想像力は、現実の強固な物理法則を前にしても、決して屈することはなかった。自らの脳を騙し、神経回路を繋ぎ変えるという、人間が絶対に踏み込んではならない狂気の領域。
しかし、罪悪感という底なしの地獄から逃げ出し、彼女の待つあの完璧な箱庭へと帰還するためならば、私は喜んで自らの精神をこの狂気の炎にくべ、魂を切り刻むことができる。
遠くから響くチューバの低音。頬を撫でる春の微風。
私の周囲の空間が、灰色の残酷な現実から、あのはちみつ色の虚構の世界へと、少しずつその濃度を増して塗り替わっていくのを感じながら。私は、次なる感覚の縫合へと、さらに深く、暗く、自らの意識を潜り込ませていったのだった。




