第84話 審判の結末
裁判の最終日。
大議場の傍聴席ではなく、議員席が埋まっていた。帝国議会の正規議員、百二十名の貴族が、採決のために着席している。傍聴席にも人が溢れ、廊下まで列が続いていたが、リーナの意識は議員席に向いていた。
百二十名。そのうち三分の二の賛成で、決議が成立する。八十名の賛成が必要だった。
「最終日の審理を開始する」
議長の声が天井に響いた。重い声。百年来の決議を前にした議長の声には、いつもの形式的な響きがなかった。
「告発人の三日間の陳述を踏まえ、本日は被告の最終弁論、および採決を行う。被告、ヴァレンシュタイン公爵、最終弁論を」
公爵が立ち上がった。
三日前とは別人のようだった。金髪は乱れ、灰色の瞳には隈が浮いている。しかし背筋は伸びていた。最後の矜持。
「我がヴァレンシュタイン家は、百年間、帝国の封印を守ってきた」
公爵の声は、掠れていた。
「過ちがあったことは認めよう。研究の初期段階で制御を誤り、大崩落を引き起こした責任は、逃れられない」
傍聴席が揺れた。公爵が初めて、明確に責任を認めた瞬間だった。
「しかし、その後の百年で、我々は封印を維持し続けてきた。大崩落の再発を防ぎ続けてきた。その事実を、どうか議員の皆様には」
「ヴァレンシュタイン公爵」
リーナが証言台から口を開いた。議長の許可を目で確認してから。
「一つだけ、お聞きしてもよろしいですの?」
公爵が沈黙で応じた。灰色の瞳がリーナに向いたが、三日前のような鋭さはなかった。
「封印を守ってきたと仰いますわ。では、なぜ今、封印は崩壊しかけているのですの?」
大議場が静まった。蝋燭の炎すら揺れを止めたかのような沈黙。
「百年間、あなたの家が管理してきた封印が、今まさに第二の大崩落を起こそうとしていますわ。聖域山脈の頂は赤く光り、大地に亀裂が走り、星脈のエネルギーが制御を失っている。それが、あなたの家の『管理』の結果ですの?」
公爵の唇が震えた。
「それは、封印の自然劣化であり」
「自然劣化ではありませんわ」
リーナの声は穏やかだったが、大議場の隅々まで届いた。
「百年前にあなたの先祖が封印を弱めた傷が、今も残っているのです。大聖女アリーシアの命で修復されたはずの封印が、なぜ百年で限界を迎えているのか。答えは、修復の前に入った傷が深すぎたからですわ」
一拍の間を置いた。
「ヴァレンシュタイン家が封印に触れなければ、アリーシアの封印はもっと長く持ったはずです。あなた方の家門が大崩落を引き起こし、あなた方の家門の管理が封印の寿命を縮めた。二重の責任ですの」
公爵は何も言わなかった。被告席に、ゆっくりと座り直した。老いた身体が、椅子の背もたれに沈む。
弁護団の筆頭が立ち上がりかけたが、公爵が首を横に振った。
「もう、いい」
議長が頷いた。
「被告の最終弁論は以上とする。採決に移る」
議長が採決の書面を読み上げた。蝋燭の灯りに照らされた羊皮紙を、しわがれた手が広げる。
「第一決議。ヴァレンシュタイン公爵家の爵位剥奪について」
議員たちが投票した。木製の投票箱に、白い石と黒い石が入れられていく。白が賛成、黒が反対。百二十個の石が箱に落ちる音が、一つずつ議場に響いた。
集計が終わった。書記官が結果を議長に渡し、議長が読み上げた。
「賛成九十七。反対二十三。可決」
傍聴席がざわめいた。ヴァレンシュタイン家。帝国の軍事を百年にわたって統べてきた名門の爵位が、剥奪された。九十七という数字は、三分の二を大きく上回っている。
「第二決議。封印管理権のヴァレンシュタイン家からの返上、および帝国議会直轄への移管について」
再び投票。石が落ちる音。
「賛成百四。反対十六。可決」
封印の管理権が、ヴァレンシュタイン家の手を離れた。リーナが最も必要としていた決議だった。これで、遠征隊は妨害を受けずに聖域山脈の封印修復に向かえる。リーナは証言台の上で、小さく息をついた。
「第三決議。エーデルシュタイン公爵家に対する偽聖女工作の責任を問い、宮廷魔導院の運営権を剥奪する件について」
「賛成八十九。反対三十一。可決」
「第四決議。グリフォンハート公爵家に対するギルドへの不正資金提供の制裁、および冒険者ギルドとの関係の再調査を命ずる件について」
「賛成八十二。反対三十八。可決」
四つの決議が、全て可決された。
大議場に、長い沈黙が落ちた。白い石と黒い石。集計と読み上げ。それだけで、帝国を百年支配してきた構造が崩壊した。
議長が閉廷を宣言した。木槌が机を打つ音が、大議場に反響した。その音を最後に、百年の裁きが終わった。
リーナは証言台を降りた。四日間、この台の上に立ち続けた。初日に三つの残響を暴き、二日目に隠蔽工作とエーデルシュタイン家の共謀を示し、三日目に三本柱の全容を明かし、そして最終日。決議が下った。
議場の出口に向かう途中、被告席の前を通った。ヴァレンシュタイン公爵は、座ったまま虚空を見つめていた。灰色の瞳に、何も映っていない。弁護団が書類を片づけ、議場から退出し始めても、公爵は動かなかった。
リーナは立ち止まらなかった。
議場を出ると、廊下にルシアンが待っていた。周囲に人の気配がないことを確認して、口調が変わった。
「終わったか」
「ええ。封印管理権は議会直轄に移りましたわ。遠征の障害は、なくなりましたの」
「壁越しに聞いていた。九十七対二十三。圧倒的だったな」
二人で議事堂の廊下を歩いた。窓から差し込む冬の日差しが、石の床に格子模様を描いていた。足音が規則正しく響く。
「ルシアン様」
「ん」
「審判は終わりましたわ」
リーナは窓の外を見た。帝都の街並みの向こうに、聖域山脈の稜線が見える。冬の空気が澄んでいて、遠い山脈の輪郭がくっきりと浮かんでいた。山頂の赤い光が、昼間でもうっすらと見える。
「けれど封印は、まだ叫び続けていますわ」
イヤーカフが、微かに振動した。聖域山脈の封印が軋む音を、帝都にいても拾っている。裁判の間も、封印の劣化は止まっていなかった。嘘を暴いている間にも、大地の下で悲鳴が響き続けていた。
ルシアンが何も言わずにリーナの手を取った。冷たい手。しかし握る力は確かだった。
「行くぞ」
「ええ」
リーナは頷いた。手を握り返した。
「行きましょう」
審判は終わった。
しかし、本当の戦いはこれからだった。




