表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された令嬢ですが、偽聖女の嘘まで聞こえます  作者: 景都 (けいと)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
69/74

第69話 三つの封印

カイトの核紋の揺れは、一瞬で収まった。


 少年は何事もなかったかのようにエールを一口飲み、灰色の瞳をリーナに向けた。だがリーナの鑑譜眼は、核紋の奥に残る微かな残響を聴いていた。押し込められた旋律。この少年が長い時間をかけて封じ込めてきた感情の痕跡。触れてはいけない場所だ。


 リーナは鑑譜眼の焦点をそっと外した。


「三つの地脈の交差点、って言ったな」


 カイトの声は平静に戻っていた。


「ええ。帝都の地下、辺境の聖樹、そして迷宮の最深部。三箇所に、百年前の大聖女アリーシアが封印の核を埋めましたの」


「封印って、大崩落のあとに施されたやつか」


「ご存じでしたの?」


「冒険者の間じゃ常識だ。二十階層を越えると壁に紋様が刻まれてる。古い文字で何か書いてあるが、誰も読めねえ。最深部の奥に何かがある、ってのは昔から噂になってた。触れるなって言われてるから誰も行かねえだけだ」


 カイトは杯を傾けた。エールの琥珀色が、窓から差す西日を透かして揺れている。


 ルシアンが口を開いた。テーブルの向かい側に座り、碧眼でカイトを見据えている。外套のフードは下ろしていた。この場に嘘は必要ないと判断したのだろう。


「その『触れるな』という指示は、ギルドマスターから出ているな。ギルドマスターは、グリフォンハート公爵家を経由してヴァレンシュタイン家の意向を受けている」


 カイトの眉が動いた。


「ヴァレンシュタイン……」


「知っていますの?」


「……名前だけな」


 嘘ではなかった。カイトの核紋に不協和音はない。だが「名前だけ」という言葉の裏に、薄い怒りの旋律が重なっていた。ヴァイスリッター家を弾圧した側の名前。少年はそのことを知っている。知っていて、今は触れないことを選んでいる。


 リーナはテーブルの上に、手書きの地図を広げた。ルシアンが作成した封印構造の推定図。三つの点が三角形を描き、それぞれの点を星脈の線が結んでいる。インクは新しいが、描かれた構造は百年前のものだ。


「三点封印。一つの封印が弱まれば、残り二つに負荷がかかる仕組みですわ」


 カイトが身を乗り出した。椅子の脚が床を擦る。地図に視線を落とす。灰色の瞳が、三つの点を順に追った。指先がテーブルの縁を叩いている。無意識の仕草だった。


「帝都。ここはヴァレンシュタイン家が弄っている。封印のエネルギーを兵器転用するために百年間手を加え続けた結果、劣化が加速しておりますの」


 リーナの指が地図の左端に触れた。


「辺境。ここには、星属性を持つ少女がいます。彼女の力で、辺境の封印は辛うじて保たれていますわ」


「星属性?」


「ええ。失われたとされていた属性ですわ。彼女については、いずれ詳しく」


 リーナの指が地図の右端、カスカーラの位置に移った。


「そして迷宮。最深部の封印の核は、誰にも管理されていない状態ですわ。あなたが二十四階層で感じた振動は、封印の核が劣化し始めている証拠です」


 カイトはしばらく地図を見つめていた。指で三つの点を結ぶ線をなぞる。それから顔を上げた。


「帝都は、お前が何とかするのか」


「ヴァレンシュタイン家の不正を暴くことは、既に始めておりますわ。帝国議会に告発し、調査が進行中です。ただし政治的な手続きには時間がかかる。その間にも封印の劣化は進みますわ」


「辺境は、その星属性の女が守ってる」


「ええ。彼女は星脈と共鳴する力を持っています。辺境の封印は彼女が抑えていますわ」


「で、迷宮は」


 カイトは自分の杯を手に取った。エールの残りを一息に飲み干す。杯をテーブルに叩くように置いた。木の音が酒場に響く。


「俺しかいねぇだろ」


 リーナは微笑んだ。鑑譜眼を通して少年の核紋を聴く。虚勢ではなかった。自覚と覚悟に裏打ちされた、真っ直ぐな和音。


「その通りですわ。最深部に到達できるのは、この大陸であなただけ」


「大きく出たな」


「事実ですもの」


 カイトが鼻で笑った。それから腕を組み、椅子の背にもたれた。テーブルの上に置かれた地図の三角形を、灰色の瞳で見下ろしている。


「一つ聞いていいか」


「どうぞ」


「お前の目。鑑譜眼ってやつ。俺の核紋の中まで見えてるんだろ」


 リーナは一瞬だけ迷い、正直に答えた。


「聴こえていますわ。空の器に、無数の属性の欠片が詰め込まれている旋律が。そして、呪核の傷痕も」


 カイトの灰色の瞳が、鋭くなった。だが怒りではなかった。むしろ、腹を括ったような静けさがあった。


「……不気味な女」


「よく言われますわ」


「で、俺の核紋を見て、俺を信用するって判断したのか」


「ええ。あなたの核紋は嘘をついていませんの。旋律が荒々しいのは、あなたが通ってきた道が荒々しかったからですわ。けれど嘘がない。それだけで十分ですの」


 カイトは何も言わなかった。ただ空になった杯をテーブルに置き、しばらく沈黙した。


 やがて口を開いた。


「三人がかりか」


「ええ。帝都、辺境、迷宮。三つの封印を同時に守らなければ、この大陸は二度目の崩壊を迎えますわ」


「三人がかりでなければ、救えないってことだな」


「その通りですわ」


 カイトが立ち上がった。椅子を引く音が酒場の空気を揺らす。短剣を腰の鞘に差し直し、革紐の端を結ぶ。


「俺は最深部に行く。封印のことは知らなかったが、あそこに何があるか確かめる理由はあった」


 カイトの核紋が、静かに脈動した。空の器の中で、無数の属性の欠片が揃い始めている。混沌とした旋律が、少しずつ一つの方向を向こうとしていた。


「お前の話を聞いて、理由が一つ増えただけだ」


 リーナも立ち上がった。


「ありがとうございますわ、カイトさん」


「礼はいらねえ。ヴァイスリッターの情報を寄越したのは、取引だろ」


「ええ。取引ですわ」


「なら貸し借りなしだ。次会う時は、三人目とやらも連れてこい」


 カイトはそう言い残して、酒場の出口に向かった。黒い背中が西日の中に溶けていく。扉の向こうにカスカーラの午後の光が差し込み、少年の影が石畳の上に長く伸びた。


 リーナはその背中を見送った。酒場の扉が閉まり、喧噪が少しだけ遠くなる。


 ルシアンが隣に立った。空になったカイトの杯を見下ろしている。


「信用するのか」


「ええ」


「根拠は」


「旋律ですわ。あの方の核紋には、嘘がありませんでしたの。荒々しい旋律の奥に、まっすぐな芯がある。折れそうになったことは何度もあるのでしょうけれど、折れていませんの」


 ルシアンは顎を引いた。それ以上は問わなかった。


 リーナはテーブルの上の地図を畳んだ。三つの点が折り目の中に消える。


 三人がかりでなければ、この大陸は救えない。その確信が、リーナの胸に灼きついた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ