第81話 最終審判の幕開け
帝国議会の大議場は、静まり返っていた。
五大公爵家の紋章が並ぶ壁面。高い天井から吊るされた鉄製の燭台に、百本を超える蝋燭が灯されている。蝋燭の炎が微かに揺れるたびに、壁面の紋章が生き物のように影を落とした。
その大議場の中央に、証言台がある。
リーナは証言台の前に立った。銀髪を簡素に結い上げ、深い紫の外套を纏っている。イヤーカフが左耳で銀白色に光った。旅装から着替えた宮廷向けの装いだったが、装飾は最低限に抑えてある。
「帝国議会議長、ゲルハルト・ツェラー伯爵の名において。ヴァレンシュタイン公爵家に対する正式裁判を開廷する」
議長の声が天井に反響した。傍聴席に詰めかけた貴族たちが、一斉に息を呑む。二百名を超える傍聴人。帝都の名だたる貴族が、一人残らず集まっていた。
被告席には、ヴァレンシュタイン公爵が座っている。白髪交じりの金髪を撫でつけ、灰色の瞳を正面に据えた老人。その隣に弁護を務める法務官が三名。帝国で最も優秀とされる法務官たちの表情は、硬い。
リーナの視線が、公爵の核紋を捉えた。
まだ鑑譜眼は発動していない。しかし、視界の端で公爵の核紋が微かに揺らいでいるのが見えた。百年の嘘を積み上げてきた男の核紋は、見るだけで歪みが分かるほどに濁っている。
「告発人、クレスタフェルデ伯爵家リーナ・クレスタフェルデ。陳述を」
リーナは一歩前に出た。大議場の二百の視線が、彼女に集中した。蝋燭の灯りが銀髪を照らし、紫の瞳が揺らめく炎を映している。
「本日、わたくしはヴァレンシュタイン公爵家が百年にわたって帝国を欺いてきた事実を、この場で証明いたしますわ」
傍聴席がざわめいた。公爵の弁護団が異議を唱えようと立ち上がりかけたが、議長が手を挙げて制した。
「告発人の特殊能力、鑑譜眼について。この能力は第四巡回裁判以降、帝国議会において証拠能力を有すると認定されております。告発人、発動を」
リーナは瞳を閉じた。
静寂が大議場を満たす。蝋燭の炎が揺れる音すら聴こえそうなほどの沈黙。呼吸を整え、意識を集中させる。前世のヴァイオリニストの記憶が、鑑譜眼の精度を極限まで引き上げる。
瞳を開いた。
金色の光が、大議場を照らした。
リーナの紫の瞳が深い金色に変わり、イヤーカフが共鳴するように振動する。傍聴席の貴族たちが、その光に息を呑んだ。蝋燭の灯りとは異なる、澄んだ金色の光。
「まず、百年前の残響から始めましょう」
リーナは証言台から一歩踏み出し、大議場の中央に進んだ。靴底が石の床を鳴らす音だけが響いた。
「ヴァレンシュタイン公爵家は、代々の当主が封印研究の記録を核紋に刻んでおります。核紋は嘘をつけません。たとえ口では偽りを吐いても、核紋に刻まれた記憶は旋律として残りますの」
公爵の核紋に、鑑譜眼の焦点を合わせた。
残響が聴こえてきた。
最初は微かだった。百年の歳月で薄れた古い旋律。しかしリーナの鑑譜眼が深く掘り下げるにつれ、音は厚みを増していく。一代目。二代目。三代目。代々の当主が刻んだ記憶が、層のように積み重なっている。まるで古い楽譜の上に新しい楽譜を重ね書きしたように。
「一つ目の残響。百年前、当時のヴァレンシュタイン家当主が星属性の研究を命じた記録ですわ」
リーナが残響の内容を読み上げると、大議場に不協和音が響いた。リーナの鑑譜眼を通して、傍聴人にも旋律の歪みが伝わるほどの、強い嘘の痕跡。
「星属性の研究は『大陸の防衛のため』と記録されていますわ。しかし残響はこう言っています。『封印を制御する者が帝国を制する。封印の鍵を我が手に』」
傍聴席から声が漏れた。扇で口元を隠す貴婦人。隣の貴族の耳元で囁く老侯爵。議場の空気が変わっていく。
「異議あり」
弁護団の筆頭が立ち上がった。壮年の法務官。額に汗が浮いている。
「百年前の残響など、鑑譜眼の恣意的な解釈にすぎません。証拠能力に疑義があります」
「お言葉ですが」
リーナの声は穏やかだった。
「残響は解釈ではありませんの。核紋に刻まれた事実そのものですわ。わたくしが聴いているのは、あなたの依頼人の先祖が実際に考え、実際に行動した記録。残響に嘘はつけません。なぜなら、核紋そのものが嘘を許さないからですの」
弁護団の筆頭が口を開きかけ、閉じた。反論の言葉を探しているが、見つからない。鑑譜眼の証拠能力は、既に帝国議会が正式に認定している。その認定を覆すには、新たな法的根拠が必要だった。
「他にご異議はございませんの?」
リーナが傍聴席を見渡した。金色の瞳が、蝋燭の灯りを反射して揺れている。誰も声を上げなかった。
議長が弁護団に着席を命じた。
「二つ目の残響」
リーナは続けた。鑑譜眼がさらに深い層を掘り起こす。頭の奥で、微かな圧迫感が生じた。百年の残響を掘る代償。しかし表情には出さない。
「大崩落の十年前。ヴァレンシュタイン家は封印の一部を意図的に弱め、星脈のエネルギーを抽出する実験を行いました。実験は成功した。しかし、封印の弱体化は制御不能な連鎖を引き起こしましたの」
旋律が変わった。今度は低い、重い音。大地が軋むような不協和音。百年前の実験の記録が、議場の天井を震わせるように反響した。傍聴席の貴族たちが椅子の肘掛けを握り締めている。
「そして三つ目」
リーナの金色の瞳が、ヴァレンシュタイン公爵を貫いた。
「大崩落の後。大聖女アリーシアが命を捧げて封印を修復した後。ヴァレンシュタイン家は真実を隠蔽し、『自然劣化による暴走』と帝国議会に報告しました。この偽りの報告書の旋律が、今のヴァレンシュタイン公爵の核紋にも残響として刻まれていますわ」
公爵の顔から、血の気が引いた。頬が土色に変わり、灰色の瞳が泳いだ。
大議場が揺れた。文字通りではない。二百名の傍聴人が同時に身じろぎし、椅子が床を擦る音が一斉に鳴ったのだ。百年間信じてきた公式発表が嘘だったという事実に、議場全体が動揺している。
「初日はここまでにいたしますわ」
リーナは鑑譜眼を解除した。瞳が金色から紫に戻る。こめかみに鈍い痛みが走ったが、声は穏やかなまま保った。
「百年の嘘には、百の旋律がございます。明日以降、一つずつ。全てを暴かせていただきますわ」
大議場の空気が、一変していた。
ルシアンが傍聴席の最前列から立ち上がり、リーナに近づいた。公的な場での口調。碧眼には、静かな信頼が浮かんでいた。
「見事でした」
リーナは小さく頷いた。こめかみの鈍い痛みが脈打っているが、表情を崩す気はなかった。
「お疲れ様でございましたわ。初日としては、十分な手応えですわ」
自分に言い聞かせるように呟いた。百年分の残響を掘る作業は、明日以降も続く。体力の配分を考えなければならなかった。
大議場を出る時、振り返った。
ヴァレンシュタイン公爵は、被告席に座ったまま動かなかった。灰色の瞳が虚空を見つめている。その核紋が、微かに震えていた。弁護団の三名が公爵に話しかけているが、公爵の耳には届いていないようだった。
百年の嘘の土台に、最初の亀裂が入った。
その音を、リーナの耳は確かに聴いていた。




