第82話 100年の不協和音
裁判の第二日。
大議場には、前日を上回る数の傍聴人が詰めかけていた。貴族だけではない。皇帝の側近、宮廷魔導院の幹部、帝国騎士団の上級騎士。帝国の権力構造に関わる全ての勢力が、この裁判の行方を見守っている。
廊下まで人が溢れているという報告が議長にもたらされ、議場の扉が開け放たれた。
リーナは証言台に立った。昨日と同じ深い紫の外套。銀髪を結い上げ、イヤーカフが左耳で光る。昨日の残響掘りの代償で、こめかみにまだ鈍い痛みが残っていたが、表情には出さない。
「第二日の陳述を始めますわ」
鑑譜眼を発動した。瞳が金色に変わる。議場の蝋燭の灯りが、その光に押されて揺らいだように見えた。
昨日は百年前の残響。大崩落の真因を暴いた。今日は、その後の百年間に行われた隠蔽工作の全容を明かす。
「昨日お聴かせした残響は、百年前のものでした。本日は、その後の百年間、ヴァレンシュタイン家が何をしてきたかをお聴かせいたしますの」
リーナは公爵の核紋に焦点を合わせた。
残響が流れ込んでくる。今度は百年前ではない。七十年前、五十年前、三十年前。代々の当主が積み上げてきた嘘の旋律が、時系列に沿って鳴り始めた。層を一枚ずつ剥がしていくように、丁寧に、正確に。
「まず、封印研究の独占について。大崩落の後、ヴァレンシュタイン家は『封印の専門知識を持つのは我が家のみ』と帝国議会に報告しました。しかし残響はこう言っています。他家の研究者を排除するために、資料を焼却し、研究者を買収し、一部は脅迫した」
傍聴席から低い声が上がった。資料の焼却。研究者への脅迫。独占が維持された裏側の実態が、鑑譜眼の残響で白日の下に晒されている。
「次に、封印劣化の観測データの改竄について。ヴァレンシュタイン家は五十年前から封印の劣化が進行していることを認識していました。しかし帝国議会に提出された報告書では、劣化速度を実際の三分の一に過少申告しています。議員の皆様がお手元にお持ちの報告書と、核紋の残響が示す実際のデータには、看過できない乖離がございますの」
議員席から紙をめくる音がした。過去の報告書を確認しているのだろう。
「嘘だ」
ヴァレンシュタイン公爵が、初めて声を発した。被告席から身を乗り出し、灰色の瞳をリーナに向ける。昨日は沈黙を保っていた公爵が、ここで口を開いた。
「我がヴァレンシュタイン家は、百年間この帝国の封印を守ってきた。全ては帝国のためだ。帝国の安全のために、封印の管理を一手に引き受けてきたのだ」
その声は堂々としていた。五大公爵家の当主にふさわしい威厳と自信。傍聴席の一部が、その声に反応して頷いている。
しかしリーナの鑑譜眼は、その声の奥を聴いていた。
不協和音が三つ。いや、四つ。
「帝国のため、ですの」
リーナは微笑んだ。穏やかで、静かな微笑み。
「あら。あなたの旋律は、そうは言っていませんわよ」
大議場に、笑いが起きた。
一つではない。二つ、三つ。傍聴席のあちこちから、堪えきれないように笑い声が漏れた。ヴァレンシュタイン公爵の顔が歪んだ。頬に血が昇り、拳が震えている。
「あなたの核紋に聴こえるのは『帝国のため』ではありませんの。『権力を手放したくない』。『封印を握っている限り、誰も我が家に逆らえない』。それが、あなたの旋律の本音ですわ」
公爵の弁護団が一斉に立ち上がった。
「異議あり。告発人は被告の内心を恣意的に解釈している」
「内心ではありませんの」
リーナの声は静かだった。冷ややかではない。ただ事実を述べる声。
「核紋の旋律ですわ。内心と旋律は違います。内心は隠せますけれど、核紋に刻まれた旋律は隠せない。なぜなら、核紋は、その人の全ての行動と動機を記録しているからですの」
議長が弁護団に着席を命じた。
「告発人の鑑譜眼は、帝国議会において証拠能力を有すると認定済みです。異議は却下」
リーナは一つ頷き、続けた。
「次に、エーデルシュタイン家との共謀について」
公爵の核紋の残響を、さらに深く掘り下げる。頭の奥の圧迫感が増した。二日連続の全力発動。前世のヴァイオリニストの絶対音感が、かろうじて精度を保っている。
新しい旋律が聴こえてきた。ヴァレンシュタイン家単独ではない。もう一つの不協和音が、絡み合うように響いている。二つの家が紡いだ嘘の二重奏。
「三十五年前。ヴァレンシュタイン家とエーデルシュタイン家は、密約を結びました。『聖女制度を利用し、帝国の守護を名目に両家の権力基盤を固定する』。この密約の旋律が、公爵の核紋にはっきりと刻まれていますわ」
傍聴席の空気が変わった。ヴァレンシュタイン家だけの問題ではない。エーデルシュタイン家、宮廷魔導院を運営する名門が共犯者だという告発。宮廷魔導院の幹部たちの顔から血の気が引いた。
「エーデルシュタイン家は、聖女の任命に不正な介入を行いました。本来、聖女に求められる『光属性S級』という条件そのものが、ヴァレンシュタイン家が政治的に操作して設定したものですわ。真に封印に触れうる『星属性』の持ち主を排除するために」
議場がざわめいた。聖女の条件が政治的操作の産物だという告発は、先の議会証言でも言及したが、裁判の場で残響を証拠として提示するのは初めてだった。
「現聖女クラリッサ・エーデルシュタインの就任には、『聖光の器』と呼ばれる魔導具が使用されました。聖光の儀において、本来A級である出力をS級相当に偽装する装置。エーデルシュタイン家が開発し、ヴァレンシュタイン家の指示で運用されたものですわ」
公爵が拳をテーブルに叩きつけた。木が軋む音が議場に響いた。
「証拠はあるのか」
「あなたの核紋が証拠ですわ」
リーナの金色の瞳が、公爵を真正面から見据えた。
「核紋は嘘をつけません。百年の嘘を積み上げても。旋律は、全てを記録していますの」
公爵は口を開きかけ、言葉を飲み込んだ。灰色の瞳が揺れている。弁護団の筆頭が公爵の袖を引いたが、公爵は応じなかった。ただ、座り直しただけだった。
リーナは鑑譜眼を解除した。こめかみの痛みが、昨日より強い。鈍い圧迫ではなく、鋭い痛みが脈打つように繰り返している。しかし表情には出さなかった。
「本日の陳述は以上ですわ。明日、エーデルシュタイン家の共謀の全容と、もう一つの柱の関係を明らかにいたします」
* * *
大議場の控え室。リーナはルシアンと二人きりだった。
ルシアンが扉を確認し、周囲に人がいないことを確かめた。碧眼がリーナの顔をじっと見つめ、口調が変わった。
「無理をしている」
「何のことですの」
「頭痛だ。鑑譜眼の負荷を隠すな」
リーナはこめかみに手を当てた。指先が微かに震えていた。百年分の残響を連日掘り起こす負荷は、想定以上だった。前世の絶対音感がなければ、初日で倒れていたかもしれない。
「明日で終わりますわ。三日目で全てを暴いて、四日目に決議を取ります。それまで持ちこたえますの」
「その台詞が既に無理をしている証拠だ」
ルシアンが近づいた。手が伸び、リーナのこめかみに触れた。冷たい指先。闇属性の力が、微かに頭痛を和らげた。影のような冷気が、痛みの輪郭を溶かしていく。
「……ずるいですわ」
リーナの耳が赤くなった。
「こんなことをされたら、大丈夫だと嘘をつけませんの」
「嘘が下手なお前に、嘘は勧めない」
リーナは目を閉じた。ルシアンの指先の冷たさが、鈍い痛みを少しだけ引かせた。二日目が終わった。明日、三本目の柱を暴く。そして四日目に決議。
「ヴァレンシュタインの嘘が全て崩れれば、封印の修復に、誰も妨害できなくなります」
「分かっている」
ルシアンが手を離した。リーナは目を開けた。碧眼がまっすぐにこちらを見ている。
「俺はお前の隣にいる。それだけだ」
リーナは頷いた。
大議場の窓から、夕陽が差し込んでいた。赤い光が二人の影を長く伸ばしている。
その赤が、聖域山脈の頂が放つ赤い光と同じ色であることに、リーナは気づいていた。裁判を急がなければならない理由が、あの山頂で赤く脈打っている。




