第73話 三つの真実が一つに
シュヴァルツベルク公爵邸の書斎に、大陸全図が広げられていた。
長い執務机の上に羊皮紙が何枚も重ねられ、その上に三つの駒が置かれている。帝都イグナシオン。辺境自治区グリュンハイム。迷宮都市カスカーラ。
リーナは地図を見つめていた。机の上にはカスカーラから持ち帰った文書、議会から回収した暗号書類、そしてミーリアから届いた報告の写しが積まれている。
「ルシアン様、こちらをご覧くださいませ」
ルシアンが机の反対側から地図を覗き込んだ。書斎には護衛が一名控えている。
「三つの封印の核ですの。帝都の地下に一つ、辺境の聖樹に一つ、迷宮の最深部に一つ」
リーナは指先で三つの駒を結ぶ線を引いた。
「この三点が正三角形を描きます。そして三角形の中心は——」
「聖域山脈か」
「その通りですわ」
リーナは鑑譜眼を発動した。瞳が金色に変わる。
机の上に広げた文書の束に指を触れた。ヴァレンシュタイン家の封印研究室から回収された暗号文書。リーナが残響で読み取った百年前の記録。紙面の下から、古い旋律が立ち上ってきた。
三拍子の低音。大聖女アリーシアが封印を施した時に残した旋律の断片。帝都の地下で聴いたものと同じ調べが、文書のインクの下に眠っていた。だが今回は、それだけではなかった。旋律の中に、三つの方角へ伸びる糸のような音が聴こえる。北西へ一本。南西へ一本。東へ一本。
「この文書に記された封印の構造式——三つの核が互いに引き合い、中心点で力を安定させている仕組みですの」
リーナは指先を紙面に沿わせながら説明した。旋律が指先から腕へ、腕から耳へと伝わってくる。
「大聖女アリーシアが命と引き換えに施した封印は、一点ではなく三点で支えられていたのです」
「一点で支えるより安定する。三脚と同じ原理だな」
「ええ。ですが逆に言えば、一つが崩れれば残りの二つに負荷が集中して、全体が崩壊しますわ」
リーナは鑑譜眼を切った。瞳が金色から紫に戻る。鑑譜眼の負荷が額の奥にじわりと残っている。文書の横に、カスカーラで得た情報を書き付けた紙を並べた。
「あの少年が迷宮の最深部で感じた振動。『遠くの二箇所から引っ張られてる感覚だ』と言っていましたわね」
「ああ。帝都と辺境の封印核に引き寄せられていた、ということか」
「そう。三つの核は星脈を通じて繋がっている。地下深くで、見えない糸のように」
リーナは地図の上で指を滑らせた。三つの点を結ぶ三角形。その中心に、聖域山脈の最高峰が位置している。
「そしてミーリアさんからの情報。辺境の聖樹が星脈異常を吸収し続けていること。彼女の星属性の力が、知らぬうちに封印の一角を支えていたこと」
「三つの情報源が、全て同じ構造を指し示している」
「帝都の鑑譜眼が読んだ記録と、迷宮の冒険者が体で感じた振動と、辺境の少女が星脈で共鳴した力。三つの視点から同じ真実に辿り着きました」
リーナは椅子の背にもたれ、深く息を吸った。
「封印の全体構造が見えましたわ」
* * *
ルシアンが護衛を下がらせた。書斎の扉が閉まり、二人きりになる。
「修復の方法は」
口調が切り替わっていた。碧眼が地図を見据えている。
「三つの封印核を同時に安定化させる必要があります」
リーナは立ち上がり、地図の前に移動した。三つの駒を指先で触れながら、順番に説明する。
「一箇所ずつでは駄目なのです。一つを修復している間に、残りの二つが劣化の重みに耐えきれなくなる」
「同時に三箇所で、か」
「三人の力が必要ですの」
リーナは帝都の駒に指を置いた。
「わたくしの鑑譜眼は、封印の旋律を読み取れます。どの部分が劣化しているか、どの順序で修復すべきか、旋律の流れを聴いて指示を出せる」
次に辺境の駒に指を移す。
「ミーリアさんの星属性は、大地の裂け目を癒し、封印を再生する力がある。辺境の聖樹を半年も支え続けた実績がありますもの」
最後に迷宮の駒。
「そしてあの少年の核紋を取り込む力。全属性を扱える力が、封印の核にエネルギーを注ぎ込む。封印の器を満たすには、特定の属性ではなく全ての属性が必要ですの」
「一人では不可能なのか」
「わたくし一人では、旋律は読めても修復する力がない。ミーリアさん一人では、全体の構造が見えない。あの少年一人では、何をどう修復すべきか分からない。誰一人欠けても成立しませんの」
三人の力が揃って初めて、封印は修復できる。
ルシアンが地図を見つめた。碧眼に地図の線が映り込んでいる。腕を組み、しばらく黙っていた。
「場所は」
「聖域山脈。三角形の中心点。三つの封印核からの星脈が合流する地点です。そこで三人が同時に力を合わせれば、三つの核を一度に安定化できる可能性がある」
「可能性か。確実ではないんだな」
「百年前に大聖女アリーシアが命を賭けて施した封印ですもの。わたくしたちが簡単に修復できるとは限りませんわ」
ルシアンが窓の外を見た。帝都の空に赤い光が滲んでいる。昼間だというのに、空は夕暮れのように染まっていた。
「問題はもう一つある。時間だ」
「ええ」
「封印劣化は加速している。カスカーラから帰ってきてから、地震が二度あった。どちらも小さいが、間隔が縮まっている。昨夜も深夜に一度、微かな揺れがあった」
リーナも窓に目を向けた。赤い光が大気を歪めている。地下の星脈から漏出したエネルギーだ。
「残された時間は、あと数ヶ月ですわ」
「数ヶ月で、遠征の準備をし、三人を集め、聖域山脈に到達しなければならない。人が立ち入りを拒む霊峰地帯に」
「急がなければなりませんわね」
リーナは地図に視線を戻した。三つの点と、一つの中心。百年前、大聖女アリーシアが命を捧げた場所。そこに三人で乗り込む。
「まず、ミーリアさんとあの少年に協力を求めます」
「手紙か」
「ええ。ただし、二人に同じ文面では駄目ですわね」
ルシアンが片眉を上げた。
「ミーリアさんには丁寧に。あの少年には、少し工夫が必要ですの」
「どういう工夫だ」
「それは明日、お見せしますわ」
リーナの唇に、僅かな笑みが浮かんだ。鑑譜眼で人を読み続けた半年間の蓄積が、今、戦略として形になろうとしている。
ルシアンが机の上の駒を一つ手に取った。カスカーラの駒。
「遠征計画の概要は俺が詰める。物資、護衛、行程。聖域山脈までの最短経路を明日までに出す」
「お願いいたしますわ」




